カルロス・ルイス・エレーロ
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アスレティック・ビルバオでのカルロス (1977年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
カルロス・ルイス・エレーロ Carlos Ruiz Herrero | |||||
ラテン文字 | Carlos | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1948年6月7日(76歳) | |||||
出身地 | ビルバオ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1968-1969 | ゲチョ | |||||
1969-1970 | ビルバオ・アスレティック | 25 | (8) | |||
1970-1981 | アスレティック・ビルバオ | 213 | (81) | |||
1981-1982 | エスパニョール | 21 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
1977 | スペイン U-21 | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
カルロス・ルイス・エレーロ(Carlos Ruiz Herrero、1948年6月7日 - )は、スペイン・ビルバオ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
11シーズンをラ・リーガのアスレティック・ビルバオで過ごし、公式戦275試合に出場して115ゴールを挙げた[1]。
クラブ経歴
[編集]12人家族の上から3番目の子供としてビルバオに生まれ[2]、11シーズンをアスレティック・ビルバオで、1シーズンをビルバオ・アスレティックで過ごした。1970年9月12日、FCバルセロナとのリーグ戦でトップチームデビューを果たした。
デビューの翌年からクラブの中心選手として活躍し始めた。1974-75シーズンにはリーグ戦で19ゴールを挙げ、ラ・リーガ得点王に贈られるピチーチ賞を受賞した。しかし、アスレティック・ビルバオはリーグを10位でフィニッシュしたため、欧州カップ出場権を得られなかった。得点王獲得後も安定した成績を残したが、1978-79シーズンは負傷離脱に苦しみ、リーグ戦わずか5試合の出場に留まった。
1981年にRCDエスパニョールへ移籍[2]。1シーズンを過ごして現役を引退した。
代表経歴
[編集]フル代表経験はないが、スペインのU-21代表に1試合出場した。
引退後
[編集]現役を引退後、バスク大学にて医学を学んだ[2]。卒業してすぐにスポーツのメディカルトレーナー職に就き、ハンドボールの女子スペイン代表やバスケットボールのクラブチームのメディカルトレーナーを経験した[2]。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- アスレティック・ビルバオ
- コパ・デル・レイ : 1回 (1972-73)
個人
[編集]- ピチーチ賞 : 1回 (1974-75)
脚注
[編集]- ^ “Los discípulos de Pichichi” (スペイン語). El Correo. (9 October 2015) 11 February 2016閲覧。
- ^ a b c d “"Sentí un hormigueo cuando me ofrecieron regresar al club"” (スペイン語). El Correo. (14 June 2011) 4 October 2018閲覧。
外部リンク
[編集]- カルロス・ルイス・エレーロ - BDFutbolによる個人成績
- アスレティック・ビルバオ公式プロフィール