カール・ゲツロフ
カール・ゲツロフ Carl Götzloff | |
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Benno Friedrich Törmer による肖像画 | |
生誕 |
1799年9月27日 ザクセン選帝侯領,ドレスデン |
死没 |
1866年1月18日 イタリア王国,ナポリ |
カール・ゲツロフ(Carl Wilhelm Götzloff、1799年9月27日 - 1866年1月18日)はドイツの風景画家である。
略歴
[編集]ドレスデンで生まれた。1814年から1821年までドレスデンの美術学校でヨハン・アウグスト・ハーンや版画家のリヒター、風景画家のクラース、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、ヨハン・クリスチャン・ダールらに学んだ。1820年には、美術学校の展覧会で一等を受賞した。同時期の学生にはベルトルト (Carl Ferdinand Berthold:1800-1838)がいる。1821年に奨学金を得て、ドレガー(Anton Josef Dräger:1794-1833)とイタリアに留学した。1822年の春にもヨハン・クリスティアン・ラインハルト(1761-1847)とイタリア中部のティヴォリやフラスカーティを訪れた。その秋ハインリヒ・ラインホルトとアルバノ丘陵(Colli Alban)などを訪れ、イタリアで活動していたヨーゼフ・アントン・コッホと知り合った。
1823年と1824年にはナポリへ旅し、美術収集家のユクスキュル=ギュレンバント伯爵(Karl Friedrich Emich von Üxküll-Gyllenband :1755–1832)とシチリアやマルタにも旅した。
1826年からはナポリに住むようになり、オランダ生まれのピトルー(Anton Sminck van Pitloo:1790-1837)やナポリ生まれのジガンテ(Giacinto Gigante:1806-1876)、テオドロ・デュクレール(Teodoro Duclère:1816–1867)といった画家たちとナポリの風景を描いた。同じ年にドレスデンの美術アカデミーの名誉会員に選ばれた。
1835年に両シチリア王国のフェルディナンド2世の宮廷画家に任じられた。
その後も ナポリ、ドレスデンで活動するが、1848年革命はナポリにも混乱を引き起こし、ゲツロフは一時ソレントに一時避難し、1850年にナポリに戻るが、その後の苦しい生活を強いられることになった。
1866年にナポリで死去した。
作品
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パレルモとモンテペッレグリーノの景色(1860)
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ナポリとヴェスヴィオの眺め(1837)
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ナポリの景色(1837)
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ヴェスヴィオの噴火
参考文献
[編集]- Hans Geller: Götzloff, Carl Wilhelm. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 6, Duncker & Humblot, Berlin 1964, ISBN 3-428-00187-7, S. 596 f. (Digitalisat).
- Carl Wilhelm Götzloff. Ein Dresdner Landschaftsmaler am Golf von Neapel. Katalog zur Ausstellung im Museum Behnhaus Drägerhaus, Lübeck u. im Mittelrhein-Museum Koblenz. Hrsg. von Alexander Bastek u. Markus Bertsch. Peterssberg: Imhof Verl. 2014.
- Dieter Richter: Neapel, Biographie einer Stadt. Wagenbach, Berlin 2005, S. 152–155 (Die casa Goetzloff).
- Ernst-Alfred Lentes: Carl Wilhelm Götzloff. Ein Dresdner Romantiker mit neapolitanischer Heimat. Mit Werkverzeichnis der Gemälde. Belser Verlag, Stuttgart und Zürich 1996.