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ソロファ・ファトゥ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソロファ・ファトゥ
ソロファ・ファトゥの画像
プロフィール
リングネーム リキシ
リキシ・ファトゥ
ソロファ・ファトゥ・ジュニア
スモー・リキシ
ジュニア・ファトゥ
キシ
ハッスル・リキシ
ザ・サルタン
ファトゥ
ファトゥ・サモアン
トンガ・キッド・アロファ
トンガ・キッド
JRスムーズ
本名 ソロファ・ファトゥ・ジュニア
身長 185cm
体重 159kg[1] - 180kg[2]
誕生日 (1965-10-11) 1965年10月11日(59歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州
サンフランシスコ
トレーナー アファ・アノアイ
デビュー 1985年
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ソロファ・ファトゥSolofa Fatu Jr.1965年10月11日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーカリフォルニア州サンフランシスコ出身のサモア系アメリカ人[2]リキシRikishi)などのリングネームで知られる。

兄はトンガ・キッド、アイランダー・タマ、サモアン・サベージなどのリングネームで活躍したサム・ファトゥ英語版。弟はウマガ、ジャマールなどのリングネームで活躍したエディ・ファトゥ。息子にウーソズというタッグチームで活動している双子の兄のジミー・ウーソことジョナサン・ファトゥと弟のジェイ・ウーソことジョシュア・ファトゥ[1]

来歴

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キャリア初期

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1985年トンガ・キッドTonga Kid)のリングネームでデビュー。ICW(International Championship Wrestling)などアメリカ合衆国北東部を拠点とする団体に参戦。

1986年11月、新日本プロレスに初来日。従兄弟のワイルド・サモアンとのコンビでジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦に出場し、アントニオ猪木&藤原喜明藤波辰巳&武藤敬司前田日明&木戸修ケンドー・ナガサキ&ミスター・ポーゴディック・マードック&マスクド・スーパースターなどのチームと対戦したが、キャリア不足もあって全敗の戦績に終わった[3]

1987年、リングネームをファトゥFatu)、ワイルド・サモアンはサムゥへと変更して、サモアン・スワット・チームThe Samoan Swat Team)なるヒールのユニットをプエルトリコWWCで結成[4]1988年からはテキサス州ダラスWCCW(WCWA)で活動。8月12日にケビン・フォン・エリックケリー・フォン・エリックを破り、WCWA世界タッグ王座を獲得した[5]。9月12日にはジョン・テータム&ジミー・ジャック・ファンクを下して、WCWAテキサス・タッグ王座も奪取している[6]

1989年2月、NWAの基幹団体MACWを買収したWCWにサムゥと共に参戦。兄のサモアン・サベージ英語版もメンバーに迎え、ロード・ウォリアーズホーク&アニマル)やミッドナイト・エクスプレスボビー・イートン&スタン・レーン)と抗争を繰り広げた[7]

1990年11月、サムゥおよび従兄弟のコキーナ・マキシマスと共にメキシコUWA(LLI)に初出場。1991年1月27日の16周年記念興行では、ミル・マスカラスドス・カラスカネックの頂上トリオと対戦した[8]。同年2月にはサモアン・サベージとのコンビでSWSに来日、天龍源一郎&石川敬士ジョージ高野&高野俊二と対戦した[9]

WWF / WWE

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1992年10月、南洋の首狩り族をイメージしたザ・ヘッドシュリンカーズThe Headshrinkers)にチーム名を変更してサムゥと共にWWFに参戦[10]。伯父のアファ・アノアイマネージャーに、ハイ・エナジー(ココ・B・ウェア&オーエン・ハート)、ナチュラル・ディザスターズアースクエイク&タイフーン)、スタイナー・ブラザーズリック・スタイナー&スコット・スタイナー)、スモーキン・ガンズ(ビリー・ガン&バート・ガン)などのチームと抗争を展開する[2]。シングルでは1993年3月1日放送のRAWにおいて、ブレット・ハートWWF世界ヘビー級王座に挑戦した[11]

1994年3月より、キャプテン・ルー・アルバーノがマネージャーとなってサムゥ共々ベビーフェイスに転向[2]。4月26日にはザ・ケベッカーズ(ジャック&ピエール)からWWF世界タッグ王座を奪取、8月28日にディーゼル&ショーン・マイケルズに敗退するまで戴冠した[12]。その後、WWFを離脱したサムゥに代わり、11月よりシオネを新パートナーに迎えるが中堅のポジションに甘んじ、1995年6月にヘッドシュリンカーズを解散してシングルプレイヤーに転身。"Make a Difference" をキャッチフレーズとしたサモア系のストリートダンサーギミックに、ゲットー育ちという自身の生い立ちをもとにドラッグ非行の愚かさを訴えるベビーフェイスとなって活動したが、ファンの支持を得ることはできなかった[2]

