カロリーネ・フォン・ヘッセン=カッセル
表示
カロリーネ・フォン・ヘッセン=カッセル Karoline von Hessen-Kassel | |
---|---|
全名 | カロリーネ・ヴィルヘルミーナ・ゾフィア |
出生 |
1732年5月10日 神聖ローマ帝国 ヘッセン=カッセル方伯領、カッセル |
死去 |
1759年5月22日(27歳没) 神聖ローマ帝国 アンハルト=ツェルプスト侯領、ツェルプスト城 |
配偶者 | アンハルト=ツェルプスト侯フリードリヒ・アウグスト |
家名 | ヘッセン=カッセル家 |
父親 | マクシミリアン・フォン・ヘッセン=カッセル |
母親 | フリーデリケ・シャルロッテ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット |
カロリーネ・フォン・ヘッセン=カッセル(ドイツ語:Karoline von Hessen-Kassel, 1732年5月10日 - 1759年5月22日)は、アンハルト=ツェルプスト侯フリードリヒ・アウグストの妃。
生涯
[編集]カロリーネはマクシミリアン・フォン・ヘッセン=カッセルとフリーデリケ・シャルロッテ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットの娘として1732年5月10日に生まれた[1]。
1753年11月8日にカッセルにおいてアンハルト=ツェルプスト侯フリードリヒ・アウグストと結婚した。この結婚の主な目的は、北ヨーロッパにおけるヘッセン家の立場を強化することであった。夫フリードリヒ・アウグストは、スウェーデン、プロイセンおよびロシアと良好な関係を築いていた。特にフリードリヒ・アウグストの姉ゾフィー・アウグステ・フリーデリケはロシア皇太子ピョートルの妃であり、後にロシア女帝エカチェリーナ2世となった。
七年戦争の間、フリードリヒ・アウグストは1756年以降、皇帝に仕える元帥として侯国の外でほとんどの時間を過ごした。一方でカロリーネはツェルプストに留まり、この結婚で子供は生まれなかった。
カロリーネは1759年5月22日に死去した。フリードリヒ・アウグストはフリーデリケ・アウグステ・フォン・アンハルト=ベルンブルクと再婚したが、この結婚でも子供は生まれず、アンハルト=ツェルプスト侯家は1793年のフリードリヒ・アウグストの死により断絶した。
脚注
[編集]- ^ Hans Philippi, Die Landgrafschaft Hessen-Kassel 1648–1806 = Veröffentlichungen der Historischen Kommission für Hessen 46 = Kleine Schriften 8, Marburg 2007, S. 45f. ISBN 978-3-7708-1303-2
外部リンク
[編集]- Anhalt-Zerbst, Karoline Fürstin von. Hessische Biografie. In: Landesgeschichtliches Informationssystem Hessen (LAGIS).