クボ・エダン寺院
クボ・エダン寺院 Pura Kebo Edan | |
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基本情報 | |
所在地 | ペジェン、Jl. Raya Pejen[1] |
座標 | 南緯8度31分04.2秒 東経115度17分33.2秒 / 南緯8.517833度 東経115.292556度座標: 南緯8度31分04.2秒 東経115度17分33.2秒 / 南緯8.517833度 東経115.292556度 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
地区 | ギャニャール県タンパクシリン郡 |
州 | バリ州 |
国 | インドネシア |
完成 | 13世紀(1284年頃)創建 |
クボ・エダン寺院(クボ・エダンじいん、Pura Kebo Edan)は、インドネシアのバリ州(バリ島)ギャニャール県タンパクシリン郡ペジェンにある[2]バリ・ヒンドゥー教寺院(プラ、尼: pura[3])である。
創建は13世紀[4]、ジャワの古代王朝シンガサリ(1222-1292年[5])の王クルタナガラ(在位1268-1292年)がバリを征服した[6]1284年頃とされ、バリに派遣された Kebo Parud が、シヴァ(シワ、尼: Siwa)やバイラヴァ(バイラワ、尼: Bhairawa)の崇拝をもたらし[4]、クボ・エダン寺院には、習合されたシワ=バイラワ(尼: Siwa-Bhairawa)が保存される[4]。ペジェンの村は国内でも有数の考古学的地域であり[7]、このクボ・エダン寺院のバイラヴァ(シワ=バイラワ)像も、2019年11月13日、インドネシアの文化遺産(尼: Cagar Budaya)に登録されている[8][9]。
クボ・エダンは「狂った水牛」の意であり、境内にある水牛の像によるとされる[4]。また、地元において、バリの伝説の巨人クボ・イワ(クボ・イオ)にも関連づけられ[2]、クボ・エダン寺院には、クボ・イワといわれる彫像も保存されている[10]。
構成
[編集]主な祭神の彫像を安置する祠(プリンギー〈プリンゲー[11]〉、Pelinggih)が境内の南側に並び、これらクボ・エダン寺院に保存される遺物の多くは、王クルタナガラの時代のものとされる[12]。しかし、バリ王国の14世紀中頃の王スリ・アストゥスラ・ラトナ・ブミ・バンテン[13]の時代として、バイラヴァ(シワ=バイラワ)像についても、王アストゥスラをかたどった可能性を付議する見解もある[2]。
バイラヴァ像
[編集]「ペジェンの巨人」(英: Pejeng Giant[14]、Giant of Pejeng)として知られる高さ3.6メートルの巨像は、シヴァの化身バイラヴァ(シワ=バイラワ)像とされるが、地元では、ラトゥ・サクティ (Ratu Sakti) 、ラトゥ・バリアン (Ratu Balian) と称されることもある。また、このヒトの死体の上で踊るように描写された彫像は[4]、ヒンドゥー教の叙事詩『マハーバーラタ』の剛勇ビーマ(Bhīma、〈ビマ[15]、ビモ、Bima〉[16])としても捉えられている[17]。
この巨像は、顔を仮面で覆い、縮毛を後頭で結び、ひだ飾り(フリル)をつけた腰部に[4]両手を据えて[2]、踊るように死体の上に立ち、腕と足首にはヘビが巻き付く[4]。また、躍動により裾から陰茎が左に向けて露出するが、これは左道と右道に分かれるタントラの宗教派に関連するともいわれる。先端付近には3-4個の円形があり[18]、穴が1つあく[4]。
水牛像
[編集]バイラヴァ像が安置された側面にある祠(プリンギー)に、シヴァの乗り物(ヴァーハナ)であるナンディを表わす水牛像があり、これが「狂った水牛」というクボ・エダンの寺院名の由来とされることから、臥牛像は怒っているように見えるなどといわれる[4]。
クボ・イワ像
[編集]逆さの髑髏をかたどる鉢を抱え、頭髪にも髑髏が飾られる石像も同様に安置されており[19]、強く大きいことからクボ(水牛)と呼ばれたという伝説の巨人クボ・イワとされる[10]。
境内にある祠(プリンギー)には、ほかにも現地バリにおいてブタラ・ガナ (Betara Gana)[20]と称されるガネーシャの像があるなど[2][7]、多くの彫像が保存されている。
脚注
[編集]- ^ “クボ・エダン寺院”. BALI navi (2010年2月28日). 2022年9月19日閲覧。
- ^ a b c d e Atmodjo (1983), p. 49
- ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、381頁
