キラ・カアイフエ
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ハワイ州オアフ島カイルア |
生年月日 | 1984年3月29日(40歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 235 lb =約106.6 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト15巡目(全体438位) |
初出場 |
MLB / 2008年9月4日 NPB / 2013年7月9日 |
最終出場 |
MLB / 2012年6月5日 NPB / 2014年9月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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マイカ・キラ・カアイフエ(Micah Kila Ka'aihue、1984年3月29日 - )は、アメリカ合衆国・ハワイ州出身のプロ野球選手(一塁手)。右投げ左打ち。
経歴
[編集]高校時代
[編集]2001年、ハワイ州高校選抜チームの一員として来日している。投手、内野手として日米親善高校野球大会に出場した(中国地区を巡回)。
ロイヤルズ時代
[編集]2002年6月4日にMLBドラフト15巡目でカンザスシティ・ロイヤルズから指名を受けた。6月24日に選手契約を結び、プロ入り。同年は、ガルフ・コーストリーグのGCLロイヤルズ(ルーキー級)に所属。43試合に出場し、打率.259・3本塁打・21打点という成績を残した。
2003年は、バーリントン・ビーズ(A級)に昇格した。そこでは114試合に出場して打率こそ.238と低かったものの、11本塁打を放ち、63打点をマークした。
2004年も、引き続きビーズでプレイ。2003年より僅かに出場試合数が増え、125試合に出場した。また、打率も僅かながら上昇したが、それでも.246と、2年連続で.250以下の打率に終わった。一方で15本塁打を放ち、62打点をマークした。
2005年は、ハイデザート・マーベリックス(A+級)に所属し、132試合に出場。打率.304・20本塁打・90打点という好成績を残した。また、97三振に対して同数の97四球を選び、出塁率は.428という高い数字を残した。
2006年は、ウィチタ・ラングラーズ(AA級)でプレイして、103試合に出場。しかし、103試合で65本しかヒットを放てず、打率.199・6本塁打・45打点という低調な成績に終わった。
2007年は、ウィルミントン・ブルーロックス(A+級)で60試合に出場。2006年と比べると復調し、打率.251・9本塁打・42打点という成績をマーク。シーズン途中でラングラーズに再昇格し、70試合で打率こそ.246だったが、12本塁打・40打点という成績を残し、2005年に20本塁打を記録して以来、2年ぶりの20本塁打を記録した。
2008年は、ノースウェスト・アーカンサスナチュラルズ(AA級)で91試合に出場。打率.314・26本塁打・79打点と2007年までとは比べものにならないペースで打ちまくった。また、91試合で80四球を選んだのに対して、喫した三振は41個。その為、出塁率は.463という高い数字だった。その後、好調の影響でオマハ・ロイヤルズ(AAA級)に昇格したが、ここでも勢いは衰えず、33試合の出場で打率.316・11本塁打・21打点という成績を残した。結局2008年は、AA級とAAA級の2チームで計124試合に出場し、打率.314・37本塁打・100打点というハイレベルな成績を記録した。そして、9月のロースター拡大に伴って、メジャーリーグに昇格[1]。9月4日にメジャーデビューを果たした。メジャーリーグでは12試合に出場しただけだったが、打率.286という数字を記録し、メジャー昇格1年目で本塁打も放った。
2009年は、メジャーでの出場は無かった。
2010年には、メジャーで、8本塁打を放った。
2011年は、エリック・ホズマーの台頭もあり、控えに回された。9月21日にDFAとなる[2]。
アスレチックス時代
[編集]2011年9月27日にオークランド・アスレチックスへトレードされた。
2012年はマリナーズと東京の東京ドームで開催されたMLB日本開幕戦のメンバーとして訪日している。6月6日にDFAになる[3]。
ダイヤモンドバックス時代
[編集]2012年11月21日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結ぶ[4]。
2013年は3Aで53試合に出場し、打率313、16本塁打、50打点の成績を残した。
広島時代
[編集]2013年6月11日、広島東洋カープと契約合意した事が球団から発表された[5]。キラの入団により、広島は外国人選手が7人という異例の事態となった(ドラフトを経ているため申成鉉は日本人選手扱い)。背番号は13に決まった。登録名はファーストネームまで含んだ「キラ・カアイフエ」。
入団後しばらくは二軍生活だったが、7月9日に一軍昇格し、同日のDeNA戦で「5番・一塁」でスタメン出場し、第3打席でNPB第1号本塁打を放つ。翌10日には「3番・一塁」でスタメン出場し第1打席で2試合連続となる本塁打を放ち、さらに翌11日の試合では2本の本塁打を放つなど、このDeNAとの3連戦だけで10打数5安打、4本塁打、10打点、打率.500という驚異的な成績を残した[6]。後半戦から一軍のクリーンナップに定着した当シーズンは、途中加入ながら14本塁打45打点をマークする活躍を見せ、カープとしては16年ぶりのAクラス入りに大きく貢献した。
2014年は同じく助っ人のブラッド・エルドレッドとともに打線の軸として期待された。開幕からまずまずの結果を出し、オールスターゲームにも初めて選出された。しかし、シーズン中盤から故障などもあって、成績が徐々に下降し、更に負傷離脱の間に一軍で活躍したライネル・ロサリオの台頭によって外国人枠から弾き出され、後半戦は大きく出場機会を減らした。最終的には88試合の出場で打率.257、本塁打11本、40打点と、1シーズン在籍しながら打撃成績を軒並み昨年より落とした。12月2日、自由契約公示された[7]。
広島退団後
[編集]2015年1月18日に、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。スプリングトレーニングには招待選手として出場した[8]。5月24日にFAとなる。6月18日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。
