クレピー=アン=ヴァロワ
Crépy-en-Valois | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オー=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | オワーズ県 |
郡 (arrondissement) | サンリス郡 |
小郡 (canton) | クレピー=アン=ヴァロワ小郡 |
INSEEコード | 60176 |
郵便番号 | 60800 |
市長(任期) |
ブリュノ・フォルティエ (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du pays de Valois |
人口動態 | |
人口 |
15231人 (2016年) |
人口密度 | 936人/km2 |
住民の呼称 | Crépynois |
地理 | |
座標 | 北緯49度14分09秒 東経2度53分24秒 / 北緯49.235837度 東経2.890032度座標: 北緯49度14分09秒 東経2度53分24秒 / 北緯49.235837度 東経2.890032度 |
標高 |
平均:m 最低:62m 最高:150 m |
面積 | 16.28km2 |
公式サイト | crepyenvalois.fr |
クレピー=アン=ヴァロワ (Crépy-en-Valois)は、フランス、オー=ド=フランス地域圏、オワーズ県のコミューン。
地理
[編集]パリの北東約60kmにあるクレピー=アン=ヴァロワは、大きな産業文化の土壌(穀物、ビート、油料系植物の生産、畑作農業など)を持つヴァロワの中心地である。
町は、国道2号線道路とA1道路の近くにある。シャルル・ド・ゴール国際空港へは車で約25分から30分の距離である。コミューンにはクレピー=アン=ヴァロワ駅があり、ラ・プレーヌ-イルソンおよびアノール線、TERピカルディーの路線(パリ-ラン区間)と同様にトランジリアンK線の列車が運行される。
2011年12月より、クレピー=アン=ヴァロワ市ではカール・シャルロが運営するシプレという無料バスが運行されており、市内の観光名所に向けた2本の路線で構成されている[1]。
建設されてほぼ100年のサン・ラドル橋は老朽化の兆候があらわれ、その堅牢さに疑問が投げかけられている。2018年、重量3.5トンを超えるトラックの橋の通過が禁止された[2]。修復作業はフランス国鉄とオワーズ県間の意見の不一致で難航している[3]。
コミューンはリュ・デ・タイヤンディエ川(サント=マリー川支流。サント=マリー川はオートンヌ川左岸の支流である)によって排水されている。また、いくつかの池がある。
由来
[編集]Crépyは、Crispeium in Valesia (9世紀)、Crispiacus、Crispinacum、Crispeiacum、Crespeium (1504年)、Crispiacum (1223年)、Chrispeyum、Crispeium sylvanectum、Crespy, Crépi、Crespi、Crespeiと記された[4]。
歴史
[編集]クレピー=アン=ヴァロワの場所は、おそらくローマ人に占領されていた。
10世紀から、フランス王冠領とされる1213年まで、クレピー=アン=ヴァロワはフランス王の有力な家臣ヴァロワ伯の本拠地となった。アパナージュとしてヴァロワを与えられたルイ・ド・ヴァロワは、この地を公領とした。
クレピー=アン=ヴァロワは、フランドルとシャンパーニュ間の主要道の1つに位置しており、シャンパーニュ大市とともに12世紀から13世紀まで経済的な繁栄を経験した[5]。
しかし、町は百年戦争の影響を受ける。さらに、16世紀以降のフランス王たちはヴィレール=コトレの町の方を好んだ。その後、フランス革命まで、町は徐々に衰退していった。
フランス革命のもと、クレピーの大衆社会は活発だった。1790年から1795年まで、クレピー=アン=ヴァロワは郡庁が置かれた。1861年には鉄道が到達し、町が経済的な活力を取り戻したため1873年にはクレールの家具製造工場ができた。町は、1888年から1918年まで市長を務めた、ギュスターヴ・ショピネ時代の著しい経済成長を忘れていない。
1902年、市議会は宗教的対立によって分裂し、閣僚会議によって解散させられた。
ギュスターヴ・ショピネ市長は、第一次世界大戦のドイツによるフランス侵攻時である1914年9月2日、12人のクレピー市民とともにドイツの人質となった。彼の勇敢な行為は、1917年にレジオン・ドヌール勲章をもたらした。町は特に1918年にドイツによる爆撃に苛まれた。クレールの家具工場は部分的に破壊された。
戦争末期にもかかわらず、町が中程度の破壊に苦しんだことが地図で明らかになっている。1920年7月、第一次世界大戦中のクレピーに対しクロワ・ド・ゲール勲章が授与された。
戦後は、物価の上昇、深刻な住宅危機に特筆される。ジャン・ヴァサル市長の元、最初の低価格住宅(fr)がつくられた。フランス社会党SFIO所属の社会主義者ヴァサルは、ナチス支配下のヴィシー政権によって支持されていた。しかしながらまったく意外なことに、ヴァサルを支持したのはド・ゴール主義者の知事、イヴ・ペロニーであった。1944年9月、彼は地元のフランス内地軍(FFI)によって追放された。1944年11月、ヴァサルはSFIOから除名された。彼は1948年にフランス人民連合に入党した。
左翼のクレピー市民が分裂したのをうまく利用して、ミシェル・デュピュイ博士が1953年のコミューン選挙で勝利した。デュピュイの複数回の任期の元、1995年に彼が職を辞すまでの間にコミューンの人口は5000人から、14000人に増加した。
