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カーテナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カーテナ(慈悲の剣)。鞘に入れられた状態。

カーテナ[1]英語: Curtana, Cortana, Courtain, Curtein)は、イギリス王家に代々伝わるの名称。カータナクルタナなどと音写されることもある。

この名称はアングロフランス語の curtein, 遡ればラテン語の curtus(短くされた、詰められた)に由来し、その名の通り切っ先が無い形状をしている。無先刀無鋒剣などと訳されることもある[注 1][3]

慈悲の剣(Sword of Mercy)とも呼ばれ、聖界正義の剣・俗界正義の剣[注 2]、献納の宝剣[注 3]国剣英語版[注 4]らの剣や王冠・宝珠・儀仗を含む戴冠宝器[注 5]の一つに数えられている。ピューリタン革命で一度失われたが、チャールズ2世の代に作り直された。1953年にエリザベス2世戴冠式で使用された。現在はロンドン塔の宝物館に展示されている。

仕様

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剣は全長96.5 cm (38 in)、柄の部分の幅が19 cm (7+12 in)ある。鋼鉄の刃は、先端のおよそ2.5 cm (1 in)が欠けている。刃には「走狼」の線画が刻まれるが、これは本来はドイツ・パッサウ産剣を示すマークであった[注 6][5]。 柄は金箔付け鉄製で、グリップ部はワイヤー巻木製。鞘は革張りを赤ベルベットで覆い、金刺繍を施してある[6]。鞘は17世紀以降、複数回改作されており、現在のものは1937年製である[4]

刀身の先端は型に平たく切り詰められている。戴冠式行列では、先端のとがった他の2振りの宝剣を脇に配置する。カーテナ(17世紀の複製剣)はかつてギザギザの先端だったが、いつしか平たく切りそろえられた[注 7][9]。かつては、先端のとがり具合で他の2本をお互いに見分けることが出来、俗界正義の剣はより鋭利で、聖界正義の剣はやや鈍角であった[10][注 8]

経歴

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歴史上、幾つかの剣がこの名称を継承してきた可能性がある[注 9]

この剣名の初出である文献記録(1236年)によれば、クルタナは「エドワード聖王の剣」(エドワード懺悔王、1066年没)と謳われるが[13][14][15]、そうした由緒も、信憑性が疑われる[16]

伝・「トリスタンの剣」がジョン王の御物の記録(1207年)にあり[注 10]、これが元祖のクルタナだとする仮説があるが[注 11]、疑問視もされており[21] 、ましてや叙事詩上の架空人物と思われるトリスタン(設定上6世紀頃)の持物だったかははなはだ疑わしい。

史実上、確かなのはクルタナは17世紀になって複製品に置き換えられたことである[22]

アンジュー朝英国

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17世紀に復元されたカーテナ剣。先端が鉤裂き。

カータテナ/クルタナ(Curtana)の名は、ラテン語Curtusを遡源とする古フランス語cort, curt"短い"に由来するとされる[24][25][13]

文献上の初出は[26][13]1236年ヘンリー3世との婚姻をはたしたエリナー・オブ・プロヴァンス王妃の戴冠式の式にまつわる記述であり、マシュー・パリス英語版の文章では"チェスター伯は聖エドワードの剣でクルテインと呼ばわれし剣、王の御前に持ってゆき.." とあり[14][27]アングロ=ノルマン語式の名称クルテイン(Curtein)が使われる[13][注 12]。1236年のこの戴冠式については、『財務府赤書』英語版にも記載がみられる( § チェスター伯参照)[29]

聖エドワードの剣

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上文の「聖エドワードの剣」とは英国の「エドワード懺悔王」のことを指すが[15][30]、その聖王の御剣が現れたという主張は疑わしく(それまでエドワード王の遺品のいわくつきの品は色々あったが、剣は含まれていない[注 13])、ヘンリー3世の意志による箔づけの可能性が高いと思われる[32]

聖エドワード王は、母がノルマン人、ノルマンディーにも長らく居を構えた人物で、ひとつの信仰の対象ですらあり、その兼ね合いで象徴的な政治的重要性があった[30]

オジェの剣

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英国王剣クルタナは初出ではクルテイン(アングロ=ノルマン語: Curtein)と呼ばれており、カロリング物語群(シャルルマーニュ伝説)における剣コルタン英語版(「短い」の意、オジェ・ル・ダノワの剣)に着想を得て命名されたと『オックスフォード英語辞典』(1893年) などでも考察されており[注 14]、その前後にもその考察がされている[34][35]

