コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

J・J・ディロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
J・J・ディロン
J・J・ディロンの画像
2008年
プロフィール
リングネーム J・J・ディロン
ジェームズ・J・ディロン
ジム・ディロン
ジム・デュラン
本名 ジェームズ・モリソン
ニックネーム 極悪仕掛人
身長 184cm - 187cm
体重 108kg - 115kg
誕生日 (1942-06-26) 1942年6月26日(82歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州の旗 ニュージャージー州
マーサー郡トレントン
デビュー 1962年
テンプレートを表示

J・J・ディロンJ.J. Dillon、本名:James "Jim" Morrison1942年6月26日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーマネージャーブッカーニュージャージー州トレントン出身。

ヒールの悪徳マネージャーとしての実績で知られ、日本では「極悪仕掛人」の異名を持つ[1]。ブッカー業務などエグゼクティブとしても手腕を発揮し、1990年代WWFWCWの両団体で要職を務めた[2]

来歴

[編集]

1962年、地元のニュージャージーでプロレスラーとしてデビュー。ジョニー・バレンタインを意識した金髪の若手ヒールとして売り出される[3]1968年からはオハイオなど五大湖地区に進出し、以降は1970年代全般にかけて、カナダ大西洋岸の沿海州を本拠地とするイースタン・スポーツ・アソシエーションや、アメリカ合衆国南部NWA圏(テキサスフロリダジョージアミッドアトランティック)などを転戦[3]

テキサス西部のアマリロ地区では1974年9月19日にキラー・カール・コックスからNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座を奪取[4]テリー・ファンクディック・マードックともタイトルを争い、プレイング・マネージャーとしてカン・フー・リーとも共闘した[5]1975年11月から1976年にかけてはテキサス東部のダラス地区において、モンゴリアン・ストンパームーンドッグ・ロニー・メインのマネージャーも担当している[3][6]

選手としても、1979年1月11日にテッド・デビアスを破り、アマリロ地区認定のNWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得[7]1981年8月27日にはカンザス地区にてバズ・タイラーと組み、ボブ・スウィータン&テリー・ギッブスからNWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を奪取している[8]テネシー州メンフィスCWAでは1982年ジェリー・ローラービル・ダンディーと抗争を展開[9]、同年にCWAにてデビューしたカマラの初代マネージャーも務めた[10]

その後、フロリダ地区で本格的にプレイング・マネージャーとして活動するようになり、ドリー・ファンク・ジュニアビッグ・ジョン・スタッドブルーザー・ブロディケンドー・ナガサキアウトロー・ロン・バスら歴代のヒール勢をコントロール、同地区のエースだったダスティ・ローデスとの抗争を指揮した[11][12]。自身も1982年3月にミスター・レスリング2号を破り、NWAフロリダ・ヘビー級王座を獲得している[13]

1984年より、ローデスと共にフロリダからミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズに移籍[3]。現役を引退してマネージャーおよびブッカー業務に専念し、リック・フレアーらが結成したフォー・ホースメンのブレインとなって活躍した[14]。しかし、テッド・ターナーのクロケット・プロ買収後はWCWに留まらず、ビンス・マクマホンにヘッドハンティングされて1989年WWFへ転出。タイタン・スポーツ社副社長のポストに就いて辣腕を振るった[1]

1996年、WWFを脱退してWCWに復職[3]。「コミッショナー」の立場で現場にも復帰し、新生フォー・ホースメンと共闘してnWoエリック・ビショフとの抗争アングルも行った。2001年のWCW崩壊後はTNAに「チーフ・ファイナンシャル・オフィサー」として登場[3]2003年にTNAを離れ、フルタイムのプロレスリング・ビジネスから引退した[3]

以降も各地のインディー団体にゲスト出演しており、2006年7月15日にはROHPPV "Death Before Dishonor 4" に登場[15]2008年3月31日にはWWERAWで行われたフレアーの引退セレモニーに、かつてのフォー・ホースメンのメンバーと共に出席した[16]2009年下期からは再びROHに登場している。

