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ガイウス・ファビウス・アンブストゥス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ガイウス・ファビウス・アンブストゥス
C. Fabius N.f. M.n.] Ambustus
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 ファビウス氏族
官職 執政官(紀元前358年)
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ガイウス・ファビウス・アンブストゥスラテン語: Gaius Fabius Ambustus[1]、生没年不詳)は紀元前4世紀共和政ローマの政治家・軍人。紀元前358年執政官(コンスル)を務めた。

出自

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アンブストゥスはパトリキ(貴族)であるファビウス氏族の出身である。父は紀元前406年紀元前390年執政武官ヌメリウス・ファビウス・アンブストゥス(en[2]、祖父はマルクス・ファビウス・アンブストゥス(en)で、紀元前390年に最高神祇官となっている[3]紀元前360年紀元前356年紀元前354年の執政官マルクス・ファビウス・アンブストゥスは兄弟である。

経歴

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紀元前358年に執政官に就任、同僚執政官はプレブス(平民)のガイウス・プラウティウス・プロクルスであった[4]。前年の執政官マルクス・ポピッリウス・ラエナスグナエウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオススは、ローマに奇襲をかけてきたティブル軍を撃退している。さらに前年執政官の任期の終わり頃には、タルクィニイ軍がエトルリアとの国境近くのローマ領土に侵攻した。新たに執政官となったアンブストゥスとプロクルスはタルクィニイに宣戦を布告した。プロクルスはヘルニキに対する作戦を担当し、アンブストゥスはタルクィニイを攻撃した。

しかし、ガリア軍が接近中で、すでにプラエネステ(現在のパレストリーナ)に達しており、さらにはペドゥムに向かったとの噂が流れた。このため、ガイウス・スルピキウス・ペティクス独裁官(ディクタトル)に任命され、マルクス・ウァレリウス・ポプリコラマギステル・エクィトゥム(騎兵長官)に指名された。アンブストゥスも引き続き軍の指揮を執ることとなったが、堅実な指揮官であることは証明できなかった。

プロクルスはヘルニキに勝利したが、アンブストゥスはタルクィニイとの戦いで、堅実でもなければ戦術的センスも示すことができなかった。ローマの敗北の屈辱は、タルクィニイ軍が307名のローマ軍捕虜を殺害したことでさらに増幅された。

— リウィウスローマ建国史』、VII, 15

他方、ペティクスは最高の部隊を編成し[4]、ガリアに勝利した[5]

脚注

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  1. ^ William Smith, Ambustus (8)
  2. ^ William SmithN. Fabius MfQn Ambustus
  3. ^ William Smith, “Ambustus (2)”
  4. ^ a b リウィウスローマ建国史』、VII, 12.
  5. ^ リウィウス『ローマ建国史』、VII, 15

参考資料

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関連項目

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公職
先代
マルクス・ポピッリウス・ラエナス
グナエウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオスス
執政官
同僚:ガイウス・プラウティウス・プロクルス
紀元前358年
次代
ガイウス・マルキウス・ルティルス
グナエウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオスス II