コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

カトリーヌ・スパーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カトリーヌ・スパーク
Catherine Spaak
Catherine Spaak
十七歳よさようなら』(1960年)
生年月日 (1945-04-03) 1945年4月3日
没年月日 (2022-04-17) 2022年4月17日(77歳没)
出身地 フランスの旗 フランス
ブローニュ=ビヤンクール
職業 女優歌手
活動期間 1959年 - 2022年
著名な家族 シャルル・スパーク(父)
主な作品
狂ったバカンス
輪舞
テンプレートを表示

カトリーヌ・スパーク(Catherine Spaak、1945年4月3日 - 2022年4月17日[1])は、フランス出身の女優歌手

1960年代の活躍が目覚ましいタレントで、主にイタリアで活動した。

来歴

[編集]

パリ近郊ブローニュ=ビヤンクール生まれ。イタリアやフランスを拠点に、1960年代初頭から後半を全盛期として活躍した。

父親のシャルル・スパークや祖父は脚本家で、母親と妹は女優だった。 しかし一族はベルギーでは芸能の世界より、名門の政治家一族として圧倒的に有名であり、祖母はベルギー初の女性上院議員として知られ、首相経験者に至っては2名も輩出している程である。特にその中で最も重要な人物は、ベルギー首相を3度務めた伯父のポール=アンリ・スパークである。

祖国ベルギーで端役デビューしてからイタリアに渡りスターとなり、日本に於いては『太陽の下の18歳』でのスラリとした肢体(身長175cm)の華々しさから脚光を浴び、1965年(昭和40年)3月来日するなどジャクリーヌ・ササールに代わって高い人気を得る。その後は多くのフランス映画やハリウッド映画に進出。しかし1970年代初頭より、かつての勢いは衰え、B級映画や低予算スリラーといった作品へと様相が変化した。

ギャラリー

[編集]

主な出演作品

[編集]
公開年 邦題
原題
役名 備考
1960
Le Trou
ニコル クレジットなし
十七歳よさようなら
Dolci inganni
フランチェスカ
1962 太陽の下の18歳
Diciottenni al sole
ニコル
狂ったバカンス
La Voglia matta
フランチェスカ
追い越し野郎
Il sorpasso
リリー
1963 禁じられた抱擁
La Noia
セシリア
1964 恋のなぎさ
La calda vita
セルジア
愛してご免なさい
Tre notti d'amore
輪舞
La Ronde
ダンケルク
Week-end à Zuydcoote
ジャンヌ
1967 ホテル
Hotel
ジャンヌ・ロシュフォール
1968 夜は盗みのために
La notte è fatta per... rubare
ヴァランティーヌ
女性上位時代
La Matriarca
ミミ
1969 痴情の森
Una ragazza piuttosto complicata
クラウディア
火曜日ならベルギーよ
If It's Tuesday, This Must Be Belgium
写真撮影のためにポーズする女性
1971 わたしは目撃者
The Cat o' Nine Tails
アンナ
1972 タフガイ・殺人ボクサー
Un Uomo Dalla Pelle Dura
ニックの娘
殺人代理人
Un meurtre est un meurtre
フランソワ
1973 ア・クロイスタード・ナン
Storia di una monaca di clausura
シスター・エリザベッタ
1975 ワイルドトレイル
Take a Hard Ride
キャサリン
1981 欲望の中の女
Miele di donna
1984 クラレッタ・ペタッチの伝説
Claretta
ロベルタ
2011 ローマ警察殺人課アウレリオ・ゼン 3つの事件
Zen
ママ テレビシリーズ、3エピソードに出演

ディスコグラフィ

[編集]
  • CATHERINE SPAAK - Ricordi MRL-6034(1963)
  • NOI SIAMO I GIOVANI - Ricordi MRL-6043(1964)

脚注

[編集]
  1. ^ È morta Catherine Spaak, addio all'icona di bravura, sensualità e ribellione” (イタリア語). la Repubblica (2022年4月17日). 2022年4月18日閲覧。

外部リンク

[編集]