とりわけ武勲詩『オジェの騎士道』(1192-1200年頃成立)という作品は、1236年のイングランドのマシュー・パリスら周辺や宮廷にも知られていた可能性があり、オジェが英国で冒険し、その王アンガール(Angart)の娘と結婚するあらすじから、物語上のオジェの「コルタン」が英国戴冠式の剣名に借用されるきっかけになった、とも推察される[36]

トリスタンの剣

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また、ジョン欠地王(ヘンリーIIIの父)は、1207年、"トリスタンの剣(原文:トリストラムの剣)"をとりよせたと記録(開封勅許状登記簿英語版)にある[42][43]

宮廷ご用達詩人のブリテンのトマ作「トリスタン物語」は英国でよく知られており、トリスタンの剣を称すならば、物語どおりモルオルトの頭で切っ先を失った剣でなくてはならなかった。よってジョン王の「トリストラムの剣」が「短い」剣であり、のちにクルテインと呼ばれた王室剣と同一だった[44]ことはもはや疑いないとロジャー・シャーマン・ルーミス英語版は結論づけた[37]

また、歴史的背景を鑑みれば、ヘンリー2世が若年のジョンを騎士叙勲し、アパナージュよりコーンウォールとアイルランドの領主に封じたとき、象徴的にこの剣を佩刀させた、というシナリオが成立する(マルタン・オーレルフランス語版論)。なぜならば物語でトリスタンはコーンウォールの王甥であり、モルオルトはアイルランドの王兄弟[注 15]だったからである[46][41][19]

トリスタンの剣は、本来の『トリスタン=イズー物語』では特に名称がないが、のちに拡張された『散文トリスタン』英語版(1230–1235年開始、1240年以後に拡張、改作[47])では、シャルルマーニュが英国にやってきてトリスタンの(毀れた?)[注 16]剣を像から奪い、オジェ・ル・ダノワに下賜したことになっている。オジェに与えられた際に、オジェに合わせて「短く詰められた」ため「コルテーヌ」と呼ばれるようになったというLoomis (1922a), p. 29[49][注 17][注 18]。これは、現実世界でも英国宝剣「トリスタン剣」が「クルタナ剣」に継承された事実があったという傍証であり、(フランスの)散文版作者はその事実を知りえたこそ、作品に反映できたのだ、とルーミスは論じている[15]E・M・R・ディットマス英語版は、この説を魅力的としたが[53]、反論もしており、当のイギリスでは(ヘンリー三世の在位中に)「トリスタンの剣」だったことが忘れられた(のでそのように呼ばなかった)というルーミスの意見には否定的であった[28][54]

チェスター伯

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1236年当時のチェスター伯は、ハンティングトン伯ジョン ・オブ・スコットランド英語版が兼任しており[14]、チェスター伯の名において戴冠式でクルタナを持つ権限、ならびにハンティングトン伯としてもう一本の剣を持つ権利を主張し、いさかいをおこした。そのことは同戴冠式の別の記録(『財務府赤書』英語版)に見受けられる[29]。この七代目がいうチェスター伯のクルタナ持ちの慣習は、おそらくすでに代々のものであり、あるいは六代チェスター伯ラヌルフ・ド・ブロンドヴィル英語版(1170/1172年生)以来かとも憶測もされている[55]。いさかいは王が仲裁し、七代チェスター伯と、ウォーリック伯爵、リンカーン伯で1本ずつ式典の剣を持つことになったLegg (1901), p. 62。ただ、なんらかの剣を三本使うしきたりは、少なくともリチャード獅子心王(ヘンリーIIIの伯父)の初回目の戴冠(1189年)の際にはすでにあり [56]、リチャード獅子心王の2回目の戴冠(1194年)で6代ラヌルフが持った剣はカーテナと断ずる解説も見られる[57]

以後、14世紀に至るまで、戴冠式でこの剣を持って王前に運ぶのはチェスター伯の役目であった[注 19]。現在は、イギリス貴族英語版より、王がその人選を行っている[9]。ふだんは、他の戴冠宝器とともに、ロンドン塔ジュエル・ハウス英語版に展示される[5][58]

慈悲の剣

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のちには新たな異称も加わった。ヘンリー4世の治世年間(1399–1413年)にHenry IV[注 20]、戴冠用の剣に意義的な二つ名が加わったが、カーテナには当初「正義の剣」が充てられていた[注 21]

