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クトブッディーン・マウドゥード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クトブッディーン・マウドゥード
アミール
在位 1149年 - 1169年

死去 1170年9月6日
子女 イマードゥッディーン・ザンギー2世フランス語版
サイフッディーン・ガーズィー2世フランス語版
イッズッディーン・マスウード1世英語版
王朝 ザンギー朝
父親 イマードゥッディーン・ザンギー
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クトブッディーン・マウドゥードアラビア語: قطب الدين مودود بن عماد الدين زنكي بن آقسنقودQuṭb al-Dīn Mawdūd b. ‘Imād al-Dīn Zankī b. Āq-Sunqūr, ? - 1170年9月6日)は、モースルザンギー朝アタベクアミール(在位:1149年 - 1169年)。アターベク・クトブッディーン・マウドゥードなどと称する。モースルにおけるザンギー朝の始祖。

略歴

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彼はザンギー朝の祖であるイマードゥッディーン・ザンギーの息子でサイフッディーン・ガーズィーヌールッディーンの兄弟であった。

1149年、兄のサイフッディーンが死去すると、彼は兄の後を継ぎモースルを中心とするジャズィーラ地方およびディヤール・バクル地方のアミールとなった。1170年に没すると、彼の息子の一人、サイフッディーン・ガーズィー2世フランス語版がその地位を継いだ。

家族

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クトブッディーン・マウドゥードは下記の子女をもうけた[1]

脚注

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関連項目

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