ガブリエル・グロヴレーズ
ガブリエル・マリー・グロヴレーズ(仏: Gabriel Marie Grovlez、*1879年4月4日 リール - †1944年10月20日 パリ)はフランスの指揮者で作曲家。
略歴
[編集]パリ音楽院にてアルベール・ラヴィニャックとアンドレ・ジェダルジュ、ガブリエル・フォーレに師事。10年間ピアノ教師としてパリ・スコラ・カントルムに勤める[1]。その後は1905年から1908年までオペラ・コミック座の合唱指揮者や指揮者代理を務め、1911年から1913年までジャック・ルシェによって芸術劇場の音楽監督に抜擢された。これらの任務の傍ら、モンテカルロやカイロ、リスボン、ニューヨークにおいても指揮者を引き受けている。さらに音楽評論家としても活動した(1916年-1917年、1937年-1939年)。1939年から歿年までパリ音楽院に出講して室内楽を担当した。
作曲家としては、多作家にもかかわらず今日では忘れられている。擬古典主義的な色彩の強い作風を採り、代表作に(「操り人形の子守唄(フランス語: Berceuse de la poupée)」や「イエスの御名の小連禱(Les petites litanies de Jésus)」を含む)ピアノ曲集《心の暦(L'Almanach aux images)》がある。一方で指揮者としての業績に、同時代の作品(例えばフォーレの《ドリー組曲》やルーセルの《くもの饗宴》、ラヴェルの《マ・メール・ロワ》)を初演したことが挙げられる。古楽の分野では、モンテヴェルディやリュリ、ラモー、グルックの歌劇の復活上演を指揮した。
なお、語尾のzは発音されるのが正しいが、日本では戦前から「グロヴレ」、「グロヴレー」などのカナで表記される事が多かった。例えば1943年(昭和18年)11月3日の「東京音楽学校報国団第149回演奏会~出陣学徒出演」での《サラバンドとアレグロ》(オーボエ鈴木清三、ピアノ中田一次)のプログラムには「グローブレ」と表記されている[2]。なお、この時点で作曲者は存命であり、またフランスは直接の交戦国ではなく、パリ解放以前のヴィシー政権が存続していたため、フランス楽曲の演奏には特段の制限はなかった。
主要作品一覧
[編集]舞台音楽
[編集]- 3幕の妖精伝説《ルビーの心》 (Cœur de Rubis, Légende féérique) (1906年、台本:Gabriel Montoya)
- 2幕の幻想バレエ《マイムーナ》 (Maïmouna) (1916年、台本:P.アンドレ・ジェラール)
- 1幕のバレエ《花園の姫君》 (La princesse au jardin) (1943年、台本:エミール・ヴュイエルモーズ)
室内楽
[編集]- ヴァイオリンとピアノのためのソナタ (1908年)
- フルートとピアノのための嬉遊曲 (Divertissement) (1912年)
- フルート(またはクラリネット)とピアノのための《コンチェルティーノ》 (Concertino)
- クラリネットとピアノのための《哀歌とタランテラ》 (Lamento et tarentelle) (1923年)
- フルートとピアノのための《ロマンスとスケルツォ》 (Romance et scherzo) (1927年)
- オーボエとピアノのための《サラバンドとアレグロ》 (Sarabande et allegro) (1929年)
- バスーンとピアノのための《シシリエンヌとアレグロ・ジョコーゾ》 (Sicilienne et allegro giocoso) (1930年)
- ヴィオラとピアノのための《ロマンスとスケルツォ、終曲》 (Romance, scherzo et finale) (1932年)
- チェロとピアノのためのソナタ (1936年)
ピアノ曲
[編集]- 6つの小品《子供の庭》 (Au jardin de l'enfance) (1907年)
- 即興曲《ロンドンへ》 (Improvisations sur Londres) (1910年)
- トリスタン・クリングゾルの詩による8つの小品《心象風景の暦》 (L'almanach aux images) (1911年)
- 3つの小品 (Trois pièces) (1913年)
- 7つのピアノ曲《ファンシー》 (Fancies) (1915年)
- セレナード(Sérénade)
- 夜想曲(Nocturne)
- 小さな円舞曲(Petite valse)
- 子守歌(Berceuse)
- 糸を紡ぐ女(Fileuse)
- 夢(Rêverie)
- ケークウォーク(Cake Walk)
- 3つのロマンティックなワルツ (Trois valses romantiques) (1917年)
- 2つの超絶技巧練習曲 (Deux études de difficulté transcendante) (1919年)
- 2つのピアノ曲《印象》 (Impressions) (1934年)
声楽曲
[編集]- アンリ・バタイユの詩による10の歌《白い部屋》 (La chambre blanche) (1903年)
- ホセ=マリア・デ・エレディアの詩によるピアノ伴奏つき歌曲集の《横笛》 (La flûte) (1907年)
- 高声とピアノのためのポール・ヴェルレーヌの5つの詩《叡智》 (Sagesse) (1910年)
- ピアノ伴奏つき歌曲集《ジャン・ドミニクの詩による3つの旋律》 (Trois mélodies sur des poèmes de Jean Dominique) (1912年)
- カミーユ・サン=サーンスの詩によるピアノ伴奏つき歌曲《ギターとマンドリン》 (Guitares et mandolines) (1913年)
- シャルル・ゲランの詩による8つの歌《情熱的な憂鬱》 (Les mélancolies passionnées) (1924年)
- ポール・フォールの詩によるピアノ伴奏つき歌曲《フランスの3つのバラード》 (Trois ballades françaises) (1927年)
註記
[編集]- ^ “Grovlez Biography”. Piano Society. 2007年12月17日閲覧。
- ^ 成澤良一 (2017). “学徒出陣とオーボエ、そして戦没学生~忘却からの発掘~”. よしあし (日本オーボエ協会会報) 第38号: P.23-25.
参考文献
[編集]- Guy Ferchault: "Grovlez, Gabriel Marie", in: Musik in Geschichte und Gegenwart 5 (1. Aufl.), Sp. 972ff.