クロシュ・レザー・パフラヴィー
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クロシュ・レザー・パフラヴィー | |
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パフラヴィー家 | |
2015年撮影 | |
称号 | イラン皇太子 |
出生 |
1960年10月31日(64歳) イラン テヘラン |
父親 | モハンマド・レザー・パフラヴィー |
母親 | ファラー・ディーバー |
クロシュ・レザー・パフラヴィー(Reza Pahlavi、1960年10月31日-)は、元パフラヴィー朝イランの皇太子。民主化運動家。最後の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィー(日本の呼称ではパーレビ国王)と皇后ファラー・ディーバーの長男。イラン革命で帝政が崩壊して以降はアメリカ合衆国に亡命状態にある。
経歴
[編集]1960年、テヘランに生まれる。1979年、イラン革命により父親が亡命を余儀なくされると、アメリカ合衆国へ移る。以降イランには戻れず、アメリカを拠点にイラン・イスラーム共和国における人権を批判し、慈善事業の傍らで民主化を支援するなどの活動を行っている。2020年には、インタビューにて昨年来のイラン国内の大規模デモやウクライナ国際航空752便撃墜事件による抗議活動を挙げたうえで、最高指導者アリー・ハーメネイーが率いるイランの現在の体制は、数か月以内に崩壊すると予言。欧米の主要諸国に対してイラン政府と交渉しないようアピールを行った[1]。2024年5月19日に東アーザルバーイジャーン州ヘリコプター墜落事故が発生してエブラーヒーム・ライースィー大統領らが死亡した際には声明を発表し、ライースィーは追悼に値しない残虐な虐殺者だったと批判。ハーメネイーを頂点とする現状の転換を訴えた[2]。
「イラン国民の連帯」など、イランの現体制転換を求める政治勢力には、彼を擁立して国王を象徴として戴く民主国家樹立を求める支持者がいる。イラン国内での反政府デモにおいても、王政復古が叫ばれることがある[3]。
その他
[編集]- 2011年、同じ境遇であった弟のアリー・レザー・パフラヴィーが自殺している[4]。
脚注
[編集]- ^ “米に亡命の元皇太子「イランの現体制は数か月以内に崩壊する」”. AFP (2020年1月18日). 2020年1月17日閲覧。
- ^ “パーレビ元皇太子、ライシ師非難 「追悼に値しない虐殺者」”. 47NEWS. 共同通信社. (2024年5月21日) 2024年5月21日閲覧。
- ^ 王室物語(5)末裔たち 辛酸と野心/イラン 政情不安、復権に意欲『読売新聞』朝刊2019年4月20日(国際面)
- ^ “アリレザ・パーレビ氏死去 故パーレビ元イラン国王の息子”. 共同通信. 47NEWS. (2011年1月5日) 2011年10月12日閲覧。[リンク切れ]
クロシュ・レザー・パフラヴィー
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請求称号 | ||
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先代 ファラー・ディーバー 摂政(名目上)として |
— 名目上 — イラン皇帝 1980年10月31日 – 現在 継承失敗の理由 イラン革命による帝政崩壊 |
現職 推定相続人 パトリック・アリー・パフラヴィー |
継承順位 | ||
空位 最後の在位者 モハンマド・レザー・パフラヴィー
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イラン皇太子 1967年10月26日 – 1979年2月11日 |
空位 |
党職 | ||
新設 結党
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イラン国民会議議長 2013年4月 – 2017年9月16日 |
次代 集団指導制に移行 |