ギンレイホール
ギンレイホール Ginrei Hall | |
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情報 | |
正式名称 | ギンレイホール |
完成 | 1960年 |
開館 | 1974年 |
閉館 | 2022年11月27日 |
最終公演 |
『君を想い、バスに乗る』 『マリー・ミー』 |
収容人員 | 206人 |
設備 | ドルビーデジタル |
用途 | 映画上映 |
運営 | 株式会社ギンレイシネマックス |
所在地 |
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂2丁目19 銀鈴会館 1階 |
アクセス | JR総武線飯田橋駅から徒歩3分 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ギンレイホール (Ginrei Hall) は、東京都新宿区神楽坂にあった映画館(名画座)。1974年(昭和49年)創業。館主は加藤忠、支配人は久保田芳未。
特色
[編集]東京に残る数少ない名画座で、旧作の2本立て興行を行っていた。年中無休。洋画、邦画を問わず上映したが、割合は洋画が多かった。
デジタルシネマ上映に対応していたが、かつて使用していたフィルム映写機も残してあり、「午前0時のフィルム映写会」と題したフィルム上映会を定期的に開いていた[1]。館主の加藤は映写機の収集活動もしているため、全国でフィルム上映イベントを開いている[2]。
特徴的なサービスとして、1997年から「ギンレイ・シネマクラブ」と題した年間パス制度を設けていた。1万円で年間パスを購入するとで1年間見放題という制度であり、観客全体の6 - 7割がシネマクラブ会員であった[3]。シネマクラブは「サブスクリプション運用の先駆け」とされることがある[4]。
映画監督の森田芳光が若い頃に同館でアルバイトをしていたことがあり、場内で喋っている客に注意したというエピソードがある[5]。
歴史
[編集]神楽坂には太平洋戦争前から銀鈴座という映画館があったが、1958年(昭和33年)12月25日に火災で焼失した[6]。1960年(昭和35年)、同じ場所に地上6階・地下1階建ての銀鈴会館ビルが竣工[7]し、1階には千葉商事による映画館の銀鈴ホールが入った。1974年(昭和49年)には経営者が千葉商事から鈴木幸長に交代し、銀鈴ホールからギンレイホールに改称して名画座となった。ギンレイホールはこの1974年を創業(創立)年としている。
2011年(平成23年)頃には久保田芳未が支配人に就任した[8]。地下1階には成人映画館の飯田橋くらら劇場があったが、飯田橋くらら劇場は2016年(平成28年)5月に閉館した[9]。
その後、銀鈴会館ビルの老朽化により、ビル自体の建て替えが決定したため、2022年(令和4年)11月27日をもって銀鈴会館ビルでの営業を終了した。今後は別の場所に移転・再開館し営業を継続する計画である[10][11]。
データ
[編集]- 所在地 - 東京都新宿区神楽坂2-19
- 客席数 - 206席(かつては250席[5])
- 入場料 - 一般・1,500円 学生・1,200円 シニア・子供・1,000円(2020年4月時点)
脚注
[編集]- ^ “名画座ギンレイホールで「午前0時のフィルム映写会」開催決定 : 映画ニュース”. 映画.com (2014年5月18日). 2020年2月3日閲覧。
- ^ 「ひと・ちば:名画座ギンレイホール社長 加藤忠さん(75) 千葉」『毎日新聞』。2020年2月3日閲覧。
- ^ 「1万円で1年間見放題も、都内の老舗名画座が奮闘 - 社会 : 日刊スポーツ」『日刊スポーツ』。2020年2月3日閲覧。
- ^ 名画座「ギンレイホール」11月閉館、移転のため 「サブスクの先駆け」年間パスは継続 ITmedia
- ^ a b “ギンレイホール”. 港町キネマ通り (2001年9月). 2012年11月22日閲覧。
- ^ 株式会社つみき (2016年1月5日). “【支配人に聞く】長年映画ファンに愛され続ける名画座「飯田橋ギンレイホール」の流儀 | FILMAGA(フィルマガ)”. filmaga.filmarks.com. 2020年2月3日閲覧。
- ^ “銀鈴会館ビル”. ビル図鑑. 2012年11月22日閲覧。
- ^ “飯田橋ギンレイホール女性支配人が込める思い ラジカル鈴木の味わい名画座探訪記:ラジカル鈴木の味わい名画座探訪記”. シネマトゥデイ (2017年3月5日). 2020年2月3日閲覧。
- ^ “飯田橋「くらら劇場」閉館 ピンク映画の灯がまた消える”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2016年7月5日閲覧。
- ^ 飯田橋ギンレイホールが11月に閉館 映画ファンの行列が風物詩 東京インサイド 朝日新聞デジタル、2022年9月6日
- ^ 飯田橋ギンレイホールが移転、11月27日でいったん閉館 映画ナタリー、2022年9月5日