クィントゥス・カエディキウス・ノクトゥア
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クィントゥス・カエディキウス・ノクトゥア Q. Caedicius Q. f. Noctua | |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | プレブス |
氏族 | カエディキウス氏族 |
官職 |
執政官(紀元前289年) ケンソル(紀元前283年) |
クィントゥス・カエディキウス・ノクトゥア(ラテン語: Quintus Caedicius Noctua、生没年不明)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前289年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
[編集]プレブス(平民)であるカエディキウス氏族の出身。ノクトゥアは氏族としては初の執政官である。カエディキウス氏族の著名人としては、紀元前475年の護民官ルキウス・カエディキウス[1][2]や、紀元前390年のガリア人のローマ侵略の際に、マルクス・フリウス・カミッルスの追放解除を求めたマルクス・カエディキウス[3][4][5][6]がいるが、氏族の歴史は詳しく分からない[7]。
ノクトゥアの父のプラエノーメン(第一名、個人名)はクィントゥスであるが、経歴は不明である。紀元前293年に執政官ルキウス・パピリウス・クルソルのレガトゥス(副官)としてアクイロニアの戦いで騎兵を率い、戦死したガイウス・カエディキウスはおそらく兄弟である[8]。紀元前256年の執政官クィントゥス・カエディキウスは息子である。
経歴
[編集]紀元前289年、ノクトゥアは執政官に就任。同僚執政官はマルクス・ウァレリウス・マクシムス・コッリヌスであった。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』、ディオニュシオスの『ローマ古代誌』、ディオドロスの『歴史叢書』といった主要な歴史書がこの年代は断片しか残っておらず、業績は不明である。
紀元前283年には監察官(ケンソル)に就任、同僚監察官の名前は欠落しており不明である[9]。しかし、理由は不明であるが途中辞任しており、おそらくは同僚の死亡によると思われる[10]。
脚注
[編集]- ^ リウィウス『ローマ建国史』、 II, 52
- ^ ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』、IX. 28.
- ^ リウィウス『ローマ建国史』、 V, 32, 45, 46.
- ^ プルタルコス『対比列伝:カミッルス』、14
- ^ ゾナラス『歴史梗概』、Vi, 23.
- ^ アッピアノス『ローマ史:ガリア戦争』、5
- ^ Hans Georg Gundel : Caedicius. In: The Little Pauly 1 (1964) Sp. 991.
- ^ リウィウス『ローマ建国史』、 X, 40,7. 41.8.
- ^ カピトリヌスのファスティ
- ^ Broughton, vol. I, pp. 185, 188.
参考資料
[編集]- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』
- ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』
- プルタルコス『対比列伝』
- ゾナラス『歴史梗概』
- アッピアノス『ローマ史』
- カピトリヌスのファスティ
- Hans Georg Gundel : Caedicius . In: The Little Pauly 1 (1964)
- T. Robert S. Broughton, The Magistrates of the Roman Republic, American Philological Association (1952–1986).
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 マニウス・クリウス・デンタトゥス プブリウス・コルネリウス・ルフィヌス |
執政官 同僚:マルクス・ウァレリウス・マクシムス・コッリヌス 紀元前289年 |
次代 クィントゥス・マルキウス・トレムルス II プブリウス・コルネリウス・アルウィナ II |