グラム・ハイダル・ラスリ
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グラム・ハイダル・ラスリ(غـلام حـيدر رسـولي、Ghulam Haidar Rasuli、1919年 - 1978年4月)は、アフガニスタンの政治家、軍人。大将。ムハンマド・ダーウード政権の参謀総長(1975年 - 1977年)、国防相(1977年 - 1978年)。
経歴
[編集]ルスタク市出身。パシュトゥーン人、ムハマッディ氏族。父のグラム・ラスールは、カンダハールの長官だった。1933年、陸軍幼年学校を卒業。
- 1946年~1954年 - カーブル守備隊の騎兵将校
- 1954年~1956年 - ジャラーラーバード守備隊に勤務
- 1956年~1958年 - インドの軍学校に研修
- 1958年~1960年 - マザーリシャリーフ守備隊参謀長
- 1960年~1964年 - プリ・フムリで勤務
- 1964年~1966年 - ガルデゼで勤務
- 1966年 - 国防省召集局長、中佐。
間もなく、ダーウードの支持者として、陰謀への関与を疑われ、退役させられる。
1973年、ダーウードの軍事クーデターに参加し、少将に昇進する。同年、中央軍団司令官。1975年、参謀総長。1977年、国防相に就任し、大将に昇進。
1978年の四月革命時、反乱軍により殺害。
パーソナル
[編集]妻帯、7児を有した。妻は、農業相アダラト・ハーンの娘。