コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジョン・アースキン (第24代マー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘンリー・レイバーンによる肖像画

第24代マー伯爵[注釈 1]ジョン・フランシス・アースキン英語: John Francis Erskine, 24th Earl of Mar1741年1825年8月20日)は、スコットランド貴族

生涯

[編集]
アラン・ラムゼイによる肖像画、1758年作。

ジェームズ・アースキン(James Erskine、1785年2月27日没、第22代マー伯爵チャールズ・アースキンの息子ジェームズ英語版の息子)とフランシス・アースキン(Frances Erskine、1776年6月20日没、第23代マー伯爵ジョン・アースキンの娘)の息子として、1741年に生まれた[2]

1766年に第23代マー伯爵の息子トマス・アースキンが死去すると、剥奪されていたマー伯爵の次の男系継承者になった[3]

1757年から1770年までイギリス陸軍で士官を務め、最終軍階は大尉だった[3]

1770年3月17日、フランシス・フロイヤー(Frances Floyer、1798年12月20日没、チャールズ・フロイヤーの娘)と結婚、4男4女をもうけた[2]

  • ジョン・トマス(1772年 – 1828年) - 第25代マー伯爵、子供あり
  • ジェームズ・フロイヤー(1798年5月15日没) - 1796年11月12日、スーザン・シャープ(Susan Sharpe、1827年2月8ん地位没、チャールズ・カークパトリック・シャープの娘)と結婚
  • ヘンリー・デイヴィッド(1776年5月10日 – 1846年12月31日) - 1805年10月22日、メアリー・アン・クックジー(Mary Anne Cooksey、ジョン・クックジーの娘)と結婚、子供あり。第12代ケリー伯爵ウォルター・アースキンの父
  • トマス(1785年7月10日 – 1859年1月1日) - 1817年6月4日、シャーロット・ワトソン(Charlotte Watson、1876年12月1日没)と結婚、子供あり
  • シャーロット・フランシス(1837年1月25日没)
  • メアリー・アン(1844年4月17日没)
  • シャーロット(1852年2月27日没)
  • ジェーン(1857年10月没)

1776年に母が死去すると、アロア英語版の領地を継承した[3]

1824年6月17日、議会の決議に基づきマー伯爵の爵位を回復した[3]

1825年8月20日に死去、息子ジョン・トマスが爵位を継承した[3]

注釈

[編集]
  1. ^ 1572年没のジョン・アースキンは1565年にマー伯爵の爵位を回復したが、1875年の貴族院裁決と1885年の議会立法の結果、爵位復活と爵位創設の両方が行われたものとみなされ[1]、本記事の人物は中世創設の爵位では「第24代マー伯爵」、1565年創設の爵位では「第7代マー伯爵」となる。また、『クラクロフト貴族名鑑』など1435年没の第12代マー伯爵アレクサンダー・ステュアート英語版を正式な伯爵として数えない文献もあり[2]、その場合は本記事の人物が中世創設の爵位における「第23代マー伯爵」となる。

出典

[編集]
  1. ^ Round, John Horace (1911). "Mar, Earldom of" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 17 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 665–666.
  2. ^ a b c "Mar, Earl of (S, 1114)". Cracroft's Peerage (英語). 18 March 2013. 2019年11月2日閲覧
  3. ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 237–238.
スコットランドの爵位
空位
私権剥奪
最後の在位者
ジョン・アースキン
マー伯爵
1824年 – 1825年
次代
ジョン・トマス・アースキン