グラーム・ムイーヌッディーン・ハーン
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グラーム・ムイーヌッディーン・ハーン(Ghulam Muin ud-din Khan, 生年不詳 - 1843年10月3日)は、北インド、アフガン系ローヒラー族の族長。
生涯
[編集]グラーム・ムイーヌッディーン・ハーンはローヒラー族の族長ザービター・ハーンの次男として生まれた[1]。
1788年10月、兄グラーム・カーディル・ハーンとともにマハーダージー・シンディアにデリーを追われて逃げまわったが、その追撃は厳しく、翌年3月に兄は捕殺されてしまった[2]。グラーム・ムイーヌッディーン・ハーンは族長の地位を継いだが、追撃から逃れるためにパンジャーブへと逃げざるを得ず、同時にナジーバーバードの支配も失った[1]。
1812年、グラーム・ムイーヌッディーン・ハーンはイギリスの助力によりナジーバーバードへと戻り、同時に年5,000ルピーを与えられることとなった[1]。
1843年10月3日、グラーム・ムイーヌッディーン・ハーンはナジーバーバードで死亡した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。