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ケマル・クルチダルオール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケマル・クルチダルオール
Kemal Kılıçdaroğlu
生年月日 (1948-12-17) 1948年12月17日(76歳)
出生地 トルコの旗 トルコ トゥンジェリ県ナズミエ
出身校 ガーズィ大学
所属政党 共和人民党
子女 3

在任期間 2010年5月22日 - 2023年11月8日

当選回数 6
在任期間 2002年11月18日 - 2023年5月14日

在任期間 2012年8月21日 - 2014年12月13日
議長 ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ
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ケマル・クルチダルオールKemal Kılıçdaroğlu 発音 [ceˈmal kɯɫɯtʃˈdaɾoːɫu] ( 音声ファイル), 1948年12月17日 - )は、トルコ政治家

2010年から2023年まで最大野党共和人民党の党首を務めた。

人物・来歴

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トルコ東部のトゥンジェリ県ナズミエに7人兄弟の4人目の子として生まれた[1][2] 。アンカラ経済・商学アカデミー(現ガーズィー大学)で経済学を学び、1971年に卒業。 大学卒業後は財務省に入省し、会計士となった後フランスに派遣された。1983年には同省歳入局の副局長に任命される。1992年にはトルコ社会保険機関の事務局長に就任するなど、順調に出世した。 1999年に退官すると、政界入りを目指す。共和人民党のデニズ・バイカルに誘われ入党し、2002年の総選挙に同党から出馬して当選を果たす。2009年にはイスタンブール市長選挙に出馬したものの、与党公正発展党の候補に敗れた。 党首のデニズ・バイカルはスキャンダルの責任をとる形で、2010年5月10日に辞任。党内から圧倒的な支持を得て党首に就任した[3]

2023年4月20日、自身がアレウィー教徒であることを公言した[4][5]

2023年5月14日に執行された大統領選挙英語版には野党統一候補として立候補。選挙戦では現職大統領のレジェップ・タイイップ・エルドアン政権下で加速したインフレの抑制やエルドアン自身の強権化に対する批判などを訴えて肉薄し、第1回目の投票では当選者が決まらなかった[6][7]が、5月28日の決選投票で敗れた[8]

出典

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  1. ^ Yalçın, Soner (23 May 2010). “Kılıçdaroğlu hakkında bilinmeyen tek gerçek” (トルコ語). Hürriyet. http://www.hurriyet.com.tr/yazarlar/14809205.asp?yazarid=218 26 May 2010閲覧。 
  2. ^ “Nazımiyeli ailenin okuyan tek çocuğu” (トルコ語). Radikal. (23 May 2010). http://www.radikal.com.tr/Radikal.aspx?aType=RadikalHaberDetay&Date=23.05.2010&ArticleID=998321 23 May 2010閲覧。 
  3. ^ Party Leader Biography Archived 4 January 2011 at the Wayback Machine., chp.org.tr
  4. ^ Kılıçdaroğlu 'Alevi' başlıklı videoda genç seçmenlere seslendi, siyasetçiler konuşmayı nasıl yorumladı?(トルコ語) - BBC News Türkçe
  5. ^ Alevi < Kemal Kılıçdaroğlu - YouTube
  6. ^ “トルコ大統領選挙 エルドアン氏の再選は?”. NHK NEWSWEB. NHK. (2023年5月12日). https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/483194.html 2023年5月16日閲覧。 
  7. ^ “トルコ大統領選、決選投票へ エルドアン氏過半数届かず”. 日本経済新聞. (2023年5月15日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR150BE0V10C23A5000000/ 2023年5月16日閲覧。 
  8. ^ “Erdogan wins Turkish election, extending rule to third decade”. CNN.com. CNN. (2023年5月28日). https://edition.cnn.com/2023/05/28/europe/turkey-president-runoff-polls-erdogan-intl/index.html 2023年5月29日閲覧。 

参考文献

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  • Asatrian, Garnik (1995). "DIMLĪ". In Yarshater, Ehsan (ed.). Encyclopædia Iranica. Vol. VI. Fasc. 4. pp. 405–411. ISBN 978-0933273634. Dimlī society is tribal, a sociopolitical, territorial, and economic unit organized according to genuine or putative patrilineage and kinship, with a characteristic internal structure. It encompasses forty-five subtribes, each divided into smaller units. The most prominent are Ābāsān, Āḡāǰān, Ālān, Bāmāsūr(ān), Baḵtīār(lī), Dǖīk, Davrēš-Gulābān, Davrēš-Jamālān, Hay-darān(lī), Hasanān(lī), Korēšān, Mamikī, and Yūsufān.

外部リンク

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党職
先代
デニズ・バイカル
共和人民党党首
2010年 –
現職
公職
先代
デニズ・バイカル
野党院内総務
2010年 –
現職