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新宿オデヲン座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グランドビルから転送)
新宿オデヲン座
Shinjuku Odeon
種類 事業場
市場情報 消滅
本社所在地 日本の旗 日本
160-0021
東京都新宿区歌舞伎町1丁目20番2号
設立 1951年11月
業種 サービス業
事業内容 映画の興行
代表者 高橋康友
大谷晴通
主要株主 東亜興行
関係する人物 高橋康友
大谷晴通
外部リンク toakogyo.com
特記事項:略歴
2009年11月30日 閉館
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新宿オデヲン座(しんじゅくオデオンざ)は、かつて存在した日本の映画館である[1][2]。1951年(昭和26年)11月、東京都新宿区歌舞伎町、現在の「第二東亜会館」の場所に開館、1955年(昭和30年)12月に「グランドビル」の新築・落成とともに同ビルにグランドオデヲン座(グランドオデオンざ)、ニューオデオン座(ニューオデオンざ)が新規開館、のちに新宿オデヲン座は同ビル地下に移転した[1][2]。2009年(平成21年)11月30日、全面閉館、土地・建物はのちに売却された[3]

本項では第一東亜会館(だいいちとうあかいかん、かつてのグランドビル)、および同会館に存在したすべての映画館についても詳述する[1][2]

沿革

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右手奥の建物が「グランドビル」で「グランドオデヲン座」の看板が見える。正面奥は新宿ミラノ座、左手が地球会館、右手前が新宿劇場。1959年5月の写真。
左手前の建物が「第一東亜会館」で新宿オデヲン座等の看板が1階正面に並ぶのが見える。正面奥はかつて存在した新宿コマ劇場、同右は第二東亜会館。2009年の写真。
  • 1951年11月 - 歌舞伎町に新宿オデヲン座を開館[2]
  • 1955年12月 - 「グランドビル」新築・落成、グランドオデヲン座およびニューオデオン座を開館[1][2]
  • 1959年4月 - 新宿オデヲン座を「グランドビル」地下に移転[1]
  • 1975年12月 - 「グランドビル」を「第一東亜会館」として新装開場、新宿アカデミー劇場を開館[2]
  • 1982年12月 - 「第一東亜会館」内に新宿オスカー劇場を新装開館[2]
  • 2009年3月 - 隣接する「第二東亜会館」内の新宿トーアを閉館
    • 同年9月23日 - 新宿オスカー劇場を閉館
    • 同年11月30日 - 「第一東亜会館」を全面閉館、グランドオデヲン座・新宿アカデミー劇場・新宿オデヲン座を閉館
  • 2012年9月 - アパグループに「第一東亜会館」跡地を売却[3]
  • 2015年9月30日 - 跡地に「アパホテル新宿歌舞伎町タワー」開業[3][4]

データ

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概要

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1953年(昭和33年)4月に発行された『新宿オデヲンニュース』75号の表紙。
跡地に建てられたアパホテル新宿歌舞伎町タワー。写真左は解体中の新宿TOKYU MILANO。右はヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町。2016年3月の写真。

第二次世界大戦後、かつて東京府立第五高等女学校(移転して現在の東京都立富士高等学校)のあった地区、東京都新宿区歌舞伎町を開発することになり、林以文(のちのヒューマックス創業者)が、1947年(昭和22年)12月、歌舞伎町753番地に新宿地球座を新築・開館、同地区進出第1号となったが[1][6]、第2号として、1949年(昭和24年)8月に阿佐谷オデヲン座を開業していた高橋康友東亜興行が、1951年(昭和26年)11月、歌舞伎町879番地に開業したのが、最初の新宿オデヲン座であった[2]。新宿オデヲン座が開業した場所は、新宿地球座(のちの地球会館)の並びであり、現在の「第二東亜会館」の位置にあたる[1][2]。同年、歌舞伎町には隣接して東京急行電鉄東京スケートリンクが開場、2年後の1953年(昭和28年)1月2日には、歌舞伎町879番地に林以文が新宿劇場を新築・開館したが、まだ新宿コマ劇場の位置は野原であった[6][1]

1955年(昭和30年)12月、東亜興行は、最初の新宿オデヲン座からみて広場を挟んで斜め向かい、新宿劇場の並びにあたる歌舞伎町511番地に「グランドビル」を新築・落成、1,200名の収容人員を誇るグランドオデヲン座(1階)、および500名規模のニューオデオン座(地下1階)を開館した[1][2]。同ビルには映画館のほか、5階に「キャバレーオデヲン」があり、レジャービルの草分けとなる[1]。1959年(昭和34年)4月、新宿オデヲン座を開業地から「グランドビル」地下に移転、「グランドビル」の映画館はグランドオデヲン座、新宿オデヲン座の2館になった[1]。新宿オデヲン座移転後の跡地では、このときダンスホール「新宿ステレオホール」、パチンコパーラー「オデヲンゲームセンター」も開業、その後、1969年(昭和44年)4月には「第二東亜会館」として生まれ変わり、同館内に映画館として歌舞伎町東映劇場(のちの新宿トーア)、新宿ゲームセンター、新宿トーアボウルを新たに開業している[2]

