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クトゥルク・テムル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クトゥルク・テムルQutuluq Temür, モンゴル語: Хоталтөмөр, 中国語: 忽都魯帖木児, ? - 1324年)は、モンゴル帝国第五代皇帝クビライ・カーンの庶子で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では忽都魯帖木児、ペルシア語史料ではقوتلوقتيمور Qūtlūq-Tīmūrと記される。

概要

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『元史』や『集史』両方においてクトゥルク・テムルの母親の名前は記録されておらず、クビライの妻の中では位の低い女性であったと見られる。

他のクビライの諸子が王号を与えられ各地に出鎮していく一方、クトゥルク・テムルは王号を授けられることもなく重職を委ねられることもなかった。このため、クトゥルク・テムルが独自のウルスを形成したかは不明である。

『元史』宗室世系表にはアバ・エブゲンという息子がいたことが記録されており、皇慶元年(1312年)にはイェスン・テムルエセン・テムルブダシュリといったクビライ家の諸王とともに下賜を受け、泉州路南安県を与えられている[1]

子孫

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  • クトゥルク・テムル(Qutuluq Temür,忽都魯帖木児/قوتلوقتيمور Qūtlūq-Tīmūr)
    • アバ・エブゲン(Aba Ebügen,阿八也不干王)
      • バル・ドルジ(Bslu Dolǰi,八魯朶而只王)

脚注

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  1. ^ 『元史』巻24仁宗本紀1,「[皇慶元年二月]丙子……賜晋王也孫帖木児南康路戸六万五千、世祖諸皇子也先帖木児福州路福安県、脱歓之子不答失里福州路寧徳県、忽都魯帖木児之子泉州路南安県、愛牙赤之子邵武路光澤県、戸並一万三千六百有四、食其歳賦」

参考文献

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  • 杉山正明『モンゴル帝国と大元ウルス』京都大学学術出版会、2004年
  • 新元史』巻114列伝11
  • 蒙兀児史記』巻76列伝58