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金光植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キラー・キムから転送)
金 光植
プロフィール
リングネーム 金 光植
キム・クワンシク
キラー・キム
本名 金 光稙[1](김광식)
ニックネーム 韓国の殺し屋
身長 180cm[2]
体重 98kg(全盛時)[2]
誕生日 1952年????[2]
死亡日 1991年8月1日[3]
出身地 大韓民国の旗 大韓民国 全羅南道[2]
所属 金一プロモーション[4]
スポーツ歴 バレーボール
レスリング[5]
トレーナー 大木金太郎[6]
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金 光植(キム・クワンシク、Kim Kwang Sik朝鮮語: 김광식1952年1991年8月1日[3])は、大韓民国出身のプロレスラー。正確な漢字表記は「金 光[1]」だが、本項では来日時に用いられていた表記を使用。

大木金太郎の歳の離れた末弟であり[1]、日本では全日本プロレス国際プロレスのリングで活動した[2]

来歴

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実兄の大木金太郎が主宰していた韓国の金一道場を経て、1976年7月、大木の日本での主戦場だった全日本プロレスに留学生として来日[2]。全日本の合宿所でトレーニングを積んだ後、同年11月開幕の『スーパー・パワー・シリーズ』に出場[7]。日本でのデビュー戦となる開幕戦の後楽園ホール大会では大仁田厚から勝利を収めた[7]。その後も全日本のリングで実戦を重ね、1978年2月の全日本プロレス・国際プロレス・韓国(金一道場)の3軍対抗戦『全軍激突戦』では、大木やキム・ドクに次ぐ韓国軍の3番手となって天龍源一郎らと対戦した[2][8]

1979年3月より国際プロレスに出場[9]1980年には、当時国際プロレスに入団していた大木との兄弟タッグも実現した[10]。国際プロレスでは、アレックス・スミルノフオックス・ベーカージプシー・ジョービッグ・ジョン・クインロン・バスなどの外国人エースともシングルマッチで対戦している[10]

1982年アメリカNWAロサンゼルス地区(NWAハリウッド・レスリング)に渡り、キラー・キムKiller Kim)をリングネームヒールコリアンとして活動[2]。9月17日にブラック・ゴールドマンを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだったNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得した[11]。同王座は、兄の大木も戴冠したWWA世界ヘビー級王座の後継タイトルでもあった[3]。同年はメキシコUWAおよびEMLLにも参戦しており、カネックと組んでアンドレ・ザ・ジャイアントドス・カラス、そして当時メキシコ遠征中だった長州力ともタッグマッチで対戦している[10]

韓国へ戻った後、1983年5月に全日本プロレスの『グランド・チャンピオン・カーニバルII』にキラー・キムとして出場[2]ディック・スレーターザ・デストロイヤーニコリ・ボルコフとのシングルマッチが組まれ、タッグマッチではジャンボ鶴田と組んでブルーザー・ブロディとも対戦した[10]NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座の争奪戦にもエントリーしていたが、体重オーバーで不参加となっている[12]

1985年6月20日には母国で李王杓をパートナーに、ブレード・マスターズ&ミスターXを破ってNWAオリエンタル・タッグ王座を獲得した[13]。その後、1986年の全日本プロレス台湾遠征の参加選手として発表されるも参加することはなかった。以降の活躍は聞かれなかったが、試合には1989年まで出場していた[3]

1991年8月1日[3]交通事故により死去[14]1995年ベースボール・マガジン社週刊プロレス)主催の『夢の懸け橋』で引退セレモニーが行われた大木から、ジャイアント馬場に訃報が告げられた。大木は末弟の死を無念に思い、詳細を周囲に話したがらなかったという[3]

得意技

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獲得タイトル

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NWAハリウッド・レスリング
金一プロモーション
  • NWAオリエンタル・タッグ王座:1回(w / 李王杓[13]

脚注

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  1. ^ a b c 『Gスピリッツ Vol.56』P17(2020年、辰巳出版ISBN 4777826074
  2. ^ a b c d e f g h i 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P95(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b c d e f 『Gスピリッツ Vol.45』P72(2017年、辰巳出版ISBN 477781954X
  4. ^ “기지개 켜는 프로 레슬링” (朝鮮語). 스포츠동아 (ソウル特別市). (1986年8月27日) 
  5. ^ “金一(김일)동생 金光植(김광식)군 배구서 레슬링으로” (朝鮮語). 京郷新聞 (ソウル特別市). (1970年7月28日). https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1970072800329206020&editNo=2&printCount=1&publishDate=1970-07-28&officeId=00032&pageNo=6&printNo=7634&publishType=00020 2023年5月4日閲覧。 
  6. ^ a b c Kim Kwang Sik”. Cagematch.net. 2023年3月11日閲覧。
  7. ^ a b Matches: Kim Kwang Sik 1976-1978”. Cagematch.net. 2023年3月13日閲覧。
  8. ^ 1978 All Japan - IWE - Korea: Triple Group Competitions”. Puroresu.com. 2023年3月11日閲覧。
  9. ^ Matches: Kim Kwang Sik 1978-1979”. Cagematch.net. 2023年3月13日閲覧。
  10. ^ a b c d Matches: Kim Kwang Sik 1979-1983”. Cagematch.net. 2023年3月11日閲覧。
  11. ^ a b NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年3月11日閲覧。
  12. ^ プロレスYEAR'SBOOK1984 (1984年2月1日 恒文社 雑誌67773‐41)
  13. ^ a b NWA Oriental Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年5月1日閲覧。
  14. ^ “나의 젊음,나의 사랑 프로 레슬러 김일 (5) 레슬러의 산실'문화체육관'” (朝鮮語). 京郷新聞 (ソウル特別市). (1998年9月29日). https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1998092900329122003&editNo=40&printCount=1&publishDate=1998-09-29&officeId=00032&pageNo=22&printNo=16551&publishType=00010 2023年5月4日閲覧。 
  15. ^ NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年5月1日閲覧。
  16. ^ Beat the Champ Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年7月13日閲覧。

外部リンク

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