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クライド・ウォーリアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クライド・マートン・ウォーリアー(Clyde Merton Warrior、1939年8月31日 - 1968年7月)は、アメリカインディアンの民族運動家、著述家。

来歴

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1939年8月31日、オクラホマ州ポンカ市で、ポンカ族のグロリア・コリンズを母親に生まれた。母方の祖父母のマーサとビルのコリンズ夫妻は「伝統派」インディアンで、クライドは祖父母の下での共同体で育った。祖父母からクライドはさまざまな部族の伝統歌を教えてもらい、10代でパウワウの「ファンシー・ダンス」(風変わりな踊り)の優勝者となった。

クライドはオフラホマのロートンのキャメロンJr大学に進み、1962年に「著名なインディアン学生賞」を獲得した。また「南西部インディアン若者会議」(SRIYC)の議長も務めた。

1966年、オート=ミズーリ族インディアン女性のデラ・ホッパーと結婚。二人の娘を得た。また、ノースイースタン州立大学で学士号を取得した[1]

「全米インディアン若者会議」の設立

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1961年、シカゴでインディアン全国団体「アメリカインディアン国民会議」(NCAI)が大会議を開き、合衆国のインディアン絶滅政策に対する対策が議論された。クライドは「SRIYC」メンバーとしてこの集会に参加していたが、合衆国の傀儡にすぎない部族会議議長たちによる、保守的な運動提示に対して失望し、反対意見を表明。「若者は声を挙げるべきだ」として独自に仲間を募った[2]

シカゴの会議の後、メル・トム(パイユート族)やハーブ・ブラッチフォード(ナバホ族)、シャーリー・ヒル・ウィット(モホーク族)、マリー・ナカニ(ウィンネバーゴ族)、ビビアン・ワンフェザー(ナバホ族)らインディアンの若い男女は自分たちを「シカゴ評議会の若者会議」と名乗り、その夏に、ニューメキシコ州のギャラップで「全米インディアン若者会議」(NIYC)を結成し、2000人から成る大組織に育てた[3]

「NIYC」は、インディアンに対する合衆国の不当な扱いや差別、「インディアン管理局」(BIA)の無能ぶりを白日に晒すため、「NCAI」が嫌った直接的な抗議運動を展開し、アメリカ白人社会の耳目を集めるようになった。1963年には、ワシントンD.C.で、インディアンの条約権利回復要求を掲げ、「NIYC」による抗議行進を決行した。

1960年代中期に、クライドは当時インディアン社会に強い影響を与えた『あなたはどれですか? 若いインディアンの5つのタイプ』と『我々には自由が無い』という二つのエッセイを著している[1]

晩年はアルコール使用障害に苦しみ、肝硬変で1968年7月に死去した。28歳だった。彼の碑銘には「新しいインディアンの理想主義の、新鮮な空気」と刻まれている。

発言

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クライドは、1967年に連邦議会で開かれた「地方の貧困に関する大統領査問委員会」で、「NYIC」のスポークスマンとして次のような証言を行っている[4]

我々には自由がない。我々には選択がない。我々の選択肢は我々のために作られているはずなのに我々は貧しい。保留地にたよって暮らす我々にとって、これらの選択と決定は連邦管理官と役人、そして彼らの『イエスマン』によってなされている。この『イエスマン』とは、婉曲的に『部族政府』と呼ばれている。我々は、我々のために選択するべきなのだ。

脚注

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  1. ^ a b Cowger, Thomas. Clyde Warrior. Oklahoma Historical Society's Encyclopedia of Oklahoma History & Culture. 2009 (6 August 2009)
  2. ^ Van de Logt, Mark. Ponca. Oklahoma Historical Society's Encyclopedia of Oklahoma History & Culture. 2009 (6 August 2009)
  3. ^ Cobb, Daniel M.(2008). Native Activism In Cold War America: The Struggle for Sovereignty, University Press of Kansas, Kansas. ISBN 978-0-7006-1597-1.
  4. ^ 『First Peoples: A Documentary Survey of American Indian History』(Colin G. Calloway)

関連項目

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参考文献

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  • 『Oklahoma Historical Society』(Encyclopedia of Oklahoma History & culture,「WARRIOR,CLYDE」)

外部リンク

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