クラレンドン伯爵
クラレンドン伯爵(第2期) | |
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Arms:Argent on a Cross Gules five Escallop Shells Or Crest:A Lion rampant Argent ducally crowned Or Supporters:On either side an Eagle wings endorsed Sable ducally crowned Or charged on the breast with a Plain Cross Argent
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創設時期 | 1776年6月14日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | グレートブリテン貴族 |
初代 | 初代伯トマス・ヴィリアーズ |
現所有者 | 8代伯ジョージ・ヴィリアーズ |
相続人 | エドワード・ヴィリアーズ |
付随称号 | ハイド男爵 |
現況 | 存続 |
邸宅 | ホリウェル・ハウス |
モットー | Fidei Coticula Crux (The cross, the test of faith) |
クラレンドン伯爵 (Earl of Clarendon) は、イギリスの伯爵位。
過去に2回創設されており、第1期はエドワード・ハイドが1661年にイングランド貴族爵位として叙されたのに始まるが、4代で絶家した。現存する2期目はトマス・ヴィリアーズが1776年にグレートブリテン貴族として叙されたのに始まる。
歴史
[編集]ハイド家
[編集]エドワード・ハイド (1609-1674) は清教徒革命(イングランド内戦)の際に立憲王党派として行動して共和政期にはチャールズ2世の亡命宮廷に仕え、1660年の王政復古後にチャールズ2世の宰相(大法官)となり、1667年の失脚まで国政を主導した[1]。彼の娘アン・ハイドはジェームズ2世の最初の妻であり、後の女王メアリー2世とアンの母である[2]。
エドワード・ハイドは王政復古まもない1660年11月3日にイングランド貴族爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンの初代ハイド男爵 (Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)」に叙され、ついで1661年4月20日にイングランド貴族爵位クラレンドン伯爵と「オックスフォード州におけるコーンベリー子爵 (Viscount Cornbury in the County of Oxford)」に叙せられた[2][3]。
初代伯の長男第2代伯ヘンリー(1638-1709) とその一人息子の3代伯エドワード(1661-1723) は、ともに襲爵前にトーリー党の庶民院議員を務めた[2][4][5]
3代伯が死去した際、生存している男子がなかったため、クラレンドン伯爵位は初代伯にさかのぼっての分流である第2代ロチェスター伯爵ヘンリー・ハイド (1672-1753)(初代伯の次男ロチェスター伯爵ローレンス・ハイド (1642-1711) の子で3代伯の従弟)に継承された。しかし彼が死去した際にも生存している男子はなく、彼の死去をもって継承者は絶え、爵位は廃絶した[2][6]。
ヴィリアーズ家
[編集]第2代ジャージー伯爵ウィリアム・ヴィリアーズ (1682-1721) の次男であり、第4代クラレンドン伯ヘンリー・ハイドの孫娘の夫にあたるトマス・ヴィリアーズ (1709-1786) は、外交官としてザクセン公使(在職:1740年 - 1747年)、ウィーン公使(在職:1742年 - 1743年)、ベルリン公使(在職:1746年 - 1748年)などを歴任した後、ホイッグ党の政治家として政界で活躍し、郵政長官(在職:1763年 - 1765年、1786年)やランカスター公領大臣(在職:1771年 - 1782年、1783年 - 1786年)などの閣僚職を務めた。1756年6月3日にグレートブリテン貴族爵位「ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵 (Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)」、1776年6月14日にグレートブリテン貴族爵位クラレンドン伯爵に叙せられた。これが二期目のクラレンドン伯爵位の創設である[7][8]。
その孫である4代伯ジョージ (1800-1870) もホイッグ党・自由党の政治家として政界で活躍し、外務大臣(在職:1853年 - 1858年、1865年 - 1866年、1868年 - 1870年)などの閣僚職を歴任した[7][9]。
2016年現在の当主は第8代伯爵ジョージ・ヴィリアーズ (1976-) である[7]。
一家の屋敷はハンプシャーのスワンモアのホリウェル・ハウス (Holywell House) である[7]。
現当主の保有爵位
[編集]現当主8代クラレンドン伯ジョージ・ヴィリアーズは以下の爵位を保持している[7]。
- 第8代クラレンドン伯爵 (8th Earl of Clarendon)
- (1776年6月14日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- 第8代ウィルトシャー州におけるヒンドンのハイド男爵 (8th Baron Hyde, of Hindon in the County of Wiltshire)
一覧
[編集]クラレンドン伯爵 第1期(1661年創設)
[編集]- 初代クラレンドン伯爵エドワード・ハイド(1609年 - 1674年)