政治
[編集]クレピー=アン=ヴァロワは、サンリス郡に属する。国民議会選挙においては、1988年以降オワーズ県第5選挙区の一部となっている。
1790年以降、クレピー=アン=ヴァロワ小郡の中心である。2014年にフランスの小郡再編が行われたが、これまで小郡の中央投票所(fr)が置かれてきたこのコミューンは、再編後も、再編前と同じ25のコミューンを維持する小郡庁所在地のままである。
人口統計
[編集]2016年時点のコミューンの人口は15231人で、2011年当時の人口より5.96%増加した[6]
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2016年 |
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7379 | 8660 | 10920 | 12228 | 13222 | 14436 | 14289 | 15231 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[7]、2006年以降INSEE[8][9]
史跡
[編集]- サン・トマ・ド・カントルベリ参事会教会の遺構[10] - 1875年より歴史的記念物[11]。建物の最も古い部分は12世紀からのもの。2019年6月21日、建物の一部が倒壊した[12].。
- サンタルヌ―ル僧院の遺構 - 城塞都市の北西端にある。1943年より建物が歴史的記念物[13]。1077年にクリュニー会の規律を採用した僧院として創建。18世紀の僧院住居、ゴシック様式の教会(現在は廃墟)、ロマネスク様式の地下礼拝堂(廃墟)、修道院建物東翼には回廊と3つのアーチをもつ部屋があり、観光客に開放されている[14].。
- 旧サントーバン城館 - 1926年より歴史的記念物[15]。南側の城壁を見下ろす、10世紀から13世紀の建物。1170年から1180年の間に、ティボー3世・ド・クレピー=ナントゥイユが建てたサントーバン礼拝堂がある。ブーヴィーヌの戦いの直後、彼の息子フィリップ1世は礼拝堂に隣接して、中世の町の城壁を見下ろす貴族の館を建てた。16世紀にここにはヴァロワ公領の行政の中心が置かれた。
- サン・ドニ教会 - 1977年より歴史的記念物[16]。1802年以降唯一の教区教会。11世紀には城付属の礼拝堂だった。百年戦争で大規模な被害を受けて複数回修復され、1792年には国有資産として売却された後、接収され、飼料店となったが、1802年より教会に戻った[17].。
- サン・マルタン・ド・ブイヤン教会 - 1951年より歴史的記念物[18]。ブイヤン集落は1828年にクレピーと合併するまで、単独のコミューンだった。建物は4つの梁間、2つの側廊を備えた身廊だけが残っている。翼廊とクワイヤは革命の間に破壊された。教会の後ろには、言い伝えによると、熱病をいやしたとされるサン・マルタンの泉があった[17]。
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サン・トマ・ド・カントルベリ参事会教会
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サンタルヌ―ル僧院
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サン・ドニ教会
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サン・マルタン・ド・ブイヤン教会東側ファサード
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博物館。旧サントーバン城館
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ラ・ローズ邸。1537年
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15世紀、ラ・コランドン邸
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16世紀の建物
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1649年、サン・ジョセフ邸
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フォン・マランにある邸宅
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14世紀のキャトル・セゾン邸
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ジャンヌ・ダルクの家と呼ばれる古い住宅
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1788年から1792年に建設されたパリ門の跡地
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城壁の南側
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サンタガト門
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ベル・イマージュ邸
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ジェレーム城館
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墓地。サンタルヌ―ル僧院前のテラスから谷を眺める
