カンディド・アマンティーニ
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カンディド・アマンティーニ | |
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御受難会司祭 エクソシスト | |
教会 | カトリック教会 |
個人情報 | |
本名 | エラルド・アマンティーニ |
別名 | 無原罪のカンディド |
出生 |
1914年1月31日 イタリア王国 トスカーナ州グロッセート |
死去 |
1992年9月22日(78歳没) イタリア ローマ |
聖人 | |
称号 | 尊者 |
カンディド・アマンティーニ(Candido Amantini 1914年1月31日 - 1992年9月22日[1] 本名:エラルド)はカトリック教会御受難会の司祭、エクソシスト(祓魔師)。
生涯
[編集]アマンティーニはトスカーナ州の貧しい家具職人の長男として山村で生まれ、幼少時に司祭の志を抱き、1926年12月23日、12歳のころ、親元を離れ御受難会に入る[2]。修道誓願を果たし、古代ローマ時代に殉教した聖カンディドゥスに因み「無原罪のカンディド」の修道名を名乗り[3]、1937年3月13日、司祭叙階される[4]。1938年から1960年までは神学校などでヘブライ語と聖典を教えていたが、1961年に病気で長期入院し教師を辞めることとなった。回復後の活動は変化した。1962年、ローマ司教区の「エクソシスト(祓魔師)」に正式に任命され、彼は一度は断ったが、長上の修道院長に諭され任命を受ける[5]。アマンティーニはローマの「聖なる階段」という聖堂に拠点を移し、エクソシストとして多くの悪魔払いを行い、信者の信頼を集め、ガブリエーレ・アモルス等のエクソシストが輩出した[6]。1973年に公開された映画『エクソシスト』を鑑賞、誇張された演出以外、的確に捉えていると評価した。
1992年9月22日、ローマで死去[7]。2012年7月13日、アマンティーニの列聖調査が正式に開始された[8]。
脚注
[編集]- ^ 島村 2012, p. 93.
- ^ 島村 2012, p. 98.
- ^ 島村 2012, p. 102.
- ^ “Traslazione del famoso esorcista di Roma”. Arcidiocesi di Fermo. 2021年4月25日閲覧。
- ^ 島村 2012, p. 38.
- ^ “El padre Cándido, exorcista de Roma y maestro de exorcistas, vencía al diablo con paciencia y amor”. Religión en Libertad (2017年10月4日). 2021年4月25日閲覧。
- ^ 島村 2012, p. 321-322.
- ^ “Cenni biografici(1914 - 1992)”. Scala Santa Roma. 2021年4月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 島村菜津『エクソシストとの対話』講談社文庫、2012年2月15日。ISBN 978-4062771597。