キム・グラント
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名前 | ||||||
本名 | Kim Tyrone Grant | |||||
愛称 | グラント将軍 | |||||
カタカナ | キム・タイロン・グラント | |||||
ラテン文字 | Kim Grant | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ガーナ イングランド | |||||
生年月日 | 1972年9月25日(52歳) | |||||
出身地 | セコンディ・タコラディ | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 81kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1988-1991 | チャールトン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1996 | チャールトン | 123 | (18) | |||
1996-1997 | ルートン・タウン | 34 | (5) | |||
1997 | → ミルウォール (loan) | 3 | (3) | |||
1997-1999 | ミルウォール | 52 | (8) | |||
1998-1999 | → ノッツ・カウンティ (loan) | 6 | (1) | |||
1999-2000 | KFCロンメル | 19 | (3) | |||
2000-2001 | マルコ | 2 | (0) | |||
2001 | スカンソープ・ユナイテッド | 4 | (1) | |||
2001-2003 | ヨーヴィル・タウン | 33 | (6) | |||
2003-2004 | イモルタル・アルブフェイラ | 12 | (6) | |||
2004 | サラワク | 7 | (3) | |||
2005 | 湘南ベルマーレ | 0 | (0) | |||
2005 | グレイヴズエンド&ノースフリート | 7 | (1) | |||
2006 | ウィンブルドン | 4 | (0) | |||
2006 | センカン・パンゴール | 19 | (10) | |||
2007 | ゲイラン・ユナイテッド | 8 | (3) | |||
2008 | ウォキング | 0 | (0) | |||
通算 | 333 | (68) | ||||
代表歴 | ||||||
1996-1997 | ガーナ | 14 | (4) | |||
監督歴 | ||||||
?-? | インター・エイリーズ (アシスタント)[1] | |||||
?-? | センカン・パンゴール (アシスタント)[1] | |||||
2008 | ウォキング | |||||
2009 | タコラディ | |||||
2016 | ケープ・コースト・エブスア・ドワーフズ | |||||
2017 | サイーフ | |||||
2017-2018 | エルミナ・シャークス | |||||
2018-2019 | アクラ・ハーツ・オブ・オーク | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
キム・タイロン・グラント(Kim Tyrone Grant, 1972年9月25日 - )は、ガーナ・セコンディ・タコラディ出身の元同国代表の元サッカー選手。現サッカー指導者・経営者。ポジションはフォワード。
世界初の黒人プロサッカー選手 アーサー・ウォートン[2] の直系の子孫[3][4]。
経歴
[編集]クラブ
[編集]セコンディ・タコラディに生まれたグラントは、9歳の時に家族と共にイングランドへ渡り、16歳の時に本格的にサッカーを始めるため学校を去り、同年にチャールトン・アスレティックFCと契約した[1]。1991年3月に同チームのトップチームと初プロ契約を結び[5]、約6シーズンの間に123試合18得点を記録[6]。FAカップの舞台ではプレミアリーグの強豪マンチェスター・ユナイテッドFCやリヴァプールFCとも対戦し、1996年のリヴァプール戦(1-2)ではディビッド・ジェームスが守るゴールに20ヤードの距離から得点を挙げた[7]。
1996年3月に[5]ルートン・タウンFCへ移籍金25万ポンド[6] で移籍。ルートン・タウンでは1年半で43試合8得点を記録[6]。その後、ミルウォールFCでのローン移籍(3試合3得点)を経て、同クラブに移籍金18万5000ポンドで移籍し54試合8得点を記録[6]。1998年12月から1999年2月までローン移籍をしていたノッツ・カウンティFCでは6試合1得点を記録[6]。
1999年にミルウォールを去り、移籍金65万ポンドでベルギー1部のKFCロンメル(現ロンメル・ユナイテッド)に移籍[6]。ロンメルでの1シーズンで19試合3得点を挙げ、ポルトガル2部のFCマルコと契約し、2000-01シーズンに2試合出場した[8]。
2001年8月にイングランド・サッカー界に戻り、スカンソープ・ユナイテッドと契約し4試合1得点を挙げた後、10月にヨーヴィル・タウンFCへ移籍[6]。ヨーヴィル・タウンでの1年目はFAトロフィーを獲得したものの、リーグ戦 (5部)は2位だったため惜しくも昇格を逃したが、2年目に優勝し、4部へ昇格を果たした。
ヨーヴィル・タウンで33試合6得点を記録した[6] 後、2003年に再びポルトガル・サッカー界に行き、イモルタル・アルブフェイラ(現イモルタルDC)と契約し12試合6得点を記録[8]。2004年にマレーシア1部のサラワクFAで7試合3得点を記録[8]。2005年に移籍した日本2部の湘南ベルマーレでは出場0となり失敗に終わった[8]。
2005年8月にグレイヴズエンド・アンド・ノースフリートFCと契約し、イングランド・サッカー界に復帰[6]。グレイヴズエンド・アンド・ノースフリートでは7試合1得点を記録した[8] 後、2006年2月にAFCウィンブルドンと契約[9] し、4試合に出場した。
2006年にシンガポール1部のセンカン・パンゴールFC(後のホウガン・ユナイテッドFC)と契約し、19試合10得点を記録[8]。2007年に同リーグのゲイラン・ユナイテッドFCで8試合3得点を記録[8]。
代表
[編集]故郷のガーナ代表としてアフリカネイションズカップ1996予選や1998 FIFAワールドカップ・アフリカ予選でプレーし、14試合4得点を記録[1]。
監督と経営者
