カール・プロハスカ
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カール・プロハスカ(Carl [Karl ] Prohaska, *1869年4月25日 ニーダーエスターライヒ州メートリング – †1927年5月27日 ウィーン)はオーストリアの作曲家・音楽教育者・指揮者。息子フェリックスも指揮者である。
略歴
[編集]ピアノをオイゲン・ダルベールに、作曲をオイゼビウス・マンディチェフスキとハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクに師事し、ヨハネス・ブラームスと親交を結ぶ。
1894年から1895年までシュトラウスブルク音楽院の教壇に立ち、1901年から1905年までワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した。1908年にはウィーン・フィルハーモニー楽友協会音楽院の教授となった。
遺骸はウィーンのペッツラインスドルファー霊園に埋葬されている。1959年には、ウィーンの広場の一つがカール・プロハスカにあやかって命名されている。
主要作品一覧
[編集]- 歌劇
- マドレーヌ・ギマラ(Madeleine Guimara )(1930年)
- 合唱曲
- オラトリオ《春の祭り(Frühlingsfeier )》(1913年)
- オラトリオ《ヨブ記より(Aus dem Buch Hiob )》
- 人生のミサ Lebensmesse
- 合唱曲《敵対者 Der Feind )》
- 合唱曲《歩兵隊 Infanterie )》
- 管弦楽曲
- ルートヴィヒ・アンツェングルーバーの『四つの願い』への交響的序曲 (Symphonische Einleitung zum „Das vierte Gebot“ von Ludwig Anzengruber )
- 「村の占い師」の主題による変容(Veränderungen im Thema von „Devin du village“ )
- 交響的幻想曲とフーガ《ルソー》 (Symphonie Phantasie und Fugue Rousseaus )