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カレン子爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カレン子爵
Viscount Cullen
創設時期1642年8月11日
創設者チャールズ1世
貴族アイルランド貴族
初代初代子爵チャールズ・コケイン
最終保有者6代子爵ボーレイス・コケイン
付随称号カレン男爵
現況廃絶
断絶時期1810年8月11日
モットー逆境における勇気
(Virtus In Arduis)

カレン子爵(カレンししゃく、: Viscount Cullen)は、アイルランド貴族の爵位。1642年に創設され、1810年に廃絶した。

歴史

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イングランド内戦における騎士党の1人チャールズ・コケイン(1602–1661)は1642年8月11日にアイルランド貴族であるティペラリー県におけるカレン男爵カレン子爵Viscount Cullen, co. Tipperary)に叙された[1]。この爵位には特別残余権(special remainder)が規定されており、初代子爵の男系子孫が断絶した場合、ウィロビー・ド・アーズビー男爵モンタギュー・バーティー英語版(1608–1666)の次男以降の息子、すなわちペレグリン・バーティー英語版(c.1634–1701)リチャード・バーティー英語版(c.1635–1686)ヴィアー・バーティー英語版(1638/1640–1681)チャールズ・バーティー英語版(c.1640–1711)の4人、およびその男系子孫が継承できるとした[1]

以降5世代にわたって父から息子へと爵位が継承されたが、6代子爵ボーレイス・コケイン(1740–1810)が死去すると、初代子爵の男系子孫が断絶した[2]。カレン子爵位は1819年には公式に廃絶したものとして扱われたが、『完全貴族要覧』第2版(1913年)は6代子爵が死去した時点ではチャールズ・バーティーの男系継承者にあたる第9代リンジー伯爵アルベマール・バーティー英語版(1744–1818)が推定相続人で、その死後は歴代リンジー伯爵が相続したと判断した[2]。ただし、カレン子爵位創設の特許状は1913年時点で失われている[2]

カレン子爵家の遺産は5代子爵チャールズ・コケイン(1710–1802)の次男で6代子爵の異母弟にあたるウィリアム・コケイン閣下(1756–1809)の10人の娘が共同で相続した[2]。そのうちの1人メアリー・アン(c.1782–1873)の息子が『完全貴族要覧』の著者ジョージ・エドワード・コケイン(1825–1911)である[2]

カレン子爵(1642年)

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  • 初代カレン子爵チャールズ・コケイン(1602年 – 1661年)
  • 第2代カレン子爵ブライアン・コケイン(1631年 – 1687年)
  • 第3代カレン子爵チャールズ・コケイン(1658年 – 1688年)
  • 第4代カレン子爵チャールズ・コケイン(1687年 – 1716年)
  • 第5代カレン子爵チャールズ・コケイン(1710年 – 1802年)
  • 第6代カレン子爵ボーレイス・コケイン(1740年 – 1810年)

出典

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参考文献

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  • Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 561–565.

関連項目

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