キャノネロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キャノネロ
欧字表記 Canonero II
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1968年
死没 1981年
プリテンダー
ディキシーランド
母の父 ナンターラ
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 エドワード・B・ベンジャミン
馬主 エドガー・ケイベット
→キング・ランチ
調教師 ファン・アリアス(ベネズエラ
→バディ・ハーシュ(アメリカ
競走成績
生涯成績 23戦9勝
獲得賞金 36万804ドル(ドル換算)
テンプレートを表示

キャノネロ (Canonero II) はアメリカ合衆国で生まれ、ベネズエラアメリカ合衆国調教を受けた競走馬である。スペイン語ではカニョネロ(Cañonero II)。アメリカ国外調教でケンタッキーダービーを優勝した唯一の競走馬である。その後、プリークネスステークスでも優勝して二冠馬となる。

生涯[編集]

アメリカ合衆国ケンタッキー州で生まれたキャノネロは生まれつき前脚が湾曲していたこともあり期待はされず、1歳の時にキーンランドのセリ市にて1200ドルで売却され、購入したエドガー・ケイベットは彼の生まれ故郷であるベネズエラ競走させることにした。

3歳となった1971年、ベネズエラで競走を重ねたキャノネロはアメリカ最大の競走で、かつ三冠競走の緒戦であるケンタッキーダービーに出走することになり、グスタヴォ・アヴィラ騎手を背にケンタッキーに戻ってきたものの人気は無く、馬券はキャノネロを含む6頭をカップリングして扱われる存在であった[1]

道中では出走20頭中の18番手につけ、1マイル(約1608メートル)を通過したあたりから驚異的な追い上げを見せ、最後の直線で2着馬ジムフレンチを3馬身3/4差で突き放してゴール、圧勝でその名を知れ渡らせた。その実力はフロック視されたものの、続く三冠競走の第2戦であるプリークネスステークスも優勝し、実力が認められることとなった。

三冠に王手をかけたキャノネロは最終戦、ニューヨーク郊外のベルモントパーク競馬場で行われるベルモントステークスに出走し、ニューヨークから多くのラティーノが詰め掛け三冠の期待がかかったが、キャノネロは中間に脚感染症を患った影響もあり、4着に敗れた。同年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選ばれている。

その後テキサス州の大牧場主であるキング・ランチに売却され、後にアメリカ競馬殿堂入りしたバディ・ハーシュ調教師が回復させ、翌1972年のスタイミーハンデキャップでは同年の二冠馬であるリヴァリッジを破っている。

1972年末に引退し種牡馬となり、1981年に13歳で死亡している。

評価[編集]

主な勝鞍[編集]

※当時はグレード制未導入

年度代表馬[編集]

血統表[編集]

キャノネロ血統プリンスローズ系 / Blenheim 5x5=6.25%) (血統表の出典)

Pretendre
1963 栗毛 イギリス
父の父
Doutelle
1954 栗毛 イギリス
Prince Chevalier Prince Rose
Chevalerie
Above Board Straight Deal
Feola
父の母
Limicola
1948 栗毛 イギリス
Verso Pinceau
Variete
Uccello Donatello
Great Tit

Dixieland
1961 鹿毛 アメリカ
Nantallah
1953 鹿毛 アメリカ
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Shimmer Flares
Broad Ripple
母の母
Ragtime Band
1945 鹿毛 アメリカ
Johnstown Jamestown
La France
Martial Air Man o' War
Baton F-No.4-n


脚注[編集]

  1. ^ 日本の競馬では、枠番連勝式以外は全て個々の馬が投票対象となるが、アメリカヨーロッパでは人気が無いと考えられる馬や同馬主の競走馬群をカップリングして馬券が発売されることがある。なお、この競走でキャノネロとともにカップリング対象になった残り5頭は、同競走の下位をすべて占める結果となっている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]