カトケヌット・リーン
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カトケヌット・リーン | |
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エストニア語: Katkenud liin、英: Broken Line | |
座標 | 北緯59度26分34秒 東経24度45分03秒 / 北緯59.44265度 東経24.75075度 |
所在地 | タリン、エストニア[1] |
設計者 |
ヴィル・ヤーニソー ヨルマ・ムカラ[2] |
種類 | 記念碑[1] |
素材 | 金属、花崗岩[2] |
完成 | 1996年[2] |
カトケヌット・リーン (エストニア語: Katkenud liin、英: Broken Line、破線の意) はエストニアのタリンにある、エストニア号沈没事故の記念碑である[1]。
概要
[編集]エストニア号沈没事故の起きた日、エストニアが出港したタリン旅客港近くの丘に犠牲者の慰霊のために白い十字架が建てられた[1][2]。カトケヌット・リーンは1996年、彫刻家のヴィル・ヤーニソーと建築家のヨルマ・ムカラによって、この十字架の代わりとして建てられたものである[2]。事故の起きた9月28日には毎年追悼式が行われ[3][4][5]、エストニア大統領や犠牲者の家族等によって花輪などが捧げられる[5][6]。
構成
[編集]カトケヌット・リーンはエストニア号の船首に似せて造られており[5]、「未完の旅」を象徴している[2]。また、記念碑の土台には事故の犠牲者全員の名前が刻まれている[6]。
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エストニアのバウバイザー
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別の方向から見たカトケヌット・リーン
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犠牲者の名前が刻まれている。
出典
[編集]- ^ a b c d “Tallinnmonumentet”. Estoniasamlingen. Riksarkivet. 2021年5月16日閲覧。
- ^ a b c d e f “«Katkenud liin» on pooleli jäänud teekond, Võrumaa leinab, Estonia komisjon kohtub tõe selgitamiseks vrakis käinud tuukritega, Estonia laevahukk ei saa kunagi minevikuks, Signaalid Jupiterilt, Tütretütre joonlaud ei kanna veoautot, Põnev öö, Estonia: kaks”. Postimees (1996年9月28日). 2021年5月14日閲覧。
- ^ “Gallery: Commemorations held for victims of MS Estonia disaster”. エストニア公共放送 (2019年9月28日). 2021年5月16日閲覧。
- ^ “MS Estonia disaster 25th anniversary marked in Tallinn, Pärnu and Võru”. エストニア公共放送 (2019年9月28日). 2021年5月16日閲覧。
- ^ a b c “AK: Those close to victims of ferry disaster want to know the truth”. エストニア公共放送 (2020年9月29日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ a b Urmas Tooming (2009年9月28日). “Galerii: Estonia mälestusmärgi juures meenutati traagilist laevahukku”. Postimees. 2021年5月17日閲覧。