カール・ハラー
カール・ハラー Karl Harrer | |
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生誕 |
1890年10月8日 ドイツ帝国 バイエルン王国 バイルングリース |
死没 |
1926年9月5日(35歳没) ドイツ国 バイエルン自由州 ミュンヘン |
職業 | ジャーナリスト、政治活動家 |
団体 |
トゥーレ協会 政治的労働者のサークル |
政党 | ドイツ労働者党 |
カール・ハラー(Karl Harrer、1890年10月8日 - 1926年9月5日)は、ヴァイマル共和政ドイツのジャーナリスト・政治活動家。トゥーレ協会会員。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の前身ドイツ労働者党の創設者の一人だが、後に追放された。
来歴
[編集]トゥーレ協会
[編集]ハラーは第一次世界大戦期にはトゥーレ協会の一員として、『フェルキッシャー・ベオバハター』のスポーツ・ジャーナリストを務めていた[1]。1918年3月に「よき講和のための労働者委員会」を設立した[2]。1918年10月、協会員のルドルフ・フォン・ゼボッテンドルフから、思想を労働者に広めるために11月、Politischer Arbeiter-Zirke(労働者政治サークル[2]、政治的労働者のサークル)を設立する任務を受け、同じく協会員のアントン・ドレクスラーと共に設立した[2][1][3]。サークルでは反ユダヤ主義や民族主義を掲げ定期的な会合が開かれた[1]。ハラーはサークルを小規模な政治グループとして維持することを望んでいたが、これに対しドレクスラーはサークルを政党化することを主張した[1]。
ドイツ労働者党
[編集]1918年12月、ドレクスラーは政党設立を提案し、最終的にハラー、ディートリヒ・エッカート、ゴットフリート・フェーダーも加わり、1919年1月5日にドイツ労働者党を結成した。結成時の党員は総勢24人で、ハラーは党議長に就任するが名誉職に過ぎず、実質的な権限は副議長のドレクスラーが握っていた[4][5]。初めはトゥーレ協会の指示に従って党を運営していたが、1919年9月に入党したアドルフ・ヒトラーは党勢を拡大することを主張し、ハラーは「誇大妄想」と批判してヒトラーと対立し始めた。
1920年初頭、ヒトラーはトゥーレ協会の指示から離れ党の綱領を策定することを求めるが、ハラーは綱領策定に反対しトゥーレ協会の指示を受けることを主張したため、1月5日にヒトラーとドレクスラーによって党を追放された[6]。ハラーの追放後、ドレクスラーが議長に就任し、フェーダーと共にヒトラーに協力して綱領を策定し、2月24日にミュンヘンのビアホール・ホフブロイハウスで開催された党大会において25カ条綱領を発表した。党名も国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に改称された[7]。トゥーレ協会はナチ党の勢力拡大と共に影響力を失い、ナチ党の権力掌握後の1937年に解散した。
党追放後は目立った政治活動を行うこともなく、1926年9月5日にミュンヘンで死去した。
脚注
[編集]- ^ a b c d Kershaw 2008, p. 82.
- ^ a b c カーショー上巻,p.165.
- ^ Paul Hoser: Münchner Beobachter. In: Historisches Lexikon Bayerns
- ^ Kershaw 2008, pp. 82, 83.
- ^ Vgl. Ian Kershaw: Hitler. 1889–1936. Stuttgart 1998, S. 184.
- ^ Shirer, The Rise and Fall of the Third Reich, p. 36
- ^ Shirer, The Rise and Fall of the Third Reich, p. 37
参考文献
[編集]- Goodrick-Clarke, Nicholas. 1985. The Occult Roots of Nazism: The Ariosophists of Austria and Germany 1890-1935. Wellingborough, England: The Aquarian Press. ISBN 0-85030-402-4.
- Kershaw, Ian (2008). Hitler: A Biography. New York: W. W. Norton & Company. ISBN 978-0-393-06757-6
- イアン・カーショー『ヒトラー(上)1889-1936 傲慢』石田勇治監修、川喜田敦子訳、白水社、2016年1月20日。ISBN 978-4560084489。
- Roger Repplinger: Karl Harrer. Wie die NSDAP den Gründer der DAP aus dem Gedächtnis löschte. In: Zeitschrift für Geschichtswissenschaft. 62 (2014), S. 997–1012.
関連項目
[編集]党職 | ||
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先代 創設 |
ドイツ労働者党議長 1919年 - 1920年 |
次代 アントン・ドレクスラー |