しかしいつしかカーテナは慈悲の象徴となり、「慈悲の剣」の異名をとるようになり、現在に至る。この呼称は遅くともヘンリー6世の戴冠式では確立しており"Sword of Mercie"と記載される [注 22][60][5]

17世紀のカーテナ複製剣

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先の平たいカーテナを持つシュルーズベリー伯爵(E)、ジェームズ2世戴冠式の行列、1685年.
—刻版画 、Sandford (1687)History of the Coronation of James II より[61]

現在に伝わるカーテナは、1610–1620年間作成され、1626年のチャールズ1世の戴冠式用に用いられた剣で、拵えの加工者はおそらくワーシップフル・カンパニー・オブ・カトラーズ英語版というギルド的組合(リヴァリ・カンパニー)に属したロバート・サウス(Robert South)と目される[22]。のちにウェストミンスター修道院で保管されていた戴冠宝器のひとつに加わった[4]。それまで200年近くのあいだ、各戴冠式ごとにカーテナ剣はしつらえていた[5][注 23]。刀身は1580年代、イタリアの刃物鍛冶英語版アンドレア・フェラーライタリア語版およびその兄弟のジャンドナート(ツァンドーナ)・フェラーラ(Giandonato/Zandonà)らに鍛えられた作で、英国への輸入品であった[4][注 24]。カーテナと聖界正義の剣・俗界正義の二振りの剣やコロネーション・スプーンは、英国内戦に巻き添えになって破損・逸失しなかった数少な戴冠宝器で、1649年、5ポンドの額でロジャー・ハンフリーズに買い取られていた[22]チャールズ2世の戴冠でこの三振りの剣が使用されたか不詳だが、その後継の ジェームズ2世の1685年戴冠式では使用されている(⇒右図参照)[6]

ギャラリー

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注釈

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  1. ^ 英語でpointless swordとも称す[2]
  2. ^ Sword of Spiritual Justice、Sword of Temporal Justice。前者は逐語訳だと「霊的(精神的)正義の剣」となるが、法律史では"spiritual court, temporal court"を「宗教裁判・世俗裁判」とすることが多い。
  3. ^ Jewelled Sword of Offering
  4. ^ Great Sword of State
  5. ^ Crown Jewels
  6. ^ ただし後述するように、刀匠はイタリア人のフェラーラ兄弟と目される、銘がかすかに読み取れる[4]。パッサウ市章は立ち姿の赤狼:"shield argent a wolf rampant gules"
  7. ^ 17世紀当時のエドワード・ウォーカー写本の挿絵(の模写)を参照(⇒右図)[7]。ジェームス2世戴冠式(1685年)のフランシス・サンドフォード紋章官による巻頭の数枚に渡る扉絵にも、行列の剣の刻版画がえがかれるが( § 17世紀のカーテナ複製剣の図参照)[8]、先端の細かい部分までは見づらい。
  8. ^ Legg は、この鈍角な先端についての知識を H.A. Wilson より得たとする。サンドフォードの刻版画も参照[8]。3振りの剣の現在の形態については、近影を参照[11][12]
  9. ^ 三種の神器の剣と同じく、紛失、複製の既往歴がある。
  10. ^ トリスタンはアーサー王伝説の一環にくわわるキャラクターだが、この時代(12世紀末-13世紀)、アーサー関連の遺物といわくつきの品々が複数点、保管されていた[17]。また父王のヘンリー2世の指導でおこなわれたグラストンベリー僧院英語版のアーサー王の墓跡調査で遺物の十字架が発見されたが、おそらく贋物が仕組まれたものとされる[18]
  11. ^ 『トリスタン・イズー物語』によれば、トリスタンの剣の切っ先は折れてモルオルト(モルオー)の頭蓋にめり込んだ[19][20]
  12. ^ オクスフォード英語辞典の見出しは "Coron. Hen. III"まぎらわしいが、ヘンリー3世の戴冠式は1236年ではなく、1216年(9歳)のときザ・ウォッシュ英語版でのレガリア紛失事件後、とりあえずおこなわれ、1920年にあらためて二度目がおこなわれた[28]
  13. ^ また、伝・聖エドワードの聖皿英語版聖爵も、エリナー妃の戴冠ではじめてあらわれた御物である[31]
  14. ^ オックスフォード辞典では、ロランの剣と誤認しており、 出典として古ノルド語翻案の『カルル大王のサガ』英語版を挙げているが、これは13世紀後期の作である。
  15. ^ 邦訳ではイズ―の"伯父"とある[45]
  16. ^ 早期の『トリスタン・イズー物語』で剣がモルオルトの頭で毀れる筋書き(上注を参照)は『散文トリスタン』に継承されており、イズ―が剣の欠片とトリスタンの毀れた剣を照合させる場面[45]は、『散文トリスタン』にも継承されている[48]
  17. ^ この終盤はCurtis tr. (1994)の抄訳+要約版には割愛されている。
  18. ^ 同様の終盤は、散文トリスタンのイタリア語の翻案である『タヴォラ・リトンダ(円卓)』にも反映されており、イル・ダネーセ・ウジェーリ(=オジェ)が入手したトリスターノの剣は短くされて「コルターナ (Cortana)」となった.[50][51][52]
  19. ^ チェスター伯位は返上され、1246年に王室に統合された。1301年以降ずっとウェールズ公爵が兼任。
  20. ^ に王位を簒奪した。ヘンリー4世はかつてダービー伯のときに、この剣を持つ役をつとめた[59]
  21. ^ 「正義の剣」と「教会の剣」("Sword of the Church"; lespee de leglise両剣論も参照)で執り行ったと、ジャン・ド・ウォーラン英語版の年代記にある(Legg引き[60])。
  22. ^ Legg, p. xxv, 注2 では、ハーグレイヴ写本(Harg. 497)第30葉よりヘンリー6世王の戴冠式について引用するが、この引用文中にはカーテナが「慈悲の剣」という明言はない。Legg, p. 193 では同社本の第29葉に剣の意義名が記載されるとするが、原文は抜粋していない。
  23. ^ リチャード3世の頃、一本が永代的に王室重代の宝器になった[62]
  24. ^ カーテナの刀身に狼型の彫紋があったことは(少なくとも1950年には)認識されていた。聖界正義の剣・俗界正義の剣にも彫紋は確認されていたが、後者には摩耗した字で「アンドレア・フェラーラ」とも読みうる銘が彫られていた[63][64]

