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キリ・テ・カナワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリ・テ・カナワ
キリ・テ・カナワ
基本情報
出生名 クレア・メアリー・テリサ・ローストロン
生誕 (1944-03-06) 1944年3月6日(80歳)
出身地 ニュージーランドの旗 ニュージーランド
学歴 セント・メアリーズ・カレッジ(オークランド
ジャンル クラシック音楽
職業 ソプラノ歌手
担当楽器 ソプラノ
活動期間 1968 - 2017

デイム・キリ・ジャネット・テ・カナワ(Dame Kiri Janette Te Kanawa, ONZ CH DBE AC, 1944年3月6日 - )は、ニュージーランド出身のオペラ歌手、声楽家

来歴

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ギズボーン生まれ。誕生名はクレア・メアリー・テリサ・ローストロン(Claire Mary Teresa Rawstron)で、ヨーロッパ人とマオリ族の血を引いているが、生みの親は不明である。ごく幼いころにアイルランド人のネル(Nell)とマオリのトーマス・テ・カナワ夫妻の養女となる。

オークランドのセント・メアリーズ・カレッジにてオペラ指導者のデイム・シスター・メアリー・レオの指導を受ける。メゾソプラノ歌手として活動を始め、その後、ソプラノ歌手へ転身する。

モービル・ソング・クエストでジョン・コート・アリア賞を受賞。1965年に奨学金を得てロンドン・オペラ・センター(現在は廃校)へ留学し、ジェームス・ロバートソン、ヴェラ・ローサに師事。

1968年の『魔笛』(サドラーズウェルズ劇場)でデビュー。1969年のカムデン音楽祭でロッシーニの『湖上の美人』を歌い劇場デビューする。1971年の『フィガロの結婚』の伯爵夫人役にて成功をおさめ、以後、サンフランシスコ歌劇場、メトロポリタン歌劇場スカラ座に出演。『オテロ』のデスデモーナ役でウィーン国立歌劇場デビューする。1981年に、チャールズ3世(当時皇太子)とダイアナ・スペンサーの結婚式に出席、祝いの歌を披露する。1984年グラミー賞・最優秀オペラ録音賞を受賞。オペラ歌手としてパリ国立オペラシドニーオペラハウス、ミュンヘン歌劇場、ケルン歌劇場ほかに出演。

男性でいう勲位(ナイト)の女性版である大英帝国勲章(デイム・コマンダー)を授けられ[1]ニュージーランド勲章オーストラリア勲章英語版も授与されている。2006年ヴィクトリア大学ウェリントンより名誉博士号(音楽学)を授与されている。

1991年ラグビーワールドカップのテーマ曲である『ワールド・イン・ユニオン』(World In Union)を歌う。この曲はグスターヴ・ホルストの組曲『惑星』第4曲「木星-快楽をもたらすもの」の中間部[Andante Maestso]に独自の歌詞をつけたもの。

2004年サミュエル・バーバーの歌劇『ヴァネッサ』を最後にオペラ歌手を引退する。オペラ歌手引退後も引き続きイギリスを中心に、リサイタル、コンサートへ出演をしている。オペラのほか、オーケストラとの共演、収録CDを多数発表している。

2013年9月に来日し、東京都中野区なかのZERO大ホールで、9月10日に開催された東京国際コンサートに出演した[2]

2013年放送の『ダウントン・アビー』シーズン4に、オーストラリア出身の歌手ネリー・メルバ役で出演した。

2017年9月に引退を表明。

私生活

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  • 1967年にデスモンド・パークと結婚し、2人の養子アントニアとトーマスを育てるも、1997年に離婚した。
  • キリ・テ・カナワ基金を設立し、ニュージーランド人の音楽家育成に資金を提供している。

脚注

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  1. ^ "New Year Honours 1982" (24 June 1982) 62 New Zealand Gazette 1995.
  2. ^ “10日は中野で国際交流オペラ”. スポーツニッポン (株式会社スポーツニッポン新聞社). (2013年9月7日)