カルロス・ホセ・エストラーダ
カルロス・ホセ・エストラーダ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
カルロス・ホセ・エストラーダ ホセ・エストラーダ ホセ・エストラーダ・シニア スーパー・メディコ スーパー・メディコ1号 (スーパー・メディック1号) コンキスタドール1号 (コンキスタドール・ウノ) |
ニックネーム | カリブの鮫 |
身長 | 178cm |
体重 | 98kg(全盛時) |
誕生日 | 1946年??月??日 |
出身地 | プエルトリコ |
デビュー | 1975年 |
カルロス・ホセ・エストラーダ(Carlos José Estrada、1946年[1] - )は、プエルトリコ・ポンセ出身の元プロレスラー。
ニューヨークのWWWF / WWFやプエルトリコのWWCを主戦場に、ヒールのジョバーとして活動した[2]。WWE殿堂者ジョニー・ロッズの弟とされている[1]。
来歴
[編集]少年期に家族でニューヨークのスパニッシュ・ハーレムに移住し、1975年にプロレス入りしたとされる[1]。1978年1月20日、王座決定戦にてトニー・ガレアを破ったとして、復活したWWWFジュニアヘビー級王座の新王者に認定される[3]。3日後の1月23日、マディソン・スクエア・ガーデンにて藤波辰巳に敗れ短命王者で終わるも、後の日本におけるドラゴン・ブームの露払い役を担った。翌1979年1月、新日本プロレスに初来日している[1]。
以降もWWFでは前座要員のヒールとして、MSG定期戦ではニューカマーやゲスト出場選手のジョバーを担当。1980年3月24日にはMSGに初登場したケリー・フォン・エリックのジョバーを務め、12月29日には同年に新日本プロレスに入団した谷津嘉章のプロデビュー戦の相手に起用された[4]。同年は9月22日の定期戦において、当時レス・ソントンが保持していたNWA世界ジュニアヘビー級王座にも挑戦している[4]。
新日本プロレスには1982年4月と1983年1月にも再来日し、当時人気絶頂だった初代タイガーマスクとも対戦[5][6]。1982年11月23日のMSG定期戦では、ニューヨークに遠征してきたタイガーマスクのWWFジュニアヘビー級王座に挑戦したが、奪還は果たせなかった[4]。
1983年下期、プエルトリコのWWCで覆面レスラーのスーパー・メディコ(Super Médico)に変身。WWFでの盟友であり兄ともされるジョニー・ロッズとのスーパー・メディコス(スーパー・メディックス)で活動し、1983年9月10日にペドロ・モラレス&カルロス・コロンからWWC世界タッグ王座を奪取した[7]。1985年3月2日にはインベーダー3号と組んでブッチ・ミラー&ルーク・ウィリアムスのザ・シープハーダーズを破り北米タッグ王座にも戴冠[8]、シングルではプエルトリカン・ヘビー級王座を再三獲得した[9]。1986年8月にはスーパー・メディコとして全日本プロレスに来日している[10]。
1987年末、WWFにて同じくプエルトリコ系のジョバーだったホセ・ルイス・リベラをパートナーに、中南米の侵略者コンキスタドールを名乗った覆面タッグチーム "The Conquistadors(Los Conquistadores)" を結成。エル・ドラードをイメージした金色のマスクと全身タイツを身に付け、ブリティッシュ・ブルドッグスやハート・ファウンデーションをはじめベビーフェイスのタッグチームのジョバーを務めた。1988年11月24日のサバイバー・シリーズにおけるタッグチーム・エリミネーション・マッチでは、ヒール陣営の最後の生き残りチームとなるなど予想外の活躍を見せた[11]。後年、彼らのギミックはアティテュード期のWWFにおいて、エッジ&クリスチャンによってパロディとしてリメイクされている[12]。
WWFには素顔とコンキスタドールのギミックを使い分け、1989年まで出場。その後はWWCに定着し、再びスーパー・メディコとして活動。スーパー・メディコ3号こと息子のホセ・エストラーダ・ジュニアを新パートナーに[2]、WWC世界タッグ王座やカリビアン・タッグ王座を幾度となく奪取している[7][13]。キャリア最末期の1992年12月には、ビクター・キニョネスのブッキングでW★INGプロモーションに来日した[14]。
引退後はWWCにてヒールのマネージャーとなって活動[15]。2007年7月13日に行われたWWCのアニバーサリー・ショーでは、レジェンド・マッチと銘打ってカルロス・コロンとタッグマッチで対戦した[16]。
獲得タイトル
[編集]- WWCプエルトリカン・ヘビー級王座:3回[9]
- WWC世界ジュニアヘビー級王座:2回[17]
- WWC世界タッグ王座:6回(w / スーパー・メディコ2号、スーパー・メディコ3号=ドン・ケント、ブラック・ゴールドマン、スーパー・メディコ3号×4)[7]
- WWC北米タッグ王座:5回(w / スーパー・メディコ2号×4、インベーダー3号)[8]
- WWCカリビアン・タッグ王座:3回(w / スーパー・メディコ2号、スーパー・メディコ3号×2)[13]
脚注
[編集]- ^ a b c d 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P38(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b “Jose Estrada Sr.”. Online World of Wrestling. 2012年3月24日閲覧。
- ^ a b “WWF Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月19日閲覧。
- ^ a b c “Madison Square Garden - The 80s”. The History of WWE. 2012年3月19日閲覧。
- ^ “NJPW 1982 Big Fight Series”. Puroresu.com. 2015年5月31日閲覧。
- ^ “NJPW 1983 New Year Golden Series”. Puroresu.com. 2015年5月31日閲覧。
- ^ a b c “WWC World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月19日閲覧。
- ^ a b “WWC North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月19日閲覧。
- ^ a b “WWC Puerto Rican Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月19日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by José Estrada in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015年5月31日閲覧。
- ^ “WWF Survivor Series 1988”. pWw-Everything Wrestling. 2012年3月24日閲覧。
- ^ “The Conquistadors”. Online World of Wrestling. 2012年3月24日閲覧。
- ^ a b “WWC Caribbean Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月19日閲覧。
- ^ “The W★ING matches fought by José Estrada in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年5月31日閲覧。
- ^ “Jose Estrada Sr.”. Cagematch.net. 2012年3月28日閲覧。
- ^ “WWC 34th Anniversary Show Results”. 411 mania.com. 2012年3月24日閲覧。
- ^ “WWC World Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月28日閲覧。