ガリレオ・ガリレイ (潜水艦)
アルキメーデ級の艦形図 | |
艦歴 | |
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発注 | トシ社タラント造船所 |
起工 | 1931年10月15日 |
進水 | 1934年3月19日 |
就役 | 1934年10月16日 |
退役 | |
その後 | 1940年6月19日にイギリス海軍に鹵獲後、1942年から潜水艦「X-2」として就役。1946年除籍後解体処分。 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 水上:970トン 水中:1,239トン |
全長 | 70.5m |
全幅 | 6.87m |
吃水 | 4.12m |
機関 | 水上:トシ式ディーゼル機関2基 水中:マレリ式電気モーター2基 2軸推進 |
最大出力 | 水上:3,000hp 水中:1,100hp |
最大速力 | 水上:17.0ノット 水中:7.7ノット |
航続距離 | 8ノット/10,500海里 |
燃料 | 重油:-トン |
乗員 | 55名 |
兵装 | OTO 1927年型 10cm(43口径)単装速射砲2基 1931年型 13.2mm(75.7口径)単装機銃2丁 53.3cm水中魚雷発射管単装8門(前部4門、後部4門) |
ガリレオ・ガリレイ (Galileo Galilei) は、イタリア海軍の潜水艦。アルキメーデ級。
艦歴
[編集]1931年10月15日起工。1934年3月19日進水。同年10月16日竣工。
イタリアが第二次世界大戦に参戦した1940年6月10日に「ガリレオ・ガリレイ」は出撃し、10月16日にバブ・エル・マンデブ海峡を通過[1]。同日、オマーン湾でノルウェーのタンカー「ジェームス・ストーブ (James Stove) 」(8215トン)を停船させ、乗組員の退船後に魚雷で沈めた[2]。
6月18日、ユーゴスラビアの貨物船「ドラバ (Drava) 」を臨検[3]。次いで16時ごろイギリス軍機と交戦した[4]。19時30分、イギリスのスループ「ショアハム」が「ガリレオ・ガリレイ」を発見[4]。爆雷攻撃を実施後、追跡をトローラー「ムーンストーン」に引き継いだ[4]。6月19日2時30分に「ガリレオ・ガリレイ」は浮上したが、この時エアコンが壊れており、中毒患者が出ていた[4]。エアコンには有毒なクロロメタンが使用されていた[5]。
6月19日11時37分、「ムーンストーン」はASDICで「ガリレオ・ガリレイ」を捉えた[4]。「ムーンストーン」は爆雷を投下[4]。一方、「ガリレオ・ガリレイ」の艦長Nardiは潜望鏡で見て敵艦の武装は弱いと確信[6]。「ガリレオ・ガリレイ」は浮上し砲戦を挑んだ[6]。当時のイタリア潜水艦長は艦の搭載砲と水上速力を信頼しており、水上戦も厭わなかった[7]。しかし、荒れた海などのため「ガリレオ・ガリレイ」の砲撃が正確さを欠く一方、「ムーンストーン」の砲撃は「ガリレオ・ガリレイ」の艦橋に続けて命中[6]。「ガリレオ・ガリレイ」では艦長以下士官がほぼ全員死亡した[7]。誰かがエンジンを止めると、イタリア人たちは白旗を振って艦から出てきた[6]。おそらく、彼らはクロロメタン中毒になっていた[6]。この戦闘でのイタリア側の死者は16名であった[8]。
イギリス人は「ガリレオ・ガリレイ」のエンジンを始動させ、駆逐艦「カンダハー」が曳航してアデンへ持っていった[9]。
イタリア側はコードブックが敵の手に渡ったものと判断して暗号を変更したが、実際にイギリス側が入手したのはコードブックではなく作戦命令書であり、その情報を元にイタリア潜水艦「ルイジ・ガルヴァニ」を沈めた[10]。
1942年に「ガリレオ・ガリレイ」はイギリス海軍の潜水艦「X2」となる。1946年1月1日に除籍後、解体処分された。
脚注
[編集]- ^ "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", p. 29
- ^ "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", pp. 29-30
- ^ "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", p. 30
- ^ a b c d e f "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", p. 31
- ^ "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", p. 22
- ^ a b c d e "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", p. 32
- ^ a b "Red Sea Naval War", A War of Intelligence
- ^ "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", p. 33
- ^ The Kelly's, p.105
- ^ Marc'Antonio Bragadin, The Italian Navy in World War II, 1957, Naval Institute, p.23
参考文献
[編集]- Marek Sobski, "Italian Submarines In The Red Sea 1940-1941", Naval Archives Vol.10, KAGERO Publishing, 2019, ISBN 978-83-66148-00-0, pp. 20-49
- Christopher Langtree, The Kelly's: British J, K and N Class Destroyers of World War II, Naval Institute Press, 2002, ISBN 1-55750-422-9
- Vincent P. O'Hara, Enrico Cernuschi, "Red Sea Naval War"
参考図書
[編集]- 「世界の艦船増刊第20集 第2次大戦のイタリア軍艦」(海人社)