キリ・ゴンサレス
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名前 | ||||||||||||||
本名 |
クリスティアン・アルベルト・ゴンサレス・ペレト Cristian Alberto González Peret | |||||||||||||
愛称 | キリ | |||||||||||||
ラテン文字 | Kily GONZÁLEZ | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
アルゼンチン スペイン | |||||||||||||
生年月日 | 1974年8月4日(50歳) | |||||||||||||
出身地 | ロサリオ | |||||||||||||
身長 | 175cm | |||||||||||||
体重 | 71kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | MF (LSH) | |||||||||||||
利き足 | 左足 | |||||||||||||
ユース | ||||||||||||||
ロサリオ・セントラル | ||||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1993-1995 | ロサリオ・セントラル | 51 | (7) | |||||||||||
1995-1996 | ボカ・ジュニアーズ | 37 | (3) | |||||||||||
1996-1999 | レアル・サラゴサ | 90 | (15) | |||||||||||
1999-2003 | バレンシア | 92 | (8) | |||||||||||
2003-2006 | インテル | 51 | (0) | |||||||||||
2006-2009 | ロサリオ・セントラル | 76 | (10) | |||||||||||
2009-2010 | サン・ロレンソ | 32 | (0) | |||||||||||
2010-2011 | ロサリオ・セントラル | 17 | (2) | |||||||||||
通算 | 446 | (45) | ||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
1995-2005 | アルゼンチン | 56 | (9) | |||||||||||
2004 | アルゼンチン 五輪 | 6 | (1) | |||||||||||
監督歴 | ||||||||||||||
2020-2022 | ロサリオ・セントラル | |||||||||||||
2023- | ウニオン | |||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
キリ・ゴンサレス (Kily González) こと、クリスティアン・アルベルト・ゴンサレス・ペレト(Cristian Alberto González Peret, 1974年8月4日 - )は、アルゼンチン・ロサリオ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元アルゼンチン代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
経歴
[編集]クラブ
[編集]地元のクラブチームであるCAロサリオ・セントラルのユースチームでキャリアをスタートさせ、1993年にトップチームに昇格[1]。ここで高いレベルのプレーを見せると、レアル・マドリードが獲得に動き、仮契約書にサインをしたが、ディエゴ・マラドーナから直接誘いを受けてボカ・ジュニアーズに移籍した[1]。1シーズンのみのプレーとなったが、翌1996年にはリーガ・エスパニョーラのレアル・サラゴサへ移籍、23のセヴィージャ戦でリーグ初得点を記録。1998-99シーズン、レアルマドリード戦では、6節の対戦に1得点、25節の対戦時に2得点を決めた[2]。
1999-00シーズン、監督に就任したエクトル・クーペルが獲得を熱望して、バレンシアCFへ移籍、すぐにチームのキープレーヤーの一人となった[1]。チャンピオンズリーグにおいてグラスゴー・レンジャーズとの対戦で、バレンシア史上初のチャンピオンズリーグでのゴールを記録した選手となった[3] 。左サイドのポジションのウイングや中盤、セントラルMFの位置でもプレーし、で攻守にわたる活躍を見せ、1999-2000、2000-01シーズンのチャンピオンズリーグ準優勝[1]。2001-02シーズン、怪我で前半戦を欠場したが、リーグ制覇に貢献。2002-03シーズン、度々怪我に悩まされ、13試合に出場したのみに終わった[1]。
2003年にクーペルがインテルナツィオナーレ・ミラノの監督に就任すると再び引き抜かれてインテルへ移籍した。しかし、ここでも度重なる怪我で、途中出場での出場が多く、インテルでは思ったような出場機会が得られなかった[1]。インテルでの3シーズンで、公式戦75試合に出場した[1]。
2005-06シーズン終了後、古巣であるロサリオ・セントラルに復帰した。2009-10シーズンはCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロへ移籍。翌シーズンには三度ロサリオ・セントラルに戻りプレーしたのち、37歳で現役を引退した。
代表
[編集]アルゼンチン代表としては1995年11月にブラジル代表との試合で代表デビューを果たし[4]、以来代表の中心選手として牽引し、2002年の日韓W杯にも出場を果たしたが、グループリーグ敗退を喫した。2004年にはアテネオリンピックにオーバーエイジとして出場し、金メダル獲得に貢献した。[5] 2005年10月に行われたドイツW杯予選を最後に、代表から遠ざかった。
指導者
[編集]1年以上に及ぶリザーブチームでの指導を経て2020年6月24日、CAロサリオ・セントラルのトップチーム監督に就任[6]。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- バレンシア
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1999
- プリメーラ・ディビシオン : 2001-02
- インテル
- コッパ・イタリア : 2004-05, 2005-06
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2005
- セリエA : 2005-06
代表
[編集]- オリンピックアルゼンチン代表
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “Kily Gonzalez, il rosarino di Valencia e Inter che ha vinto l'oro olimpico con l'Argentina”. GOAL (2023年8月4日). 2023年8月19日閲覧。
- ^ “Kily Gonzalez 1998/99”. Transfermarkt. 2023年8月19日閲覧。
- ^ “El Valencia ficha al zaragocista Kily González por 1.300 millones [Valencia signs Zaragoza player Kily González for 1.300 million]” (Spanish). El País. (3 August 1999) 10 Apr 2017閲覧。
- ^ “'KILY' GONZALEZ, Cristian Alberto” (Italian). Treccani (2002年). 28 February 2015閲覧。
- ^ “El autobús argentino, una fiesta [The Argentine bus, a party]” (Spanish). El País. (23 August 2004) 22 November 2013閲覧。
- ^ Pablo Casazza (2020年6月24日). “En la presentación como técnico, el Kily González renovó su idilio con Rosario Central: "Es el amor de mi vida"” (スペイン語). LA NACION. 2021年7月16日閲覧。
外部リンク
[編集]- González, Kily - National Football Teams
- Kily González - transfermarkt