出典

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脚注
  1. ^ クラウン・ジュエル』の表記。
  2. ^ Sandford (1687), p. 40.
  3. ^ 小学館ランダムハウス英和大辞典』など。
  4. ^ a b c d Keay first=Anna (2011). The Crown Jewels: The Official Illustrated History The Crown Jewels. Thames & Hudson (in association with the Royall Collection and Historic Royal Palaces). p. 30. ISBN 978-0-500-51575-4. https://books.google.com/books?id=MwpjtwAACAAJ 
  5. ^ a b c d Mears, Kenneth J.; Thurley, Simon; Murphy, Claire (1994) [1986]. The Crown Jewels. [[:en:Historic Royal Palaces|]]. p. 9. ASIN B000HHY1ZQ 。同・版元公式日本語版ガイドブック『クラウン・ジュエル』参照。
  6. ^ a b "The Sword of Mercy". Royal Collection Trust英語版. Inventory no. 31730。
  7. ^ Loomis (1922b), Fig. C
  8. ^ a b Sandford (1687), frontispiece, p. (38).
  9. ^ a b Younghusband, George; Davenport, Cyril (1919). The Crown Jewels of England. Cassell & Co.. p. 38. ASIN B00086FM86. https://books.google.com/books?id=5Q1aAAAAYAAJ&pg=PA38 
  10. ^ Legg (1901), p. xxv
  11. ^ "The Sword of Spiritual Justice". Royal Collection Trust英語版. Inventory no. 31729。
  12. ^ "The Sword of Temporal Justice". Royal Collection Trust英語版. Inventory no. 31731。
  13. ^ a b c d e f Murray, Sir James Augustus Henry [in 英語]; Bradley, Henry [in 英語]; Craigie, Sir William Alexander [in 英語]; Onions, Charles Talbut [in 英語] (1893). "Curtana". Oxford English Dictionary. Vol. 2. p. 1277.
  14. ^ a b c Nichols, John Gough (1873). “The First and Second Houses of Lacy”. Yorkshire Archaeological and Topographical Journal 2: 179. https://books.google.com/books?id=TEHldIKFj6gC&pg=PA179. 
  15. ^ a b c Loomis (1922b), p. 59.
  16. ^ Ditmas (1966a), pp. 92–93.
  17. ^ Ditmas, E. M. R. (1966a), “Arthurian 'Relics'”, Bulletin Bibliographique de la Société internationale Arthurienne (18): 91–104, https://books.google.com/books?id=tddVAAAAYAAJ&pg=RA2-PA181 
  18. ^ Gransden, Antonia (2001). “II. The Growth of the Glastonbury Traditions and Legends in the Twelfth Century”. In Carley, James P.. Glastonbury Abbey and the Arthurian Tradition. Boydell & Brewer. p. 46. ISBN 9780859915724. https://books.google.com/books?id=UI93dKBwWdMC&pg=PA46 
  19. ^ a b ジョゼフ・ベディエ 編、佐藤輝夫 訳『トリスタン・イズー物語』〈岩波文庫 垢503-1〉1991年、第1章、pp. 29–30。  第一章は主にブリテンのトマのトリスタン物語から構成される(ベディエの「編者ノート」、p. 284)。
  20. ^ Loomis (1922a), p. 29.
  21. ^ Ditmas (1966a), pp. 92–93, 125.
  22. ^ a b c Strong, Roy (2006). Coronation: From the 8th to the 21st Century. Harper Perennial. p. 268. ISBN 978-0-00-716055-6. https://archive.org/details/coronationfrom8t0000stro 
  23. ^ Loomis (1922b), p. 54b, Fig. C