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サンタガトの泉
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旧コミューン役場の入り口とバルコニー
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サン・トマ参事会教会の遺構にある戦死者記念碑
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ブイヤン集落にある、彫刻家アルベール・バルトロメの手による夫人の墓碑
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カルヴェール
姉妹都市
[編集]- ツェル (モーゼル)、ドイツ
- アントワン、ベルギー
- プウォンスク、ポーランド
脚注
[編集]- ^ Ligne de bus de la ville.
- ^ à 17h01, Par Cindy BelhommeLe 11 octobre 2018 (11 October 2018). "Crépy-en-Valois : le pont Saint-Ladre va être interdit aux véhicules lourds". leparisien.fr (フランス語). 2019年8月13日閲覧。
- ^ "VIDEO. "On ne peut pas laisser un pont dans cet état" : à Crépy-en-Valois, des habitants s'inquiètent d'un pont décrépit". Franceinfo (フランス語). 13 August 2019. 2019年8月13日閲覧。
- ^ Louis Graves, Précis statistique sur le canton de Crépy-en-Vlois, arrondissement de Senlis (Oise), Beauvais, Annuaire de l'Oise, 1836, 252 p., p. 78.
- ^ fr:Louis Carolus-Barré, "Crépy-en-Valois, ville de commune" in Volum no 1, Bulletin de la société d'histoire et d'archéologie du Valois, janvier 2007
- ^ Population municipale légale en vigueur au 1er janvier 2019, millésimée 2016, définie dans les limites territoriales en vigueur au 1er janvier 2018, date de référence statistique : 1er janvier 2016.
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=11024
- ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-60176
- ^ http://www.insee.fr
- ^ Dominique Vermand. "Crépy-en-Valois, collégiale Saint-Thomas-de-Cantorbéry". Diocèse de Senlis. Eglises de l'Oise - Art roman et gothique. 2019年6月19日閲覧。.
- ^ https://www.pop.culture.gouv.fr/notice/merimee/PA00114659
- ^ Alexis Bisson (21 June 2019). "Crépy-en-Valois : la façade de l'église Saint-Thomas s'est écroulée : La chute des pierres, dans la nuit de jeudi à vendredi, n'a pas fait de victime. Un périmètre de sécurité a été mis en place". 2019年6月25日閲覧。 .
- ^ https://www.pop.culture.gouv.fr/notice/merimee/PA00114655
- ^ Dominique Vermand, Églises de l'Oise, canton de Crépy-en-Valois : Les 35 clochers de la Vallée de l'Automne, Comité Départemental de Tourisme de l'Oise / S.E.P Valois Développement, , 56 p., p. 17-18.
- ^ https://www.pop.culture.gouv.fr/notice/merimee/PA00114656
- ^ https://www.pop.culture.gouv.fr/notice/merimee/PA00114658
- ^ a b Jean-Marie Tomasini, Crépy-en-Valois : 1000 ans d'histoire, Corps 9 Editions
- ^ https://www.pop.culture.gouv.fr/notice/merimee/PA00114657