アーン・アンダーソン
アーン・アンダーソン | |
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2014年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
アーン・アンダーソン スーパー・オリンピア マーティー・ルンディ |
本名 | マーティン・アンソニー・ルンド |
ニックネーム |
ミネソタの難破船 AA(ダブルA) ジ・エンフォーサー |
身長 | 185cm |
体重 | 116kg |
誕生日 | 1958年9月20日(66歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ジョージア州 フロイド郡ローム |
トレーナー | テッド・アレン |
デビュー | 1982年1月 |
引退 | 1997年 |
アーン・アンダーソン(Arn Anderson、本名:Martin Anthony Lunde、1958年9月20日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ジョージア州ローム出身。愛称は「AA(ダブルA)」、ニックネームはジ・エンフォーサー(殺し屋)。
いわゆる「仕事人」タイプの実力者であり、シングルプレイヤーでの活躍以上に、タッグチームやユニット「フォー・ホースメン」の一員としての実績で知られ、数々のタッグ王座を獲得している。リック・フレアーとは年齢は離れているものの親友の間柄であり、WCWやWWEではフレアーの右腕として活躍した。
来歴
[編集]1982年1月に本名のマーティー・ルンディ名義でデビューし、アラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングで活動。1983年よりジョージアのジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに転戦し、ブッカーのオレイ・アンダーソンに誘われてアーン・アンダーソンに改名。1960年代から1970年代にかけて一世を風靡したアンダーソン兄弟(ジン、ラーズ、オレイ)の末弟となり、伝統のタッグ・ユニット「ミネソタ・レッキング・クルー」をオレイと共に再結成する。これは単純にアーンの風貌がオレイとよく似ていた、ということが理由だった。
その後、ジョージア地区がノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーションズ)と合併すると、1985年にリック・フレアーやタリー・ブランチャードらとのヒール軍団「フォー・ホースメン」を結成。同地区のタイトルを独占するなど、プロレス史に残る名ユニットの一員として活躍した。なお、フォー・ホースメンというユニット名はアーンが命名している[1]。1987年にオレイがホースメンを離脱して、レックス・ルガーが新しく加入、翌1988年からはルガーと入れ替わりにバリー・ウインダムがメンバーとなるが、同年10月よりアーンはブランチャードと共にWWFに移籍する(これに伴いホースメンは事実上解散)。
WWFではボビー・ヒーナンをマネージャーに、ブランチャードとのタッグチーム「ブレーン・バスターズ」で活躍。ブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)、ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)、ストライク・フォース(リック・マーテル&ティト・サンタナ)、ザ・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)などのチームと抗争し、1989年7月18日にはアックス&スマッシュのデモリッションを破り、WWF世界タッグ王座を獲得した[2]。
1989年末、NWA(ジム・クロケット・プロモーションを買収したWCW)に復帰。翌1990年1月2日、グレート・ムタからNWA世界TV王座を奪取する[3]。1991年9月5日にはラリー・ズビスコとの「ジ・エンフォーサーズ」でWCW世界タッグ王座を獲得した[4]。以降はポール・E・デンジャラスリーのデンジャラス・アライアンスに加入。その後、WWFから復帰してきたフレアーとフォー・ホースメンを再結成して、1993年8月18日には新メンバーのポール・ローマとのコンビで世界タッグ王座に返り咲いた[4]。
しかし、アンダーソン事件(後述)による負傷のため、この新生ホースメンも解体を余儀なくされる。1994年の復帰後はテリー・ファンクや "スタニング" スティーブ・オースチンとも共闘するが、一旦バッシュ・アット・ザ・ビーチの前に仲間割れをする。しかし、これはダスティン・ローデスを嵌めるための作戦であったので、すぐに元に戻る。1997年に首の故障により引退。引退後はWCWのロード・エージェントを担当し、フレアー不在のフォー・ホースメンの指揮を執っていたこともある。WCWのバックステージでは、派閥争いの関係で冷遇されていた。
2001年のWCW崩壊後はWWFに迎えられ、引き続きロード・エージェントとして活動。時折WWEの番組に出演することもあった。2012年にはフレアー、ブランチャード、ウインダムおよびマネージャーのJ・J・ディロンと共に、フォー・ホースメンとしてWWE殿堂に迎えられた[5]。
2019年2月にWWEを退社[5]。同年下期よりAEWに移籍した[6]。
アンダーソン事件
[編集]1993年10月28日、イギリス遠征中のホテル内でのラウンジでシッド・ビシャスと諍いを起こし(ビシャスの度重なる大言壮語をアンダーソンが戒めたことによる)、逆上したビシャスにハサミで胸部や腹部など10数箇所を刺される大怪我を負った[7][8]。これを俗にアンダーソン事件(Arn Anderson's stabbing incident)という。これはビシャスがステロイド剤の使用で情緒不安定になっており、自分の感情をコントロールできなかったことがわかっている。
得意技
[編集]- ローリング・スパイン・バスター
- アーン・アンダーソンのオリジナル技。
- 体を横に半回転しつつスパイン・バスターを繰り出す。全盛期は弧を描きながら放つ場合が多かった。またこの技を使うとダブルAばりのスパイン・バスター!」という表現が使われる。
- スパイン・バスター
- この技の代名詞的な使い手であり、WWEでは現在でも「ダブルAばりのスパイン・バスター」という表現が使われる。
- ゴード・バスター
- DDT
- 長滞空式ブレーンバスター
獲得タイトル
[編集]- NWAサウスイースタン・タッグ王座:4回(w / ジェリー・スタッブス×3、パット・ローズ)
- NWAナショナル・タッグ王座:1回(w / オレイ・アンダーソン)
- NWA世界TV王座 / WCW世界TV王座:4回
- NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):2回(w / タリー・ブランチャード)
- WCW世界タッグ王座:3回(w / ラリー・ズビスコ、ボビー・イートン、ポール・ローマ)
- WWF世界タッグ王座:1回(w / タリー・ブランチャード)
- WWE殿堂:2012年度(インダクターはダスティ・ローデス)
脚注
[編集]- ^ リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P216(2004年、エンターブレイン、ISBN 4757721536)
- ^ “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年6月19日閲覧。
- ^ “NWA World Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月19日閲覧。
- ^ a b “WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月19日閲覧。
- ^ a b “Arn Anderson Has Been Let Go from WWE”. The Sportster (2019年2月22日). 2023年11月3日閲覧。
- ^ “Breaking: Cody Rhodes Will Have Arn Anderson as Manager in AEW”. Sports Illustrated (2019年12月30日). 2023年11月3日閲覧。
- ^ ショーン・アセール、マイク・ムーニハム共著『WWEの独裁者-ビンス・マクマホンとアメリカン・プロレスの真実』P179-181(2004年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583037880)
- ^ “Wrestler Profiles: Sid Vicious”. Online World of Wrestling. 2010年6月19日閲覧。
外部リンク
[編集]- WWE Hall of Fame
- Online World of Wrestling
- アーン・アンダーソンのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database