1975年(昭和50年)12月、「グランドビル」を「第一東亜会館」として新装開場、2階に新宿アカデミー劇場を開館、1階のグランドオデヲン座の規模を縮小した[2]。1982年(昭和57年)12月、「第一東亜会館」5階に新宿オスカー劇場を新装開館した[2]長野県上田市に本社を置く酒造メーカー「和田龍酒造」の社長を務める和田澄夫[7]は、大学在学中の1984年(昭和59年)7月14日に公開した『愛情物語』(監督角川春樹)と『メイン・テーマ』(監督森田芳光)の2本立てをグランドオデヲン座で観たという[8]。1990年(平成2年)1月3日、東亜興行の創業者・会長の高橋康友が死去した[9]

2009年(平成21年)3月、新宿オデヲン座等がある「第一東亜会館」に隣接する、「第二東亜会館」内の映画館・新宿トーア(かつての歌舞伎町東映劇場)を閉館、同年9月23日には「第一東亜会館」5階の新宿オスカー劇場を閉館した。同年11月30日には、「第一東亜会館」を全面閉館、したがって、同日をもって、グランドオデヲン座、新宿アカデミー劇場、新宿オデヲン座をすべて閉館した。これをもって、東亜興行は歌舞伎町における映画興行から、完全に撤退した[2]。「新宿ステレオホール」はある時点で「第一東亜会館」7階に移転していたが、これも閉館した。撤退の背景には、観客数の減少と築50年を超える「第一東亜会館」の老朽化があり、同年5月31日にはヒューマックスグループが「新宿ジョイシネマ1・2・3」、前年2008年(平成20年)11月8日に新宿コマ劇場新宿コマ東宝新宿プラザ劇場[5])を閉館しており、わずか1年の間に歌舞伎町地区から10館の映画館が消滅した。東亜興行の本社も同ビルに置かれていたが、杉並区上荻1丁目の荻窪東亜会館を経て、2016年(平成28年)現在は吉祥寺オデヲン内に社長室・総務部が置かれている[2]

「第一東亜会館」跡地については、以降は閉鎖され、2012年(平成24年)9月28日には、アパグループが同地を取得したことを発表、2015年(平成27年)9月30日、同地に「アパホテル新宿歌舞伎町タワー」がグランドオープンした[3][4]

第一東亜会館

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第一東亜会館
Toa First
地図
地図
店舗概要
所在地 160-0021
東京都新宿区歌舞伎町1丁目20番2号
開業日 1955年12月
閉業日 2009年11月30日
建物名称 第一東亜会館
施設管理者 東亜興行株式会社
中核店舗 映画館(新宿オデヲン座、アカデミー劇場、グランドオデヲン座、新宿オスカー)、ダンスホール(新宿ステレオホール)
前身 グランドビル
後身 アパホテル新宿歌舞伎町タワー
最寄駅 西武新宿駅
最寄IC 首都高速4号新宿線新宿出入口
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ビル名は「グランドビル」に始まり「トーアファースト」とも呼んだ。2009年11月30日閉館・閉鎖、2012年解体・売却[3]

フロア 1959年 2009年 備考
7階 ホールオデヲン 新宿ステレオホール 「新宿ステレオホール」第二会館の位置から移転
6階 - -
5階 キャバレーオデヲン 新宿オスカー劇場 「新宿オスカー劇場」1982年12月開館
4階 (事務室) (事務室)
3階 - -
2階 - 新宿アカデミー劇場 「新宿アカデミー劇場」1975年12月開館
1階 グランドオデヲン座 グランドオデヲン座
地下1階 新宿オデヲン座 新宿オデヲン座

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p キネ旬[2010], p.52, 56-59.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 会社概要東亜興行、2013年7月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e 新宿区歌舞伎町に500室規模のホテル開発用地取得』(プレスリリース)アパホテル、2012年9月28日http://www.apa.co.jp/newsrelease/news/20120928.html2013年7月24日閲覧 
  4. ^ a b c アパホテル新宿歌舞伎町タワー”. アパホテル. 2015年10月23日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 年鑑[2001], p.31-32.
  6. ^ a b 沿革ヒューマックス、2013年7月24日閲覧。
  7. ^ <年男・年女スペシャル>和田澄夫さん(48)”. 信州FM. 東信ジャーナル (2011年1月12日). 2014年8月4日閲覧。
  8. ^ 和田澄夫 (2014年4月22日). “オールナイト上映”. ほろ酔い社長の雑記帳. 和田龍酒造. 2014年8月4日閲覧。
  9. ^ 年鑑[1991], p.401.

参考文献

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  • 『映画年鑑 1991』、時事映画通信社、1991年
  • 『映画年鑑 2001 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、2001年
  • 『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東篇』、キネマ旬報社、2010年3月26日 ISBN 4873763258

関連項目

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外部リンク

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画像外部リンク
1958年のグランドビル
土井栄撮影