グラスホッパー (砲艦)
HMS グラスホッパー | |
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基本情報 | |
建造所 | ソーニクロフト社 |
運用者 | イギリス海軍 |
級名 | ドラゴンフライ級砲艦 |
艦歴 | |
発注 | 1937年8月9日 |
起工 | 1937年12月29日 |
進水 | 1939年1月19日 |
竣工 | 1939年6月13日 |
最期 | 1942年2月14日に沈没 |
要目 | |
基準排水量 | 585ロングトン (594 t) |
満載排水量 | 685ロングトン (696 t) |
長さ | 196 ft 6 in (59.9 m) |
幅 | 33 ft (10.1 m) |
吃水 | 6 ft 3 in (1.9 m) |
主機 |
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出力 | 3,800 shp (2,800 kW) |
速力 | 17ノット (31 km/h) |
乗員 | 74 |
兵装 |
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ペナントナンバー:T.85 |
グラスホッパー (HMS Grasshopper) はイギリス海軍の河用砲艦。ドラゴンフライ級。グラスホッパーはバッタを意味する。
艦歴
[編集]1937年8月9日、中国の河川に配備されている河用砲艦の代艦の一隻として発注。ウールストンのソーニクロフト社で1937年12月29日起工[1][2]。1939年1月19日進水[3]。
1939年4月、「グラスホッパー」は自力航行で中国へと向かった[4]。「グラスホッパー」は香港で[5]1939年6月1日に就役し[1]、6月13日に竣工した[1]。同月末、「グラスホッパー」はインセクト級砲艦「ナット」の代わりとして長江に配備された。「ナット」乗員の一部は「グラスホッパー」に移った。1941年12月に日本が第二次世界大戦に参戦すると、「グラスホッパー」は中国からシンガポールに移された[6]。1942年1月中は「グラスホッパー」はマレー半島の戦いでの連合国軍の撤退を援護した[7]。1月27日からは「グラスホッパー」と「ドラゴンフライ」は日本軍の進軍によって取り残されたイギリス第53歩兵旅団と第15インド歩兵旅団の3000名近くをBatu Pahatの南の沼地から救出した[8]。
日本軍によるマレー半島占領後、2隻はシンガポール港へ移動した。2月9日、日本軍はジョホール海峡の横断を開始。激しい戦闘が行われ、シンガポール港内の艦船は多くが脱出した。2月11日の時点では「グラスホッパー」と「ナット」[要検証 ]が残っている船では最大のものであった。[9]2隻は脱出する人を乗せて2月13日21時にシンガポールからバタビアへ向け出航した[10]。翌日2隻は日本軍の爆撃機の攻撃を受けて「グラスホッパー」に爆弾1発が命中[11]。その後再び攻撃を受けて3度命中弾を受けた「ドラゴンフライ」が沈没[12]。「グラスホッパー」も2度被弾して火災が発生。弾薬庫の隣にまで火災が広がったため総員退艦命令が出された。[13]乗員は日本軍機の機銃掃射を受けながら近くの島へボートで移動し[14]、そこで「ドラゴンフライ」の生存者と合流した[15]。ボートと徴発したTongkangで2月19日に[15][16]オランダ領東インドのシンケップ島に着いた。負傷者を残し、二日後にジャンクでスマトラ島へ向け出発[16]。マラッカ海峡を通ってスマトラ島に到達し、Indragiri川をさかのぼった[17]。川幅が狭くなりジャンクで進めなくなると船から降り[18]、ジャングル内を歩いて進んだが、日本軍の支配地域に入ってしまい捕らえられた[19]。
乗員のうち二人はスマトラ島へ向かわなかった。二人はイギリス海軍予備員一人、イギリス陸軍兵二人と合流した。彼らは日本軍と問題が起きることを避けるためSelayar島へ送られた[20]。そこで船を提供され [21]、彼らはマドラスへ向かうことを決めた[22]。そして、17日間の旅の末にインドにたどり着いた[23]。
脚注
[編集]- ^ a b c Lenton (1998), p. 270
- ^ “New Ships”. The Times (London) (48197): p. 21. (7 January 1939)
- ^ “Three Launches To-Day”. The Times (London) (48207): p. 8. (19 January 1939)
- ^ “New River Gunboats”. The Times (London) (48279): p. 9. (14 April 1939)
- ^ “NMM, vessel ID 367817”. Warship Histories, vol vi. National Maritime Museum. 19 September 2013閲覧。
- ^ Varley (1973): p. 43
- ^ Varley (1973): p. 48
- ^ Shores, Cull & Izawa (1992), p. 347
- ^ Varley (1973): p. 51
- ^ Varley (1973): p. 54
- ^ Varley (1973): p. 57
- ^ “Chief Petty Officer Leonard Williams”. The Times (London). (22 January 2007). オリジナルの9 November 2010時点におけるアーカイブ。 15 September 2013閲覧。
- ^ Varley (1973): p. 58
- ^ Varley (1973): p. 60
- ^ a b Coates, Col. J.B.. “Malaya”. The Queen's Royal Surreys Regiment. 15 September 2013閲覧。
- ^ a b Varley (1973): p. 64
- ^ Varley (1973): p. 65
- ^ Varley (1973): p. 66
- ^ Fryer, Jane (13 August 2010). “Judy, the dogged PoW who defied the Japanese”. Daily Mail. オリジナルの9 November 2010時点におけるアーカイブ。 15 September 2013閲覧。
- ^ Varley (1973): p. 141
- ^ Varley (1973): p. 143
- ^ Varley (1973): p. 144
- ^ Varley (1973): p. 152
参考文献
[編集]- Gardiner, Robert & Gray, Randal, eds (1984). Conway's All the World's Fighting Ships: 1906–1922. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-85177-245-5
- Lenton, H. T. (1998). British & Empire Warships of the Second World War. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-55750-048-7
- Shores, Christopher; Cull, Brian & Izawa, Yasuho (1992). Bloody Shambles. I: The Drift to War to the Fall of Singapore. London: Grub Street. ISBN 0-948817-50-X
- Shores, Christopher; Cull, Brian & Izawa, Yasuho (1993). Bloody Shambles. II: The Defence of Sumatra to the Fall of Burma. London: Grub Street. ISBN 0-948817-67-4
- Varley, Edwin (1973). James, Wendy. ed. The Judy Story: The Dog with Six Lives. London: Souvenir Press. ISBN 978-0-285-62121-3