カール・フォン・リンネ (子)
表示
Carl von Linné den yngre カール・フォン・リンネ | |
---|---|
カール・フォン・リンネ(小リンネ)の肖像 | |
生誕 |
1741年1月20日 スウェーデン |
死没 | 1783年11月1日(42歳没) |
国籍 | スウェーデン |
出身校 | ウプサラ大学 |
職業 | 博物学者、植物学者 |
後任者 | カール・ツンベルク |
親 | カール・フォン・リンネ(大リンネ) |
カール・フォン・リンネ (Carl von Linné den yngre, Carolus Linnaeus filius, 1741年1月20日 - 1783年11月1日) は、スウェーデンの博物学者。「分類学の父」といわれるカール・フォン・リンネ(大リンネ)の息子であり[1]、同名の父と区別するために小リンネとも表記される。
概要
[編集]9歳の時にウプサラ大学に入学し、父カールの教え子であったペール・レーフリング (Pehr Löfling)、ダニエル・ソランダー、ヨハン・ペーテル・ファルク (Johann Peter Falck) らに指導を受けた。1763年には、父の跡を継いでウプサラ大学の臨床薬理学の学長となった。
父のリンネの死後、遺された仕事はカールが引き継いだ[1]。カールは、大リンネが『植物の種』(Species Plantarum)と『植物の属』(Genera Plantarum)でまとめた植物分類についての追補を行い、その成果を『植物の種 補遺』(Supplementum Plantarum)にまとめた。
1783年に死去。空いた植物学教員のポストには、カール・ツンベルクが就いた[2]。大リンネから引き継いだ膨大なコレクションは、母によってイギリスの植物学者であるジェームズ・エドワード・スミスに売却された。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、カール・フォン・リンネ (子)に関するカテゴリがあります。