[編集]2008年5月にイングランド5部のウォキングFCの監督に就任した[10] が、7試合で僅か勝ち点2だったため9月3日に解任された[11]。2009年夏にガーナへ戻り、新たに設立されたFCタコラディのオーナー兼ヘッドコーチに就任[1] し、2013年にはウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCのスカウトを担当している[12]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
1990-91 | チャールトン | 2部 | 12 | 2 | |||||||
1991-92 | 4 | 0 | |||||||||
1992-93 | 21 | 2 | |||||||||
1993-94 | 30 | 1 | |||||||||
1994-95 | 26 | 6 | |||||||||
1995-96 | 30 | 7 | |||||||||
ルートン・タウン | 10 | 3 | |||||||||
1996-97 | 3部 | 25 | 2 | ||||||||
1997-98 | 0 | 0 | |||||||||
ミルウォール | 39 | 8 | |||||||||
1998-99 | 16 | 3 | |||||||||
ノッツ・カウンティ | 6 | 1 | |||||||||
ベルギー | リーグ戦 | リーグ杯 | ベルギー杯 | 期間通算 | |||||||
1999-00 | ロンメル | 1部 | 19 | 3 | |||||||
2000-01 | 2部 | ||||||||||
ポルトガル | リーグ戦 | リーグ杯 | ポルトガル杯 | 期間通算 | |||||||
2000-01 | マルコ | 2部 | 2 | 0 | |||||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2001-02 | スカンソープ | 4部 | 4 | 1 | |||||||
2001-02 | ヨーヴィル・タウン | 5部 | 20 | 5 | |||||||
2002-03 | 13 | 1 | |||||||||
ポルトガル | リーグ戦 | リーグ杯 | ポルトガル杯 | 期間通算 | |||||||
2003-04 | イモルタル | 4部 | 12 | 6 | |||||||
マレーシア | リーグ戦 | マレーシア杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | サラワク | 7 | 3 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 湘南 | 11 | J2 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2005-06 | グレイブズエンド | 7 | 1 | ||||||||
ウィンブルドン | 4 | 0 | |||||||||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | センカン・パンゴール | Sリーグ | 19 | 10 | |||||||
2007 | ゲイラン | 8 | 3 | ||||||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2008 | ウォキング | 5部 | 0 | 0 | |||||||
通算 | イングランド | 2部 | |||||||||
イングランド | 3部 | ||||||||||
イングランド | 4部 | ||||||||||
イングランド | 5部 | ||||||||||
ベルギー | 1部 | ||||||||||
ベルギー | 2部 | ||||||||||
ポルトガル | 2部 | ||||||||||
ポルトガル | 4部 | ||||||||||
マレーシア | |||||||||||
日本 | J2 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
シンガポール | Sリーグ | ||||||||||
総通算 |
代表歴
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 7試合 1得点(1996年-1997年)[13]
ガーナ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1996 | 3 | 1 |
1997 | 4 | 0 |
通算 | 7 | 1 |
脚注
[編集]- ^ a b c d e "Coaches"
- ^ "World's first black professional footballer Arthur Wharton honoured"
- ^ "Film premiere to tell the story of the world's first black professional footballer"
- ^ "Kim Grant with Arthur Wharton - 1st Black professi"
- ^ a b Hugman, Barry J., ed. (2005). The PFA Premier & Football League Players' Records 1946–2005. Queen Anne Press. p. 245. ISBN 1-85291-665-6.
- ^ a b c d e f g h i "Kim Grant" soccerbase
- ^ "Charlton fall to dynamic duo"
- ^ a b c d e f g "Grant, Kim" National Football Teams
- ^ "Dons sign another international"
- ^ "Woking appoint Grant as new boss"
- ^ "Woking boss Grant sacked by club"
- ^ "Ex-Ghana star Kim Grant wants GFA to close chapter on Ayews and Boateng"
- ^ キム・グラント - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- キム・グラント - National-Football-Teams.com
- キム・グラント - Soccerbase.comによる選手データ
- キム・グラント - FootballDatabase.eu
- キム・グラント - WorldFootball.net
- キム・グラント - Transfermarkt.comによる選手データ
- キム・グラント - Transfermarkt.comによる指導者データ
- キム・グラント - FIFA主催大会成績
- FCタコラディ公式HP