現役引退後
[編集]2017年、ハワイにあるヘンリー・J・カイザー・ハイスクール野球部のコーチに就任し、2020年まで務めた[9]。
2021年にはハワイ大学野球部のコーチに就任した[9][10]。
選手としての特徴
[編集]マイナーリーグ時代には12シーズン中、2ケタ本塁打を10度、うち20本塁打以上を4度記録しているパワーが持ち味。また、選球眼に優れており、マイナーリーグでは通算871三振に対して812四球を記録し、通算打率.268ながら通算出塁率.391という高い数字を残している。NPBでも2013年は打率.259だが出塁率.362で1割以上高かった。
人物
[編集]弟のカラ・カアイフエは、元マイナーリーガーで、父親も元マイナーリーガーである[11]。
応援歌の原曲はハワイ民謡の「Ta-Hu-Wa-Hu-Wai(タフアフアイ)」。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2008 | KC | 12 | 24 | 21 | 4 | 6 | 0 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | .286 | .375 | .429 | .804 |
2010 | 52 | 206 | 180 | 22 | 39 | 6 | 1 | 8 | 71 | 25 | 0 | 1 | 1 | 1 | 24 | 2 | 0 | 39 | 5 | .217 | .307 | .394 | .702 | |
2011 | 23 | 96 | 82 | 6 | 16 | 4 | 0 | 2 | 26 | 6 | 0 | 0 | 1 | 1 | 12 | 0 | 0 | 26 | 3 | .195 | .295 | .317 | .612 | |
2012 | OAK | 39 | 139 | 128 | 13 | 30 | 9 | 0 | 4 | 51 | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 1 | 28 | 6 | .234 | .295 | .398 | .693 |
2013 | 広島 | 66 | 265 | 224 | 31 | 58 | 7 | 0 | 14 | 107 | 45 | 0 | 0 | 0 | 3 | 36 | 0 | 2 | 65 | 2 | .259 | .362 | .478 | .840 |
2014 | 88 | 335 | 288 | 25 | 74 | 13 | 0 | 11 | 120 | 40 | 0 | 0 | 0 | 2 | 41 | 0 | 4 | 85 | 4 | .257 | .355 | .417 | .772 | |
MLB:4年 | 126 | 465 | 411 | 45 | 91 | 19 | 1 | 15 | 157 | 46 | 1 | 1 | 2 | 2 | 49 | 2 | 1 | 95 | 14 | .221 | .305 | .382 | .687 | |
NPB:2年 | 154 | 600 | 512 | 56 | 132 | 20 | 0 | 25 | 227 | 85 | 0 | 0 | 0 | 5 | 77 | 0 | 6 | 150 | 6 | .258 | .358 | .443 | .805 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
一塁 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
2013 | 63 | 498 | 45 | 7 | 52 | .987 |
2014 | 75 | 592 | 32 | 8 | 56 | .987 |
通算 | 138 | 1090 | 77 | 15 | 108 | .987 |
記録
[編集]- NPB
- 初出場・初先発出場:2013年7月9日、対横浜DeNAベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、5番・一塁手で先発出場
- 初打席:同上、2回表に三嶋一輝から四球
- 初安打・初本塁打・初打点:同上、6回表に三嶋一輝から中越ソロ
- NPBその他の記録
背番号
[編集]- 25 (2008年、2010年、2012年)
- 30 (2011年)
- 13 (2013年 - 2014年)
脚注
[編集]- ^ 『月刊スラッガー2008年11月号』日本スポーツ企画出版社出版、2008年、78頁頁。雑誌15509-11。
- ^ Royals designate Ka'aihue for assignment
- ^ A's turn to Moss at first as Ka'aihue designated
- ^ Minor Moves: Ka'aihue, Hinshaw, Luna, Pirates
- ^ http://www.carp.co.jp/news13/s-022.html キラ・カアイフエ選手、選手契約合意
- ^ 広島救世主キラ様 3戦連発4号10打点
- ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
- ^ Bill Ladson Nationals sign Ka'aihue to Minor League deal MLB.com (2015年1月18日) 2015年1月19日閲覧
- ^ a b “Former Big Leaguer Joins Coaching Staff”. The Official Athletics Website of the University of Hawai'i at Manoa (2021年1月11日). 20221-01-14閲覧。
- ^ “元広島キラ氏がハワイ大野球チームコーチ就任”. 日刊スポーツ. (2021年1月13日) 2021年1月14日閲覧。
- ^ 『月刊スラッガー2009年4月号』日本スポーツ企画出版社出版、2009年、27頁頁。雑誌15509-11。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Kila Ka'aihue stats MiLB.com
- 個人年度別成績 キラ・カアイフエ - NPB.jp 日本野球機構