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キャムローズ子爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キャムローズ子爵

紋章記述

Crest: A griffin sejant reguardant Sable collared Or. Escutcheon:Argent three bars Gules over all a pile Ermine. Supporters:On either side a wolf Proper gorged with a collar Or pendent therefrom an escutcheon Sable charged with two pens in saltire Argent.
創設時期1941年1月20日
創設者ジョージ6世
貴族連合王国貴族
初代初代子爵ウィリアム・ベリー英語版
現所有者3代子爵ジョナサン・ベリー
相続人ヒューゴ・ベリー閣下
付随称号キャムローズ男爵
(ハックウッド・パークの)準男爵
現況存続
モットー『善行に生きよ』(Vivere Virtute)

キャムローズ子爵: Viscount Camrose)は、イギリスの子爵貴族連合王国貴族爵位。実業家ウィリアム・ベリー英語版1941年に叙されて以来、ベリー家が保持する。

歴史

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初代子爵が社主を務めたデイリー・テレグラフ紙本社

数々の英大手新聞社を買収した実業家ウィリアム・ベリー英語版(1879-1954)1921年に連合王国準男爵位の(ハンプシャー州ハックウッド・パークの)準男爵(Baronet, of Hackwood Park, in the County of Hampshire)に叙されたことを発端とする[1][2]。彼は『デイリー・テレグラフ』紙の経営権を得た翌年の1929年には連合王国貴族としてサリー州ロング・クロスのキャムローズ男爵(Baron Camrose, of Long Cross in the County of Surrey)に昇叙した[註釈 1][1][3]。彼はさらに1941年にはサウサンプトン州ハックウッド・パークのキャムローズ子爵(Viscount Camrose, of Hackwood Park in the County of Southampton)に陛爵している[1][4]

彼ののちは、その息子のジョンが爵位を継承し、2代子爵ジョン(1909-1995)が嗣子なく没すると、爵位は弟のウィリアムの系統に移行することとなった[1]

その弟ウィリアム・マイケル・ベリー(1911-2001)[註釈 2]は父祖の新聞事業を引き継いで活動したほか、1968年1月19日一代貴族たるシティ・オブ・オンドンにおけるピーターバラ・コートのハートウェル男爵(Baron Hartwell, of Peterborough Court in the City of London)に叙せられている[1][5]。彼はその最晩年にあたる1995年に兄ジョンの死去に伴って、キャムローズ子爵を継承すると同時に、1963年貴族法に基づいて爵位一代放棄を行った[註釈 3][1][6]。彼が2001年に没すると、ハートウェル男爵は消滅した[1]

その孫にあたる5代子爵ジョナサン(1970-)が2020年現在のキャムローズ子爵家現当主である[1]

現当主の保有爵位/準男爵位

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現当主である第5代キャムローズ子爵ジョナサン・ウィリアム・ベリーは、以下の爵位を有する[1]

  • 第5代サウサンプトン州ハックウッド・パークのキャムローズ子爵(5th Viscount Camrose, of Hackwood Park in the County of Southampton)
    (1941年1月20日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第5代サリー州ロング・クロスのキャムローズ男爵(5th Baron Camrose, of Long Cross in the County of Surrey)
    (1929年6月19日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第5代(ハンプシャー州ハックウッド・パークの)準男爵(5th Baronet, of Hackwood Park, in the County of Hampshire)
    (1921年7月4日の勅許状による連合王国準男爵位)

キャムローズ子爵(1941年)

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爵位の推定相続人は、現当主の息子であるヒューゴ・ウィリアム・ベリー(2000-)閣下。

系図

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脚注

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註釈

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  1. ^ 初代子爵ウィリアムは3兄弟の次男として生まれて、その兄はバックランド男爵英語版に叙されたほか、末弟はケムズリー子爵に叙されている。
  2. ^ 彼は襲爵と同時に爵位一代放棄を行使したため、その意思を尊重して、爵位に関する敬称はこれを省く。
  3. ^ 当該爵位一代放棄は子爵位及び男爵位を対象に行われたもの。一代貴族爵位は爵位放棄できないことから、ハートウェル男爵位はその対象外であった。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i Camrose, Viscount (UK, 1941)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月2日閲覧。
  2. ^ No.32346”. The Gazette 4 June 1921. 2020年2月2日閲覧。
  3. ^ No.33510”. The Gazette 28 June 1929. 2020年2月2日閲覧。
  4. ^ No.35057”. The Gazette 28 January 1941. 2020年2月2日閲覧。
  5. ^ No.44507”. The Gazette 19 January 1968. 2020年2月2日閲覧。
  6. ^ Hart-Davis, Duff (4 April 2001). "Lord Hartwell (obituary)". Independent.co.uk (英語). London: Independent News and Media英語版. 2008年6月16日閲覧

関連項目

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