1996年8月、アラビアの怪人をギミックとした覆面レスラーザ・サルタンThe Sultan)に変身[13]アイアン・シークミスター・ボブ・バックランドをマネージャーに迎えて再びヒールとなり、1997年3月23日には年間最大のPPVであるレッスルマニア13において、ロッキー・メイビアの保持していたWWF IC王座に挑戦した[14]

しかし、このギミックもブレイクには至らず、1998年からはカナダのECCW(Elite Canadian Championship Wrestling)やPPW(Power Pro Wrestling)などのインディー団体で活動した[2]

1999年10月、大幅なウェイトアップを果たしてWWFに復帰。ヨコズナの力士ギミックを受け継いだリキシ・ファトゥRikishi Fatu)のリングネームで15日のHEATに登場し、クラッシュ・ホーリーを相手に完勝。自身の巨大な尻を活用したバンザイ・ドロップを新たな武器に、クラッシュやハードコア・ホーリーらを相手に秒殺勝利を重ね、凶悪なキャラクターとして売り出されていたが、12月よりトゥー・クール(スコッティ・2・ホッティ&グランマスター・セクセイ)と関わるようになって以降、巨体に似合わぬ流麗なダンスを披露して、ベビーフェイスのコミックレスラーとして人気を博す[2]

リキシ(2004年)

2000年1月、リングネームをリキシRikishi)へとマイナーチェンジ。6月20日のスマックダウンではクリス・ベノワのIC王座に挑戦して勝利を収め、タイトルを奪取した[15]。同月25日に行われたキング・オブ・ザ・リング2000では準々決勝でベノワ、準決勝でバル・ビーナスを破って勝ち進むも、決勝でカート・アングルに敗退した[16]

9月18日のRAWではエディ・ゲレロの代役として出場したチャイナに容赦なくサモアン・ドロップを放ち、フィニッシュにバンザイ・ドロップを決めた。12月10日のアルマゲドン2000では、アングル、ジ・アンダーテイカーストーン・コールド・スティーブ・オースチンザ・ロックトリプルHとのアルマゲドン・ヘル・イン・ア・セルマッチに出場[17]。アンダーテイカーのチョークスラムでスティールケージ上段から牧草を敷いたトラックに投げ捨てられるなどの名場面を見せた[2]

2001年2月、WCWから移籍してきたハクと関取タッグを結成[2]ブラザーズ・オブ・デストラクションケイン&アンダーテイカー)と抗争したが、負傷により5月から長期欠場を余儀なくされ、WWF対WCW&ECW連合軍(アライアンス)の抗争には参戦していない[2]

2001年12月6日のスマックダウンにおいて、盟友のロックがビンス・マクマホンに対して行ったキス・マイ・アス・クラブにて電撃復帰し、マクマホンに尻にキスをさせた[2]。以降はタッグマッチ戦線で活動し、2002年からはザ・ハリケーンと組んでWWF世界タッグ王者チームのビリー&チャックと抗争。5月19日のジャッジメント・デイ2002では、リコとの急造コンビでビリー&チャックからタイトルを奪取した[18]。7月16日収録のスマックダウンではハルク・ホーガン&エッジとトリオを組み、アン・アメリカンズランス・ストームクリスチャンテスト)との6人タッグマッチに勝利した[19]

2003年レイ・ミステリオタジリをパートナーに、ロス・ゲレロス(エディ&チャボ・ゲレロ)、チーム・アングル(チャーリー・ハース&シェルトン・ベンジャミン)とWWEタッグ王座を巡り抗争を展開。10月からは、負傷による長期離脱から復帰したスコッティ・2・ホッティとのコンビを再結成。バシャム・ブラザーズダグ・バシャム&ダニー・バシャム)、FBIナンジオチャック・パルンボジョニー・スタンボリー)と抗争し、2004年2月3日のスマックダウンにてバシャムズから王座を奪取した[20]

しかし、以前より体重の増加が顕著となっていたため、120kg前後まで減量するよう命じられていたもののリバウンドを繰り返し、4月25日のスマックダウン出場を最後にWWEから解雇となった[2]

インディー団体

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WWE解雇後、伯父のアファが主宰する団体であるWXW(World Xtreme Wrestling)にてトレーナーを兼任しながらインディー団体に参戦。

2004年9月20日、ハッスル・リキシHustle RIKISHI)のリングネームでハッスル横浜アリーナ大会に出場。長州力と組んでダン・ボビッシュ&オヤジガリに勝利した[21]。12月5日、メキシコAAAに参戦。コナンと組んでシベルネティコ&ラ・パルカと対戦するが[22]、試合には付き合わずに反則を繰り返した。