  24. ^ 『オクスフォード英辞典』では、1236年の儀式ついてのマシュー・パリスのラテン語文章が初例として引かれているが、ただしマシューが用いた剣名の"Curtein"は、AF(アングロ=フランス語すなわちアングロ=ノルマン語形)であると付記される[13]
  25. ^ Concise English Dictionary. Wordsworth Editions. (1993). p. 221. ISBN 978-1-84022-497-9. https://books.google.com/books?id=qYHPuEwaBswC&pg=PA221 
  26. ^ Legg (1901), pp. xxiii, xxv.
  27. ^ Comite Cestriae Gladium Sancti Ed∣wardi, qui Curtein dicitur ante regum bajulante[13]
  28. ^ a b Ditmas (1966c), p. 125.
  29. ^ a b Legg (1901), pp. xxiii, 58, 62 (trans.) VIII. Coronation of Queen Eleanor, wife of Henry III "..omitatus Cestrie vendicault Primtum deferendi gladium qui ppellatur Curtana (John.. who by reason of his earldom of Chester claimed the chief right of carrying the sword called Curtana)"
  30. ^ a b Jones (2023), p. 46.
  31. ^ Legg (1901), pp. xxiii.
  32. ^ Ditmas (1966b), pp. 92–93.
  33. ^ Taylor, Arthur (1820). The Glory of Regality: An Historical Treatise of the Anointing and Crowning of the Kings and Queens of England. London: R. and A. Taylor. pp. 72–74. https://books.google.com/books?id=rcgBAAAAMAAJ&pg=PA72 
  34. ^ アーサー・テイラー(1820年)の考察ではイタリア文学ではウッジェーロの剣 "Curtana"『モルガンテ』(1483年刊)を挙げるが、 ウッジェーロことオジェが古いフランス文学に登場することは脚注で示唆されている[33]
  35. ^ Ditmas (1966c), p. 125: "Curtein (Corte, Cortain, Courte, Courtaine..) was well known in literate circles in the thirteenth century as the name of the sword of Ogier the Dane, one of the heroes of the Charlemagne cycle of romances,.."
  36. ^ Emden, W.G. van (1988), “The New Ogier Corpus”, Mediaeval Scandinavia 12: 123–124, https://books.google.com/books?id=gxdpAAAAMAAJ&q=curtana 
  37. ^ a b Loomis (1922a), p. 29 and Loomis (1922b), p. 59
  38. ^ a b Hardy, Thomas Duffus, ed (1835). Rotuli litterarum patentium in Turri Londinensi Asservati: 1201 - 1216. London. p. 77b. https://books.google.com/books?id=nCZDAAAAcAAJ&pg=PA77#v=onepage&q=T'strami 
  39. ^ a b Hope, W. H. St. John (1902). “The King's Coronation Ornaments”. The Ancestor: 135. https://books.google.com/books?id=CdEGAAAAYAAJ&pg=PA135. 
  40. ^ a b Ditmas (1966b), p. 92.
  41. ^ a b c d Jones (2023), pp. 38–39.
  42. ^ "duos enses scilicet ensem et Tristrami alium ensem de eodem regali[37][38][39] トリスタンの剣および同じ王族の剣の二剣"をロンドン塔からクラレンドン王宮英語版に取り寄せた[40][41]
  43. ^ いずれも原典は Hardy編『ロンドン塔勅許登記簿』だが、略字(scribal abbreviation))使いの写本通りに活字化しているので読みにくい[38]、よって展開して普通のラテン文を段落単位で引用したホープの論文や[39]、当該箇所の英訳をつけたディトマス[40]やジョーンズ[41]も有用である。
  44. ^ あるいはその「みなし品」か「代用品」、すなわち紛失したトリスタン剣に見立てた剣か複製剣の可能性もあるが[41]
  45. ^ a b ベディエ (訳) & 佐藤 (訳) (1991), p. 48.
  46. ^ Aurell, Martin (2007). Henry II and Arthurian Legend. Boydell Press. p. 373. ISBN 9781843833406. https://books.google.com/books?id=T_Ong1PZq_QC&q=%22Curtana%22 
