カンティーラヴァ・ナラシンハ・ラージャ
表示
カンティーラヴァ・ナラシンハ・ラージャ Kanthirava Narasimha Raja | |
---|---|
マイソール王太弟 | |
カンティーラヴァ・ナラシンハ・ラージャ | |
出生 |
1888年6月5日 マイソール、マイソール宮殿 |
死去 |
1940年3月11日 ボンベイ |
子女 |
チャーマ・ラージャ11世 ほか3人の娘 |
父親 | チャーマ・ラージャ10世 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
カンティーラヴァ・ナラシンハ・ラージャ(Kanthirava Narasimha Raja, 1888年6月5日 - 1940年3月11日)は、南インドのカルナータカ地方、マイソール藩王国の王太弟。同国藩王チャーマ・ラージャ10世の次男、クリシュナ・ラージャ4世の弟、チャーマ・ラージャ11世の父にあたる。
生涯
[編集]1888年6月5日、マイソール藩王国の君主チャーマ・ラージャ10世の息子として生まれた[1]。
1894年に父王が死亡すると、兄のクリシュナ・ラージャ4世が藩王位を継承したが、ナラシンハ・ラージャは子供のいない彼の王太弟として長らくその地位にあった。
1940年3月11日、ナラシンハ・ラージャはボンベイに滞在中、兄に先立つ形で死亡した[1]。
そのおよそ3ヶ月後、兄クリシュナ・ラージャ4世も死亡し、その養子となっていたナラシンハ・ラージャの息子チャーマ・ラージャ11世が藩王位を継承した[1]。
大正5年(1916年)など、複数回来日している。