2005年10月、イタリアを拠点とするNWE(New Wrestling Entertainment)にキシKishi)のリングネームで参戦。29日にはバンピーロとのハードコアマッチで勝利を収めた[23]2006年6月から12月にかけてスポット参戦した際には、従兄弟のブラック・パールとのタッグで活動した。

2007年2月17日、全日本プロレスの "Pro-Wrestling Love in Kokugikan Vol.2" にスモー・リキシSUMO RIKISHI)のリングネームで参戦。当初は荒谷望誉と組む予定だったが「8流レスラーの荒谷なんかと組めない」とクレームをつけてタッグパートナーをジョニー・ダンに変更。&大鷲透と対戦するが[24]、曙のボディ・プレスでダンが呆気なく轟沈。これに憤慨したリキシはダンにスティンク・フェイスを炸裂させて溜飲を下げた。

2007年7月15日、AAA年間最大のイベント "TripleMania XV" に外国人レスラーユニット、ラ・リージョン・エクステンヘラLa Legion Extranjera)の一員として出場。ヘッドハンターA&ロン・キリングス&サブゥーと組んでエル・ソロ&ラ・パルカ&ジ・アニマル&ラテン・ラバーに勝利した[25]。9月にはTNAジュニア・ファトゥJunior Fatu)のリングネームで、ヒスパニック系ユニットであるLAX(ラテン・アメリカン・エクスチェンジ)の助っ人としてスポット参戦[26]。10月16日、ファイト・フォー・ザ・ライト・トーナメントに出場し、1回戦でロバート・ルードと対戦して勝利[27]。翌17日にはTNA年間最大のPPVであるTNA Bound For Glory 2007において、同トーナメントのリバース・バトルロイヤルに出場した。

2008年4月12日、IGF大阪府立体育会館大会にリキシRIKI-SHI)のリングネームで参戦し、オーランド・ジョーダンに勝利[28]。同年はNWEにも再び参戦して、ブラック・パール、フベントゥ・ゲレーラロブ・ヴァン・ダムらとタッグを組み、ジョーダン、クリス・モルデツキーハイデンライクなどと対戦した[29]

2009年、ブラック・パールやギャングレルと共同経営でKPA(KnokX Pro Academy)を設立。11月、ハルク・ホーガンオーストラリアで開催した "Hulkamania Let The Battle Begin Tour" にソロファ・ファトゥ・ジュニアSolofa Fatu Jr.)のリングネームで参戦[30]。WWF時代の相棒だった ブライアン・クリストファーとのタッグで出場し、同月21日には従兄弟のオス・ファトゥ&オーランド・ジョーダン、同月28日にはブラック・パール&バンパイア・ウォリアーと対戦していずれも勝利している[31]

2011年5月21日、NWS(National Wrestling Superstars)にてダニー・ドーリングと対戦して勝利。10月1日、WXWにてサムゥとヘッドシュリンカーズを再結成。甥であるランス・アノアイを加えたトリオでニュージャージー・シルク(ダニー・インフェルノ&ジューダス・ヤング&トミー・フィエッロ)から勝利を収めた。

WWE殿堂入り式典にて(2015年)

2012年7月、WWEのRAWにてRAW1000回放送記念に向けてレジェンドレスラー達と対戦していたヒース・スレイターの対戦相手として登場し、バンザイ・ドロップで勝利。試合後は息子タッグのウーソズジミー&ジェイ・ウーソ)と共に8年ぶりにWWEのリングでダンス・パフォーマンスを披露した。12月1日、GLCW(Great Lakes Championship Wrestling)にてトゥー・クール(スコッティ・2・ホッティ&グランマスター・セクセイ)とトリオを再結成。ビリー・ガン&アルマンド・エストラーダ&ジェイ・ブラッドリーに勝利した。

2013年5月4日、SlamFest 2013にてブライアン・クリストファーと組んで2・タフ・トニー&トミー・ドリーマーから勝利。9月7日、KPAにて甥のジェイコブ・ファトゥ&ブラック・パールとサモアン・ダイナスティThe Samoan Dynasty)なるユニットを結成し、エル・プレシデンテ&マーベリック&プリマールを下した。10月19日にはBCW(Border City Wrestling)にてジョニー・スウィンガーに勝利している。

2014年1月6日、WWEのRAW Old Schoolにトゥー・クールと共に出場して、3MB(ヒース・スレイター&ドリュー・マッキンタイア&ジンダー・マハル)に勝利。試合後は3人でのダンスを披露した。6月14日、トミー・ドリーマーが主宰するHOH(House Of Hardcore)に参戦。Xパックと組んでマット・ストライカー&ギャングレルを破る。10月18日、イングランドの団体であるRPW(Revolution Pro Wrestling)にてトゥー・クールと共に参戦。レボリューショニスツ(シャー・サミュエルズ&テリー・フレイザー&ジョシュ・ボドム)から勝利を収めた。

2015年3月28日、WWE殿堂に迎えられる。インダクターは息子であるウーソズが務めた[32]

