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デビッド・ヒース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ギャングレルから転送)
ギャングレル
ギャングレルの画像
2007年
プロフィール
リングネーム ギャングレル
バンパイア・ウォリアー
デストラクション
ザ・ブラックハート
ザ・ドルイド
ザ・ウォーロック
ブラック・ファントム
本名 デビッド・ヒース
ニックネーム 吸血鬼
身長 188cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 (1969-02-16) 1969年2月16日(55歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州の旗 フロリダ州タンパ
トレーナー ディーン・マレンコ
デビュー 1988年
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デビッド・ヒースDavid William Heath1969年2月16日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーフロリダ州タンパ出身[1]

ギャングレルGangrel、日本では「ガングリル」「ギャングリル」「ガングレル」と表記される場合もある)、バンパイア・ウォリアーThe Vampire Warrior)などのリングネームで知られる。

元妻は往年の名レスラー、ブッチャー・バションマッドドッグ・バションの実弟)の娘であるルナ・バション[2]

来歴

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ディーン・マレンコのトレーニングを受け、1988年にデビュー[3]。地元フロリダのインディー団体を経てカナダカルガリースタンピード・レスリングに参戦し、トム・ナッシュとの覆面タッグチームザ・ブラックハーツThe Blackhearts)を結成[4]。ナッシュはアポカリプス、ヒース自身はデストラクションを名乗り、黒装束に白い仮面、その下には顔全体が隠された黒覆面という、『オペラ座の怪人』をイメージした怪奇派タッグとしてセンセーショナルな存在となる。

1991年2月にはブラックハーツとして全日本プロレスに初来日[5]。来日前に専門誌で特集が組まれるなど前人気は上々だったが、キャリア不足もあって試合では活躍を果たせなかった。同年9月の再来日ではダグ・ファーナス&ダニー・クロファットカンナム・エクスプレスが保持するアジアタッグ王座に挑戦。後楽園ホールスタン・ハンセン&ダニー・スパイビーとも対戦している[6]

その後ブラックハーツを脱退して素顔になり、1993年メンフィスUSWA吸血鬼ギミックバンパイア・ウォリアーに変身。後に妻となるルナ・バションをマネージャーに従え、ジェフ・ジャレットからUSWA南部ヘビー級王座を奪取した。1994年にはIWAジャパンに来日し、1995年ECWに登場してトミー・ドリーマーと抗争。その後フロリダに戻り、アゴニーことバリー・ヒューストンとブラックハーツを再編、1997年にルナを帯同してIWAジャパンに再来日した(1996年にも、トム・ナッシュとのオリジナル版ブラックハーツを再結成してIWAジャパンに参戦している)[7]

2009年

1998年8月、吸血鬼ギミックはそのままに、ギャングレルのリングネームでWWF(現・WWE)に登場。血(を模した液体)の入ったゴブレットを手に炎の中から登場し、その血をリングインの際に口に含んで噴射させる入場パフォーマンスでヒール人気を呼ぶ[1]。同年11月よりエッジクリスチャンゴシック系ユニットのザ・ブルードThe Brood)を結成[8]。後にこの3人はジ・アンダーテイカー率いる「ミニストリー・オブ・ダークネス」の一員となった。エッジ&クリスチャンと別れた後は、彼らと反目していたハーディー・ボーイズを仲間に引き入れニュー・ブルードを組むが短命に終わる[9]。以降は『ヒート』など前座番組のポジションに甘んじ、体重増加の問題もあって2001年8月にWWFを解雇された[1]

インディー団体を転戦した後、2004年にWWEと再契約を交わす。9月16日のスマックダウンではミニストリー時代の盟友ヴィセラと共にアンダーテイカーとジョン・ブラッドショー・レイフィールドの番外戦に乱入、かつての主君アンダーテイカーを襲撃した[1]。翌週にはヴィセラとのコンビでアンダーテイカーとのハンディキャップ・マッチが組まれるが敗退[10]。以降は出演機会を与えられずにフェードアウトした[1]

2005年3月よりWWEの下部組織OVWに登場し、その後WWEにも登場予定だったが7月5日に解雇[1]2006年、WWE内の第3ブランドとして復活したECWに出演予定で再々契約を交わすも、このときも一度も番組に登場することなく2007年に契約を解除された。その後、同年12月10日に行われたRAW15周年記念大会の15人参加バトルロイヤルに出場している[11]

以降は居住地のカリフォルニアを拠点に、西海岸深南部のインディー団体で活動。イギリスのオールスター・プロモーションズなどヨーロッパにも頻繁に遠征した。2009年11月にはハルク・ホーガンオーストラリアにて開催したイベントであるハルカマニアに参戦[12]2010年8月13日にはJCWに登場し、PPVの "Legends & Loonies" にてケビン・ソーンと吸血鬼タッグを結成して試合を行った[13]2014年6月14日、トミー・ドリーマーが主宰するHOH(House Of Hardcore)に参戦。マット・ストライカーと組んでリキシ&Xパックと対戦。最後にストライカーがリキシからバンザイドロップを決められ敗退した[14]

追記

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  • 彼の妻だったルナ・バションは、もともとはブラックハーツの相方トム・ナッシュと結婚していた[15][16]。バションはナッシュと別れた後、ヒースと1994年に再婚し2児をもうけたが、2006年に離婚している[17]
  • 近年はアノアイ・ファミリーのリキシとブラック・パールがカリフォルニアにて主宰するKPA(KnokX Pro Academy)のトレーナーを兼任しながらレスラー活動を続けている[18]

得意技

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入場曲

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  • Brood

脚注

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  1. ^ a b c d e f Gangrel”. Online World of Wrestling. 2015年8月3日閲覧。
  2. ^ Luna Vachon”. Cagematch. 2015年11月7日閲覧。
  3. ^ Gangrel”. Cagematch. 2015年11月7日閲覧。
  4. ^ Blackhearts”. Online World of Wrestling. 2015年11月7日閲覧。
  5. ^ The AJPW matches fought by Gangrel in 1991 (1)”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  6. ^ The AJPW matches fought by Gangrel in 1991 (2)”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  7. ^ ギャングレル / レスラーノート”. ダークロHP. 2013年6月11日閲覧。
  8. ^ Brood”. Online World of Wrestling. 2015年11月7日閲覧。
  9. ^ New Brood”. Online World of Wrestling. 2015年11月7日閲覧。
  10. ^ WWE SmackDown #267”. Cagematch. 2015年11月7日閲覧。
  11. ^ WWE Monday Night RAW #759 - 15th Anniversary”. Cagematch. 2015年11月7日閲覧。
  12. ^ Hulkamania "Let the Battle Begin" 2009”. Online World of Wrestling. 2010年1月24日閲覧。
  13. ^ JCW Flashlight Wrestling - Legends & Loonies”. Cagematch. 2010年8月14日閲覧。
  14. ^ House of Hardcore VI 6/14/14 Valley Center, CA results”. HouseOfHardcore.net. 2014年6月14日閲覧。
  15. ^ Luna Vachon”. Online World of Wrestling. 2010年9月4日閲覧。
  16. ^ Tom Nash”. Online World of Wrestling. 2010年9月4日閲覧。
  17. ^ Conversations with Gangrel”. AdultFYI.com: November 15, 2007. 2007年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月4日閲覧。
  18. ^ KnokX Pro Training Program”. Knokx Pro Entertainment. 2014年7月25日閲覧。

外部リンク

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