カンカンとランラン
性別 | オス |
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生誕 | シンシン(新興) 1970年11月頃 中国 |
死没 | 1980年6月30日 日本 |
性別 | メス |
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生誕 | アルシン(二興) 1968年11月頃 中国 |
死没 | 1979年9月4日 日本 |
カンカン(康康)とランラン(蘭蘭)は、東京都恩賜上野動物園で飼育されていた2頭のジャイアントパンダである。
概要
[編集]1972年9月の日中国交正常化を記念して中華人民共和国から贈呈された[1]。当時北京動物園で飼育されていた個体の中から容姿・性格など最も優れた2頭が選ばれた[2]。
中国名はシンシン(新興)とアルシン(二興)で、来日時にシンシンはカンカン(康康)と、アルシンはランラン(蘭蘭)と改めて命名された[3]。
同年10月28日来園[4]。当時の内閣官房長官二階堂進が羽田空港まで赴いて2頭を乗せた専用機を出迎えた[5]。
11月5日に一般公開されて日本中に大フィーバーを巻き起こした[2]。公開初日には見物客が約6万人[6]、最盛期には毎日平均1万5千人が訪れ[5]、長さ2キロメートルにわたる2時間待ちの行列ができ、観覧時間はわずか30秒であった[2]。
1979年8月、ランランは自然妊娠後に妊娠中毒症や尿毒症などの合併症(腎不全[7])で倒れる。腹膜透析など懸命な看護が行われたが[8]同年9月4日に死亡。また、次いでカンカンも1980年6月30日に心不全で死亡した[4]。
ランランの剥製は1980年6月17日から多摩動物公園で展示されている。カンカンの剥製は上野動物園で1981年1月27日から3月1日まで展示された後、同年3月3日から多摩動物公園に展示されている。2頭の剥製は全国の動物園や博物館への貸し出しも頻繁に行われている[9]。剥製製作は都内にある尼ヶ崎剥製標本社である[9]。
楽曲・レコード
[編集]ランランの「追悼盤」として、1979年10月5日にはカンカンとランランの鳴き声を収録したシングルレコード「さよならランラン」(規格品番:CW-1882)がクラウンレコードから発売された[10][11]。
- 「さよならランラン」収録内容
- さよならランラン(元気なときのランランの声)
- がんばってカンカン(かなしいカンカンの声)
その他、カンカンとランランの名を冠した楽曲がいくつか発表されている。
- ランランちゃん カンカンちゃん(1973年、作詞:サトウハチロー、作曲・編曲:小川寛興、歌:坂本秀明、サカモト児童合唱団。キングレコード ES(H)-1039)
- ランラン・カンカン恋の季節(1977年、作詞:クニ河内、作曲:渡辺岳夫、編曲:小六禮次郎、歌:宇津海仙。東宝レコード DT-4109)
- さようならランラン(1979年、作詞:曽我部博士、作曲・編曲:岡本道夫、歌:杉並児童合唱団。テイチクレコード MK-65)
脚注
[編集]- ^ 上野動物園の歴史上野動物園
- ^ a b c 1972年「パンダ来日フィーバー」の裏側日経ビジネス 2016年6月7日
- ^ 「シンシンはカンカン アルシンはランラン パンダ改名し日本へ」『朝日新聞』1972年10月26日付東京夕刊、10頁。
- ^ a b 歴代のパンダたちUENO-PANDA.JP
- ^ a b 中国・日本 両国人民の友好の絵巻物中国網
- ^ 上野動物園に暮らしたパンダたち国立科学博物館 2008年5月1日
- ^ 動物たちの横顔 21「人気者、ジャイアントパンダ」、東京ズーネット - 2021年7月24日閲覧。
- ^ こん睡状態続くランラン いちるの望み託して 一時は注射に反応『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月3日夕刊 3版 9面
- ^ a b よみがえったカンカンとランラン 多摩動物公園で会える週刊エコノミスト2018年5月1・8日合併号
- ^ 「ランラン追悼レコード発売」『読売新聞』1979年9月6日付夕刊、7頁。
- ^ 「生前の声レコードに」『読売新聞』1979年10月8日付夕刊、9頁。
関連項目
[編集]- 黒柳徹子#パンダ保護
- オセロ - 当初は黒白の色をパンダに見立てて「ランラン・カンカン」という名称が検討されていた。
外部リンク
[編集]- 歴代のパンダたちUENO-PANDA.JP
- パンダブーム - NHK放送史
- 人気者に突然の死 さようならランラン - NHK放送史