その他

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プロレス界を代表するレスリング・ファミリーであるアノアイ・ファミリーの一員[1]

2021年7月31日、姪が何者かに射殺される事件が起きた[33]

得意技

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リバース・スプラッシュ式ヒップ・ドロップ。バット・ドロップ、ランプ・シェイカーとも呼ばれる[1]
  • スティンク・フェイス
コーナーでダウンした相手の顔に巨大なをぐりぐりと押し付ける非常に下品な拷問技。ブッカー・Tはあまりの臭気で実況席に嘔吐し、ビンス・マクマホンもお仕置きで餌食になったことがある。

獲得タイトル

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UWA
WWC
  • WWCカリビアン・タッグ王座:1回(w / サムゥ[35]
WCCW / WCWA
  • WCWA世界タッグ王座:3回(w / サムゥ)[5]
  • WCWAテキサス・タッグ王座:1回(w / サムゥ)[6]
WWF / WWE

入場曲

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  • Bad Man
  • You Look Fly Today

脚注

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  1. ^ a b c d e Rikishi”. Wrestlingdata.com. 2024年7月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Rikishi”. Online World of Wrestling. 2015年7月25日閲覧。
  3. ^ NJPW Results”. Puroresu.com. 2024年4月16日閲覧。
  4. ^ The WWC matches fought by Rikishi in 1987”. Wrestlingdata.com. 2024年4月16日閲覧。
  5. ^ a b WCWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年4月16日閲覧。
  6. ^ a b WCWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月28日閲覧。
  7. ^ The WCW matches fought by Rikishi in 1989”. Wrestlingdata.com. 2024年4月16日閲覧。
  8. ^ The LLI matches fought by Rikishi in 1991”. Wrestlingdata.com. 2024年4月16日閲覧。
  9. ^ The SWS matches fought by Rikishi in 1991”. Wrestlingdata.com. 2024年4月16日閲覧。
  10. ^ The Headshinkers”. Online World of Wrestling. 2020年6月20日閲覧。
  11. ^ WWF Monday Night RAW #7”. Cagematch.net. 2024年4月16日閲覧。
  12. ^ a b WWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年4月16日閲覧。
  13. ^ The Sultan”. Online World of Wrestling. 2020年6月20日閲覧。
  14. ^ WWF WrestleMania 13”. Cagematch.net. 2024年4月16日閲覧。
  15. ^ a b WWE Intercontinental Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月28日閲覧。
  16. ^ WWF King Of The Ring 2000”. Cagematch.net. 2024年6月28日閲覧。
  17. ^ WWF Armageddon 2000”. Cagematch.net. 2024年6月28日閲覧。
  18. ^ WWE Judgment Day 2002”. Cagematch.net. 2024年6月28日閲覧。
  19. ^ WWE SmackDown #153”. Cagematch.net. 2024年6月28日閲覧。
  20. ^ a b WWE Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月28日閲覧。
  21. ^ HUSTLE-5”. Cagematch.net. 2024年7月2日閲覧。
  22. ^ AAA Sin Limite - Guerra De Titanes 2004”. Cagematch.net. 2024年7月2日閲覧。
  23. ^ NWE Destiny #4”. Cagematch.net. 2024年7月2日閲覧。
  24. ^ AJPW Excite Series 2007 - Tag 5: Pro-Wrestling Love In Kokugikan Vol. 2”. Cagematch.net. 2024年7月2日閲覧。
  25. ^ AAA TripleMania XV”. Cagematch.net. 2024年7月2日閲覧。
  26. ^ The TNA matches fought by Rikishi in 2007”. Wrestlingdata.com. 2024年7月2日閲覧。
  27. ^ TNA iMPACT #174”. Cagematch.net. 2024年7月2日閲覧。
  28. ^ IGF Genome4”. Cagematch.net. 2024年7月2日閲覧。
  29. ^ The NWE matches fought by Rikishi in 2008”. Wrestlingdata.com. 2024年7月2日閲覧。
  30. ^ The matches Rikishi fought @ Australia in the year 2009”. Wrestlingdata.com. 2024年7月2日閲覧。
  31. ^ Hulkamania “Let the Battle Begin” 2009”. Online World of Wrestling. 2009年10月28日閲覧。
  32. ^ 2015 WWE Hall Of Fame Report: Kevin Nash, Randy Savage, Arnold Schwarzenegger, Connor Michalek, More”. Wrestlinginc.com. 2015年3月28日閲覧。
  33. ^ 元WWEリキシ、姪が何者かに射殺 殺害犯人の情報提供求める”. 日刊スポーツ (2021年9月8日). 2021年9月8日閲覧。
  34. ^ UWA World Trios Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月28日閲覧。
  35. ^ WWC Caribbean Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月28日閲覧。

外部リンク

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