- 第2代クラレンドン伯爵ヘンリー・ハイド (1638年 - 1709年)
- 第3代クラレンドン伯爵エドワード・ハイド (1661年 - 1723年)
- 第4代クラレンドン伯爵・第2代ロチェスター伯爵ヘンリー・ハイド (1672年 - 1753年)
クラレンドン伯爵 第2期(1776年創設)
[編集]- 初代クラレンドン伯爵トマス・ヴィリアーズ(1709年 - 1786年)
- 第2代クラレンドン伯爵トマス・ヴィリアーズ (1753年 – 1824年)
- 第3代クラレンドン伯爵ジョン・チャールズ・ヴィリアーズ (1757年 – 1838年)
- 第4代クラレンドン伯爵ジョージ・ウィリアム・フレデリック・ヴィリアーズ(1800年 - 1870年)
- 第5代クラレンドン伯爵エドワード・ハイド・ヴィリアーズ (1846年 – 1914年)
- 第6代クラレンドン伯爵ジョージ・ハーバート・ハイド・ヴィリアーズ (1877年 – 1955年)
- 第7代クラレンドン伯爵ジョージ・フレデリック・ローレンス・ハイド・ヴィリアーズ (1933年 – 2009年)
- 第8代クラレンドン伯爵ジョージ・エドワード・ローレンス・ハイド・ヴィリアーズ(1976年 - )
- 法定推定相続人は現当主の長男ハイド男爵エドワード・ジョージ・ジェームズ・ヴィリアーズ(2008年 - )
系図
[編集]初代クラレンドン伯 エドワード・ハイド (1609-1674) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イングランド国王 ジェイムズ2世 (1633-1701) | アン・ハイド (1637-1671) | 2代クラレンドン伯 ヘンリー・ハイド (1638-1709) | 初代ロチェスター伯 ローレンス・ハイド (1642-1711) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イングランド女王 メアリー2世 (1662-1694) | イギリス女王 アン (1665-1714) | 3代クラレンドン伯 エドワード・ハイド (1661-1723) | 2代ロチェスター伯 4代クラレンドン伯 ヘンリー・ハイド (1672-1753) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代ジャージー伯 ウィリアム・ヴィリアーズ (-1721) | 3代エセックス伯 ウィリアム・カペル (1697-1743) | ジェーン (-1724) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3代ジャージー伯 ウィリアム・ヴィリアーズ (-1769) | 初代クラレンドン伯爵 トマス・ヴィリアーズ (1709-1786) | シャーロット (-1790) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャージー伯爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代クラレンドン伯 トマス・ヴィリアーズ (1753–1824) | 3代クラレンドン伯 ジョン・ヴィリアーズ (1757–1838) | ジョージ・ヴィリアーズ (1759–1827) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4代クラレンドン伯 ジョージ・ヴィリアーズ (1800–1870) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5代クラレンドン伯 エドワード・ヴィリアーズ (1846–1914) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6代クラレンドン伯 ジョージ・ヴィリアーズ (1877–1955) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7代クラレンドン伯 ローレンス・ヴィリアーズ (1933–2009) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8代クラレンドン伯 ジョージ・ヴィリアーズ (1976-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 148.
- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Clarendon, Earl of (E, 1661 - 1753)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Edward Hyde, 1st Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Henry Hyde, 2nd Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Edward Hyde, 3rd Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Henry Hyde, 4th Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Clarendon, Earl of (GB, 1776)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “George William Villiers, 4th Earl of Clarendon” (英語). thepeerage.com. 2016年1月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。