ケリー伯爵 (スコットランド貴族)
ケリー伯爵(英語: Earl of Kellie)は、イギリスの伯爵位。スコットランド貴族。1619年に初代フェントン子爵トマス・アースキンが叙位されたことに始まる。爵位名はスコットランド・ファイフ州の Barony of Kellie[訳語疑問点] に由来する。
ケリー伯爵は1835年よりマー伯爵が兼ねている。またスターリング城の城代とスコットランドの氏族のひとつアースキン氏族の氏族長を世襲している。
歴史
[編集]アースキン氏族は、ローランド地方のレンフルーシャー州アースキンに起源を持つスコットランドの氏族である。名前が知られている最初の人物はヘンリー・ド・アースキンで、スコットランド王アレグザンダー2世の1226年3月12日付の書簡に証人として名前が見える[1]。
第一次スコットランド独立戦争において、アースキン氏族はブルース氏族を支持していた。サー・ロバート・アースキンはスコットランド王デイヴィッド2世によって要衝スターリング城の城代とされ、1350年にはスコットランド宮内長官(英語: Chamberlain of Scotland)および北フォースの司法官(Justiciar)にも任命されている。ブルース朝断絶後、アースキン氏族はロバート2世を支持し、ステュアート朝の成立に貢献した。
1435年に第12代マー伯爵アレグザンダー・ステュアート[註釈 1]が薨じた後、上記サー・ロバートの孫にあたる初代アースキン卿ロバート・アースキンは、母親が第7代マー伯爵ガルトナイトの血を引いていたことから継承権を請求した。この主張は当初ステュアート朝の王たちに容れられなかったが、1565年にメアリ1世によって遡る形で認める勅許状が発せられ、第6代アースキン卿ジョン・アースキンは第18代マー伯爵となった。
1619年にケリー伯爵に叙されたトマス・アースキンは、第18代マー伯爵ジョン・アースキンの弟アレグザンダー・アースキン・オヴ・ゴガーの息子である。トマスはスコットランド王ジェイムズ6世(後にジェイムズ1世としてイングランド王に即位)と同い年の学友であり、終生にわたる寵臣であった。1600年に発生したガウリー陰謀事件(英語: Gowrie Conspiracy)ではジョン・ラムゼイ(後の初代ホルダーネス伯爵)とともに首謀者とされるアレグザンダー・リヴァンを斬り、没収されたリヴァン家(ガウリー伯爵家)の財産の三分の一を与えられている。1604年に「ディーレトンのアースキン卿(Lord Erskine of Dirletowne)」、1606年に「フェントン子爵(Viscount Fentoun)」へ叙された後、1619年に「ケリー伯爵」へと陞叙された。
初代伯爵の孫にあたる第3代ケリー伯爵アレグザンダー・アースキンはイングランド内戦期の軍人であった。彼は騎士党(王党派)に属し、ウスターの戦いで円頂党(議会派)の捕虜となり、釈放後は王政復古まで海外に逃れた。3代伯爵の孫である第5代ケリー伯爵アレグザンダー・アースキンは1745年ジャコバイト蜂起においてジャコバイト側につき、プレストンパンズの戦い・フォルカーク・ミュアの戦い・カロデンの戦いでグレートブリテン王国政府軍と戦い、捕らえられてエディンバラ城へ収監されている。次いで第6代ケリー伯爵となった5代伯爵の息子トマス・アースキンは、音楽家・作曲家として知られる。その弟にあたる第7代ケリー伯爵アーチボルド・アースキンは生涯未婚であったため、爵位は3代伯爵の弟サー・チャールズ・アースキン準男爵の子孫へ継承された。
第10代ケリー伯爵メスヴェン・アースキンが1829年に卒すると、初代伯爵の子孫は断絶した。しかし勅許状には「アースキン家の家名と紋章を帯びる男系男子相続人(“heirs male bearing the name and arms of Earskine”)」への特別継承権(英語: Special remainder)が付されていたため、本家筋(初代伯爵の伯父の子孫)である第26代マー伯爵ジョン・アースキンが継承権を主張。1835年にこれが認められて襲爵、第11代ケリー伯爵となった。
26代マー伯爵兼11代ケリー伯爵ジョンには息子がいなかったため、没後ケリー伯爵位とアースキン家の財産は父方の従弟であるウォルター・アースキンが、マー伯爵位は女系の甥であるジョン・グッドイーヴ(襲爵にあたりグッドイーヴ=アースキンへ改姓)がそれぞれ相続した。しかし12代ケリー伯爵はマー伯爵の継承権も主張し、相続争いが発生した。貴族院特権委員会は当初12代ケリー伯爵の主張を認めたものの、最終的に1885年の議会立法により、1565年に6代アースキン卿ジョンはマー伯爵の継承を認められるとともにもう一つのマー伯爵が創設されていたと見做すと決定された。これにより、中世創設の元のマー伯爵をジョン・グッドイーヴ=アースキンが、1565年創設のマー伯爵を第13代ケリー伯爵ウォルター・アースキン[註釈 2]が相続することになった。以後2019年現在に至るまでマー伯爵(1565年創設)とケリー伯爵はその子孫によって保持されている。
ケリー伯爵 (1619年)
[編集]- トマス・アースキン (初代ケリー伯爵) (1566年 - 1639年)
- トマス・アースキン (第2代ケリー伯爵) (1643年没)
- アレグザンダー・アースキン (第3代ケリー伯爵) (1615年頃 - 1677年)
- アレグザンダー・アースキン (第4代ケリー伯爵) (1710年没)
- アレグザンダー・アースキン (第5代ケリー伯爵) (1756年没)
- トマス・アースキン (第6代ケリー伯爵) (1732年 - 1781年)
- アーチボルド・アースキン (第7代ケリー伯爵) (1736年 - 1795年)
- チャールズ・アースキン (第8代ケリー伯爵) (1765年 - 1799年)
- トマス・アースキン (第9代ケリー伯爵) (1745年頃 - 1828年)
- メスヴェン・アースキン (第10代ケリー伯爵) (1750年頃 - 1829年)
- ジョン・アースキン (第26代および第9代マー伯爵・第11代ケリー伯爵) (1795年 - 1866年)
- ウォルター・アースキン (第10代マー伯爵・第12代ケリー伯爵) (1810年 - 1872年)
- ウォルター・アースキン (第11代マー伯爵・第13代ケリー伯爵) (1839年 - 1888年)
- ウォルター・アースキン (第12代マー伯爵・第14代ケリー伯爵) (1865年 - 1955年)
- ジョン・アースキン (第13代マー伯爵・第15代ケリー伯爵) (1921年 - 1993年)
- ジェイムズ・アースキン (第14代マー伯爵・第16代ケリー伯爵) (1949年 - )
脚注
[編集]註釈
[編集]- ^ ロバート2世の孫で、第11代マー伯爵イザベル・ダグラスと結婚し妻の権利によって(Jure uxoris)マー伯爵となった。
- ^ 12代ケリー伯爵の息子。裁定前に父親の卒去により襲爵していた。
出典
[編集]- ^ Paul, James Balfour, Sir [in 英語], ed. (1908). "ERSKINE, EARL OF MAR". The Scots peerage (英語). Vol. 5. Edinburgh: David Douglas. p. 590. 2015年6月27日閲覧。
関連項目
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、ケリー伯爵に関するカテゴリがあります。