日本ではジム・デュランの名で知られ、1974年1月に全日本プロレスに初来日[17]。以降も中堅ヒールのポジションで全日本の常連外国人となり、通算7回にわたって来日した。1977年4月にはチャンピオン・カーニバル第5回大会に出場[18]ジャイアント馬場との公式リーグ戦では両者リングアウトの引き分けに持ち込んでいる[19]。同年末には、犬猿の仲だったアブドーラ・ザ・ブッチャーザ・シークに史上最凶悪コンビを結成させて世界オープンタッグ選手権にブッキングし、彼らのマネージャーを務めるなど、悪の仕掛人ぶりを発揮した[17]1983年2月の来日では、ザ・グレート・カブキの凱旋帰国第1戦の相手を務めている[20]

2012年、フレアー、アーン・アンダーソンタリー・ブランチャードバリー・ウインダムのフォー・ホースメンと共に、WWE殿堂に迎えられた[21]2014年には単独でのNWA殿堂入りも果たしている[22]

獲得タイトル

[編集]
イースタン・スポーツ・アソシエーション
  • 北米ヘビー級王座(マリタイム版):1回[23]
  • インターナショナル・ヘビー級王座(マリタイム版):1回[24]
  • インターナショナル・タッグ王座(マリタイム版):1回(w / フレディ・スウィータン)[25]
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座:1回[4]
  • NWAインターナショナル・ヘビー級王座(アマリロ版):1回[7]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
セントラル・ステーツ・レスリング
ワールド・レスリング・エンターテインメント
ナショナル・レスリング・アライアンス

担当選手

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P316(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ James J. Dillon”. Online World of Wrestling. 2015年11月7日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g J.J. Dillon Career Highlights”. J.J. Dillon.com. 2009年10月22日閲覧。
  4. ^ a b NWA Western States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月7日閲覧。
  5. ^ The Amarillo matches fought by JJ Dillon in 1974”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  6. ^ The WCCW matches fought by JJ Dillon in 1976”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  7. ^ a b NWA International Heavyweight Title [W. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月7日閲覧。
  8. ^ a b NWA Central States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月7日閲覧。
  9. ^ The USWA matches fought by JJ Dillon in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  10. ^ Who Is Kamala?”. Kamala Speaks.com. 2015年11月7日閲覧。
  11. ^ The CWF matches fought by JJ Dillon in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  12. ^ The CWF matches fought by JJ Dillon in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  13. ^ a b NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月19日閲覧。
  14. ^ Four Horsemen”. Online World of Wrestling. 2009年10月22日閲覧。
  15. ^ Ring of Honor - Death Before Dishonor 4: July 15, 2006”. Online World of Wrestling. 2010年2月1日閲覧。
  16. ^ WWE RAW Results: March 31, 2008”. Online World of Wrestling. 2009年10月22日閲覧。
  17. ^ a b 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P54(2002年、日本スポーツ出版社)
  18. ^ AJPW 1977 The 5th Champion Carnival”. Puroresu.com. 2024年9月26日閲覧。
  19. ^ AJPW 5th Champion Carnival - Tag 24”. Cagematch.net. 2024年9月26日閲覧。
  20. ^ AJPW Excite Series 1983 - Tag 1”. Cagematch.net. 2015年6月23日閲覧。
  21. ^ a b WWE Hall of Fame”. WWE.com. 2012年3月31日閲覧。
  22. ^ a b National Wrestling Alliance Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月27日閲覧。
  23. ^ North American Heavyweight Title [Maritimes]”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月7日閲覧。
  24. ^ International Heavyweight Title [International Wrestling]”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月7日閲覧。
  25. ^ International Tag Team Title [Maritime Provinces]”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月7日閲覧。
  26. ^ NWA Florida Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月7日閲覧。
  27. ^ NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年11月7日閲覧。

関連文献

[編集]

外部リンク

[編集]