ウォルター・アースキン (第10代マー伯爵)
第12代ケリー伯爵および法律上の第10代マー伯爵ウォルター・コニングスビー・アースキン(英語: Walter Coningsby Erskine, 12th Earl of Kellie and de jure 10th Earl of Mar CB、1810年7月12日 – 1872年1月17日)は、スコットランド貴族。
生涯
[編集]ヘンリー・デイヴィッド・アースキン(Henry David Erskine、1776年5月10日 – 1846年12月31日、第24代マー伯爵ジョン・フランシス・アースキンの息子)とメアリー・アン・クックジー(Mary Anne Cooksey、ジョン・クックジーの娘)の三男として[1]、1810年7月12日にワークワースで生まれた[2]。
1826年にベンガル軍に入隊した(最終軍階は中佐)[2]。インド大反乱のときはジャバルプルの弁務官(Commissioner of Jubbulpore)を務め、本国の議会で感謝決議が採択された[2]。その後、1860年5月18日にバス勲章コンパニオンを授与された[2]。
1866年6月19日に伯父ジョン・トマスの息子にあたる第11代ケリー伯爵および第26代マー伯爵ジョン・フランシス・ミラー・アースキンが死去すると[1]、ケリー伯爵の爵位を継承、さらにマー伯爵の継承権も主張した[2]。マー伯爵の継承権をめぐりジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴと争うことになったが[3]、結局死去まで決着しなかった[2]。
1869年から1872年まで保守党の一員としてスコットランド貴族代表議員を務めた[2]。
1872年1月15日にフランスのカンヌで死去、息子ウォルター・ヘンリーが爵位を継承した[2]。
家族
[編集]1834年9月11日、エリーズ・ヤングソン(Elise Youngson、1814年頃 – 1895年7月14日、ウィリアム・ヤングソンの娘)と結婚、3男をもうけた[4]。
- ウォルター・ヘンリー(1839年 – 1888年) - 第13代ケリー伯爵、第11代マー伯爵
- オーガスタス・ウィリアム(1841年6月18日 – 1914年7月17日) - 1871年4月18日、ハリエット・スザンナ・フォーブズ(Harriet Susannah Forbes、1884年2月24日没、ウィリアム・フォーブズの娘)と結婚、子供あり
- チャールズ・ハーバート・ステュアート(Charles Herbert Stewart、1853年9月11日 – 1896年4月6日)
出典
[編集]- ^ a b "Mar, Earl of (S, 1114)". Cracroft's Peerage (英語). 18 March 2013. 2019年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 104–105.
- ^ Round, John Horace (1911). . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 17 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 665–666.
- ^ "Mar, Earl of (S, 1565)". Cracroft's Peerage (英語). 9 September 2004. 2019年11月2日閲覧。
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ジョン・フランシス・ミラー・アースキン |
ケリー伯爵 1866年 – 1872年 |
次代 ウォルター・ヘンリー・アースキン |
マー伯爵(法律上) 1866年 – 1872年 |