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グランプリ・マニュファクチャラーズ・アソシエーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

グランプリ・マニュファクチャラーズ・アソシエーション (Grand Prix Manufacturers Association) は、かつて存在したモータースポーツの団体。フォーミュラ1 (F1) に参戦している自動車メーカー(マニュファクチャラー)間の同盟として、2005年5月9日[1]に結成された。代表はBMW研究開発部門取締役のブルクハルト・ゲッシェル。

設立

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「コンストラクター」がシャーシの製造者(=チーム)であるのに対して、「マニュファクチャラー」はエンジン供給やワークスチーム運営を行う自動車メーカーという意味合いがある。

2001年、欧州自動車工業会に加盟する5社によって前身であるグランプリ・ワールド・チャンピオンシップ (GPWC) が結成されたが、フォードジャガー)が2004年を最後にF1から撤退し、中心的存在であったフィアットフェラーリ)も2005年1月に離脱したため、旧メンバー3社に日本の2社を加えて改組された。準備会議にはフェラーリを除く9つのF1チームが参加した。

GPMA設立メンバー

なお、発足前の4月24日に行われた2005年サンマリノGPではB・A・Rのマシンが最低重量違反で失格・2レース出場停止という処罰を受けており、B・A・R(ホンダ)に対する制裁行為ではないかとの見方もあった[2]

新シリーズ構想

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GPMAの目的はGPWCと変わらず、F1の統括団体である国際自動車連盟 (FIA) に対する発言力の強化、ならびに、F1の商業権保有者(FOM)とコンコルド協定の更改について交渉することにあった。自動車メーカー側の意見が受け入れられない場合は、コンコルド協定の期限切れとなる2007年末をもってF1世界選手権から離脱し、2008年より新シリーズを立ち上げるという構えをみせた。

FIAのマックス・モズレー会長は、自動車メーカー間の開発競争がコスト高騰を招き、プライベートチームの存続を危うくしていると主張し、エンジンの開発制限、車体主要部品の共通化、テスト距離制限などのレギュレーション変更案を相次いで打ち出した。これに対し、GPMAは技術革新にこそF1に参戦する意義があるとして規制に反対し、プライベーターへはエンジン価格の助成措置をとるとした。

興行面では、コンコルド協定が定める収益分配率が不公平であるとして、競技者(チーム)への配当を増額するよう要求した。また、F1の商業権を預かるSLECの株式の大半が投資銀行3社(バイエルンLBJPモルガンリーマン・ブラザーズ)によって管理されている状況を問題視した。

当初、GPMA側9チームは「全チーム同等な条件」で交渉に臨むことを確認していたが[3]、自動車メーカーの後ろ盾がないプライベーターは個々に切り崩されていった。2006年よりフェラーリエンジンを使用するレッドブル、ジョーダン改めミッドランドミナルディ改めトロ・ロッソレッドブル傘下)、BMWエンジンを失うウィリアムズ、2006年から参戦するスーパーアグリがコンコルド協定更改に同意し、勢力図は体制側有利に塗り替えられた。

また、2005年11月から2006年3月にかけて、イギリスの大手プライベート・エクイティ・ファンドであるCVCキャピタル・パートナーズがSLECの全株式を取得し、バーニー・エクレストンを最高責任者に指名したことから、興行面の安定という課題が解消された。

さらに、FIAは2008年シーズンのエントリー申請を大幅に前倒しして、期限を2006年3月31日に設定した。このエントリーには11もの新チームが参入を希望し、さらに、FIAはエントリーが遅れたチームを新レギュレーションの作成部会に加えないと宣言して、GPMA側5チームへ圧力をかけた。同年3月27日、GPMA側5チームはエントリーを申請したことを発表し[4]、同年4月28日には既存11チームとプロドライブの2008年シーズンエントリーが承認され[5]、シリーズ分裂は回避された。

同年5月には、GPMA側5チームがコンコルド協定の覚書にサインしたことが発表された[6]

和解と脱退

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コンコルド協定の合意後は、2008年からのエンジン開発凍結(ホモロゲーション)を巡って意見の応酬が続けられた。しかし、F1参戦継続が決まったことでGPMAの結束力は弱まり、2006年8月14日にはトヨタが脱退を表明した。

2006年11月16日、FIAのモズレー会長とGPMAのゲッシェル会長が共同会見を行い、GPMAが今後少なくとも5年間はF1に継続参戦することで合意したと発表した[7]。同年12月8日には、2012年までに行うレギュレーション改革案について合意し、エンジンの開発凍結(2007年より)、エネルギー回生装置の導入(2009年より)、直噴ターボエンジンの使用(2011年より[8])などのロードマップを発表した[9]

その後、2007年2月16日にはルノーもGPMA脱退を表明した[10]

そして、2008年7月にはチーム間の組織として、新たにフォーミュラ・ワン・チームズ・アソシエーション (FOTA) が結成された。

脚注

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  1. ^ "世界自動車大手5社、F1改革推進の新団体結成へ". ライブドアニュース.(2005年5月10日)2013年2月2日閲覧。
  2. ^ 『レーシングオン 2005年8月号』 イデア、2005年、p.70。
  3. ^ "別シリーズ「GPWC」検討へ、F1の9チームが団結". レスポンス.(2006年2月17日)2013年2月3日閲覧。
  4. ^ "【F1 2006】メーカー系GPMAチーム、2008年シーズンへのエントリーを申請". Web CG.(2006年3月28日)2013年2月3日閲覧。
  5. ^ "新チームは「プロドライブ」、2008年エントリー発表". Web CG.(2006年4月28日)2013年2月3日閲覧。
  6. ^ "GPMA、コンコルド協定にサインへ". レスポンス.(2006年5月16日)2013年2月3日閲覧。
  7. ^ "FIA GPMAと和解". GPupdate.(2006年11月16日)2013年2月3日閲覧。
  8. ^ その後、ターボエンジン規定は2013年に先送りされた。
  9. ^ "F1がハイブリッド? バイオも! 規則変更ロードマップ". レスポンス.(2006年12月24日)2013年2月3日閲覧。
  10. ^ "ルノー、グランプリ・マニュファクチャラーズ協会を脱退". carview.(2007年2月17日)2013年2月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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