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ミネソタ・レッキング・クルー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザ・ミネソタ・レッキング・クルー
 
ジン(左)&オレイ(右)
タッグチーム
メンバー ジン・アンダーソン
ラーズ・アンダーソン
オレイ・アンダーソン
アーン・アンダーソン
名称
  • ザ・ミネソタ・レッキング・クルー
  • ジ・アンダーソン・ファミリー
ホームタウン ミネソタ州
デビュー 1966年
解散 1990年
団体

ミネソタ・レッキング・クルーThe Minnesota Wrecking Crew)は、プロレスラータッグチーム。メンバーを入れ替えながら、1960年代から1980年代にかけて、ヒールのポジションで長く活躍した[1]

実際には血縁関係はないものの、4人のメンバーは全員兄弟であるという設定でミネソタ州出身のアンダーソン姓を名乗り、アンダーソン・ファミリーThe Anderson Family)とも呼ばれた。グラハム兄弟(ジェリーエディルークビリー)やバリアント兄弟ジミージョニージェリー)などと並んでギミック上のレスリング・ブラザーズの典型的な見本である[2]

なお、レッキング・クルーとは「解体屋」などの意味を持つが、日本では直訳して「ミネソタの難破船」の異名で呼ばれていた[3]

概要

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初代は「長男」ジン・アンダーソンと「次男」ラーズ・アンダーソンのコンビで1966年に結成され、NWA南部テリトリーを中心に活動した[1]1960年代末からは、AWAでデビューしたアラン "ザ・ロック" ロゴウスキーが「三男」オレイ・アンダーソンとして加入。その後ラーズが脱退し、ジンとオレイが2代目タッグを結成する。

以後、ジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区ジム・バーネット主宰のNWAジョージア地区を主戦場に活躍。ミッドアトランティックでは1970年代前半、ネルソン・ロイヤル&ポール・ジョーンズの牧童コンビやリップ・ホーク&スウェード・ハンセンのブロンド・ボンバーズとタッグ屋同士の抗争を展開。1975年から1981年にかけては、ワフー・マクダニエル&ルーファス・ジョーンズミスター・レスリング&ディノ・ブラボーリック・フレアー&グレッグ・バレンタインダスティ・ローデス&ディック・スレーター、ポール・ジョーンズ&マスクド・スーパースターなどの強豪チームを破り、同地区認定のNWA世界タッグ王座を再三獲得した[4]

ラーズも時折再加入し、ジョージアではラーズとオレイのコンビで1978年2月27日にミスター・レスリング2号&トニー・アトラス、同年4月28日にサンダーボルト・パターソン&トミー・リッチ1980年6月8日にイワン・コロフ&アレックス・スミルノフからジョージア・タッグ王座を奪取している[5]。その後、両者は仲間割れを起こしラーズがベビーフェイスに転向、会場の照明を落として試合を行うライツ・アウト・マッチやボクシング・マッチなどのデスマッチ形式で分裂抗争を繰り広げた[6]

1980年代に入ると、ジンが現役を退きミッドアトランティック地区でマネージャーに転身。オレイはシングルプレイヤーとなり、ジョージア地区のブッカー兼選手として活動。そして1985年、オレイが自分と風貌のよく似た新人選手を「四男」アーン・アンダーソンに改名させ、3代目のコンビを結成。このコンビは後にミッドアトランティック地区でフォー・ホースメンにも参加し、一時代を築く。一度解散するも再結成され、オレイの引退によってチームとしてはその歴史を終えた。

2010年にはジン、ラーズ、オレイの3者でNWA殿堂に迎えられた[7]。「アンダーソン」の名はプロレス史に深く刻まれ、その名を名乗るプロレスラーは必然的に彼らとの関連性を連想されてしまう。WWEで活躍したケン・ケネディも、そのためにリングネームを変更した一人である。

日本にはジンとオレイのコンビで1970年1月に日本プロレスへ参戦、1月11日に岡山県体育館にてアントニオ猪木&吉村道明アジアタッグ王座に挑戦した[8]1973年10月には国際プロレスにも参戦しており、11月4日に鹿島郡神栖町にてラッシャー木村&グレート草津IWA世界タッグ王座に挑戦した他、マイティ井上&アニマル浜口金網タッグ・デスマッチを2回行っている[9]

なお、ミネアポリス育ちのリック・フレアーは1976年の一時期[10]、ミッドアトランティック地区でジン&オレイの「従兄弟」という役どころでメンバーに加わり、6人タッグマッチなどに出場していたことがある[11]

影響下のタッグチーム

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彼らのユニット名は後年、主にミネソタ出身の選手によるタッグチームに継承されている。

獲得タイトル

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ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWA世界タッグ王座ジョージア版):1回(ジン&ラーズ[13]
  • NWA南部タッグ王座(ジョージア版):2回(ジン&ラーズ)[14]
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座(ジョージア版):1回(ジン&オレイ[15]
  • NWAジョージア・タッグ王座:10回(ジン&オレイ×7、ラーズ&オレイ×3)[5]
  • NWAメイコン・タッグ王座:1回(ジン&オレイ)[16]
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
ナショナル・レスリング・アライアンス

脚注

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  1. ^ a b Mid-Atlantic Superstar Wrestling Results - Gene Anderson”. Mid-Atlantic Gateway. 2011年6月3日閲覧。
  2. ^ Minnesota Wrecking Crew”. Online World of Wrestling. 2020年7月5日閲覧。
  3. ^ 『昭和プロレス・マガジン 第34号』P41(2014年、ミック博士の昭和プロレス研究室)
  4. ^ a b NWA World Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月16日閲覧。
  5. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月16日閲覧。
  6. ^ The GCW matches fought by Lars Anderson in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年11月24日閲覧。
  7. ^ a b NWA Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。
  8. ^ JWA 1970 New Year Champion Series”. Puroresu.com. 2020年4月20日閲覧。
  9. ^ IWE Big Winter Series 1973”. Puroresu.com. 2015年3月11日閲覧。
  10. ^ Mid-Atlantic Superstar Wrestling Results - Ric Flair”. Mid-Atlantic Gateway. 2010年6月16日閲覧。
  11. ^ リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P71(2004年、エンターブレインISBN 4757721536
  12. ^ The Minnesota Stretching Crew”. Accelerator's Wrestling. 2022年2月18日閲覧。
  13. ^ NWA World Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月24日閲覧。
  14. ^ NWA Southern Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月24日閲覧。
  15. ^ NWA Southeastern Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月24日閲覧。
  16. ^ NWA Macon Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月24日閲覧。
  17. ^ NWA Atlantic Coast Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月24日閲覧。
  18. ^ NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月24日閲覧。
  19. ^ NWA National Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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