クロード・フランソワーズ・ド・ロレーヌ
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クロード・ド・ロレーヌ Claude de Lorraine | |
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ロレーヌ公妃 | |
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在位 | 1634年2月18日 - 1648年8月2日 |
別称号 | バル公妃 |
出生 |
1612年10月6日 ロレーヌ公国、ナンシー、公爵宮殿 |
死去 |
1648年8月2日(35歳没) オーストリア大公国、ウィーン |
埋葬 | ロレーヌ公国、ナンシー、サン=フランソワ=デ=コルドリエ教会 |
配偶者 | ニコラ2世 |
子女 |
フェルディナン・フィリップ シャルル5世 アンヌ・エレオノール アンヌ・マリー マリー・アンヌ |
家名 | シャトノワ=ヴォーデモン=ロレーヌ家 |
父親 | ロレーヌ公アンリ2世 |
母親 | マルグリット・ド・ゴンザーグ |
クロード・フランソワーズ・ド・ロレーヌ(Claude Françoise de Lorraine, 1612年10月6日 - 1648年8月2日)は、ロレーヌ公アンリ2世と公妃マルグリット・ド・ゴンザーグの次女で、ロレーヌ公ニコラ2世フランソワの妃。ロレーヌ女公または公妃ニコルの妹。ドイツ語名はクラウディア・フランツィスカ・フォン・ロートリンゲン(Claudia Franziska von Lothringen)。
クロードは1634年2月18日にリュネヴィルで、従兄弟(同年生まれ)にあたるニコラ・フランソワと結婚した。ニコラ・フランソワは同年に、自身の兄でありクロードの姉ニコルの夫でもあるシャルル4世に代わってロレーヌ公位に即いていたが、フランスにロレーヌを占領され、クロードを連れてロレーヌから亡命した。
2人は以下の子供をもうけた。
- フェルディナン・フィリップ(1639年12月29日 - 1659年4月1日) ロレーヌ公世子、バル公。
- シャルル・レオポール(1643年4月3日 - 1690年4月18日) ロレーヌ公シャルル5世。
- アンヌ・エレオノール(1645年5月12日 - 1648年2月28日)
- アンヌ・マリー・テレーズ(1648年7月30日 - 1661年6月17日) ルミルモン修道院長。
- マリー・アンヌ(1648年7月30日 - ?)
クロードはアンヌ・マリーとマリー・アンヌの双子を出産の後、35歳でウィーンにて死去し、ナンシーのサン=フランソワ=デ=コルドリエ教会に葬られた。