- ^ a b c d e f g h i “Seeing The 13th Century Heritage Statue In The Kebo Edan Temple.” (英語). Visit Bali. PT Pusat Informasi Pariwisata Bali. 2022年9月23日閲覧。
- ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、222頁
- ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、151頁
- ^ a b “Kebo Edan Temple” (英語). www.Think Bali.com. 2022年9月23日閲覧。
- ^ “Empat Situs di Gianyar Ditetapkan Sebagai Cagar Budaya” (インドネシア語). Gianyarkab.go.id. Pemerintah Kabupaten Gianyar (2019年12月1日). 2022年9月23日閲覧。
- ^ “Objek Cagar Budaya Kebo Edan Sepi Turis” (インドネシア語). NusaBali.com. PT Sinar Nusrapress Utama (2019年12月5日). 2022年9月23日閲覧。
- ^ a b 地球の歩き方編集室 (2016)、84-85頁
- ^ 地球の歩き方編集室 (2016)、125頁
- ^ I Wayan Eri Gunarta. “Pura Kebo Edan Simpan Arca Siwa Bhairawa, Genah Nunas Tamba di Pejeng” (インドネシア語). Tribun-Bali.com. pp. 1-4. 2022年9月23日閲覧。
- ^ “バリ王国の物語:その歴史、強力な王、そして歴史的な痕跡”. VOI (2021年3月29日). 2022年9月23日閲覧。
- ^ “[Upper portion of a Bhairawa statue or \Pejeng Giant\."" OD-16813"]”. Leiden University Libraries: Digital Collections. Leiden University Libraries. 2022年9月23日閲覧。
- ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、355頁
- ^ 青山亨 (2007年). “マハーバーラタの概要: マハーバーラタの主要登場人物の紹介とあらすじ” (PDF). ジャワ文化概説 講義 2007S2-#06. 東京外国語大学 青山亨研究室. 2022年9月23日閲覧。
- ^ “Pura Kebo Edan” (英語). Frommer's. 2022年9月23日閲覧。
- ^ Atmodjo (1983), pp. 49-51
- ^ “Pura Kebo Edan” (英語). cityseeker. wcities. 2022年9月23日閲覧。
- ^ 嘉原優子「天女の遊び歌 (1) -バリ島の憑依儀礼に表れるカミ観念とめぐって」(PDF)『人文学部研究論集』第2号、中部大学、1999年、85-122頁、2022年9月23日閲覧。
参考文献
[編集]- Atmodjo, Sukarto K. (1983). “Mengapa phallus arca Siwa-Bhairawa di Pura Kebo Edan menghadap ke arah kiri?” (PDF). Berkala Arkeologi (Balai Arkeologi Yogyakarta) 4 (1): 48-54. doi:10.30883/jba.v4i1.303 2022年9月23日閲覧。.
- 石井米雄監修、土屋健治、加藤剛、深見純生 編『インドネシアの事典』同朋舎出版〈東南アジアを知るシリーズ〉、1991年。ISBN 4-8104-0851-5。
- 地球の歩き方編集室『バリ島ウブド 楽園の散歩道』(改訂版)ダイヤモンド・ビッグ社〈地球の歩き方 Gem Stone 030〉、2016年(原著2009年)。ISBN 978-4-478-04829-0。
外部リンク
[編集]- “Pura Kebo Edan” (インドネシア語), Cagar Budaya (Kementrian Pendidikan dan Kebudayaan)
- “Sacred Sites in Southeast Asia”, National Museum of Asian Art (Smithsonian Institution)