  47. ^ Curtis, Renée L., tr., ed. (1994), The Romance of Tristan, Oxford, p. xvi  ISBN 0-19-282792-8.
  48. ^ Curtis tr. (1994), pp. 50–51.
  49. ^ Löseth, Eilert (1890), Analyse critique du Roman de Tristan en prose française, Paris: Bouillon, p. 302, https://archive.org/stream/analysecritiqued00lsuoft#page/302/mode/2up/, "Charlemagne.. donna celle de Tristan à Ogier le Danoys.. Ogier la trouvant trop longue et trop lourde la fit raccourcir, ce qui lui valut le nom de Cortaine" 
  50. ^ Polidori, Filippo Luigi, ed (1864-66). La Tavola ritonda, o L'istoria di Tristano; testo di lingua citato dagli accademici della Crusca. 1. Bologna: G. Romagnoli. p. 392. http://books.google.com/books?id=xbgIAAAAQAAJ&pg=PA392 
  51. ^ Gardner, Edmund Garratt (1930). The Arthurian Legend in Italian Literature. London: J.M. Dent. p. 172. https://books.google.com/books?id=WaoqAAAAMAAJ&q=Cortana 
  52. ^ Bruce, Christopher W. (1999). "Cortaine ("Shortened")". The Arthurian Name Dictionary. Garland. p. 131. ISBN 9780815328650
  53. ^ Ditmas (1966b), pp. 92–93: attractive
  54. ^ "注"
  55. ^ Mason, Emma (1990). Harper-Bill; Harvey, Ruth. eds. The Hero's Invincible Weapon: an Aspect of Angevin Propaganda. Boydell & Brewer. pp. 132–134. ISBN 978-0-85115-265-3. https://books.google.com/books?id=qa62nUs53kkC&pg=PA134 
  56. ^ Legg (1901), pp. xxv.
  57. ^ Burgess, Glyn S. (2005). “I kan Rymes of Robin Hood and Randolf Earl of Chestre”. In Busby, Keith; Guidot, Bernard; Whalen, Logan. "De sens rassis": Essays in Honor of Rupert T. Pickens. BRILL. p. 53. ISBN 9789401201872. https://books.google.com/books?id=LpJOEAAAQBAJ&pg=PA53 
  58. ^ Burack, Emily (6 MAY 2023). “The 21 Most Fantastical Sounding Things at King Charles's Coronation: From the Stone of Destiny to the Keeper of the Jewel House, these items and roles make the British monarchy feel straight out of a fantasy novel”. Town and Cuntry. https://www.townandcountrymag.com/society/tradition/a43784228/weirdest-items-king-charles-coronation/. 
  59. ^ Legg (1901), pp. 132, 146, 150, 167.
  60. ^ a b Legg (1901), pp. xxv, 193.
  61. ^ Sandford (1687), 扉絵(数ページに及ぶ行列の画のひとつ)
  62. ^ Legg (1901), pp. xli–xlii.
  63. ^ Office of Works and Public Buildings (1950), Ancient monuments and historic buildings, 2, https://books.google.com/books?id=PagaAAAAIAAJ 
  64. ^ Ingram, Bruce Stirling (1953), Coronation Number, Queen Elizabeth II, pp. 22, 24 

参照文献

[編集]
  • 『クラウン・ジュエル (日本語ガイドブック)』ヒストリック・ロイヤル・パレス・エージェンシー(Historic Royal Palaces)、2010年(原著1996年)。ISBN 978-1-873993-13-2  1996年版図書情報(国会図書館カタログ)

外部リンク

[編集]