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ケルトス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケルトス
ゲイリー・A・タナカの勝負服
欧字表記 Keltos
品種 サラブレッド
性別
毛色 芦毛
生誕 1998年3月25日
Kendor
Loxandra
母の父 ラストタイクーン
生国 フランスの旗 フランス
生産者 スティルヴィ・コンパニーア・フィナンセラS.A.
馬主 ゲイリー・タナカ
調教師 カルロス・ラフォン=パリアスシャンティイ
競走成績
生涯成績 21戦9勝
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ケルトス (Keltos) とはフランスで生産された競走馬および種牡馬である。一度競走馬を引退したが事情により再度競走馬として走った珍しい経歴を持つ馬である。

経歴

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2000年(2歳)、11月の競走馬デビュー戦は2着で、2歳時はこの1走しただけでその後は休養に入った。

2001年(3歳)、3月に実戦復帰戦を迎え初勝利を挙げ、続くレースも制して2連勝でG1競走初挑戦となったプール・デッセ・デ・プーランに出走したが5着[1]だった。その後は準重賞競走を制し、イギリスに遠征してセントジェイムズパレスステークスに出走したがブラックミナルーシュに敗れて6着だった。レース後は休養し秋はパース賞 (G3) を制し重賞競走初勝利を挙げたが、秋は1戦したのみで再度休養に入った。

2002年(4歳)、古馬となっての初戦はドバイに遠征しドバイワールドカップに出走したが初のダート戦とあってストリートクライに敗れて8着という結果に終わった。帰国後はオリビエ・ペリエを鞍上に迎えてミュゲ賞 (G2) を制して重賞競走2勝目を挙げると、2度目のイギリス遠征を行いロッキンジステークスに出走し、2着となったノヴェールに3馬身半差をつけて勝利しG1競走初勝利を挙げた。しかしその後は脚部不安のため競走馬を引退することになった。

2003年(5歳)、この年からアイルランドエアリースタッドで種牡馬入りしたが、その後性器に外傷を負った影響により生殖能力喪失して種牡馬引退となり、ふたたび競走馬に復帰することになった。なおわずかながら産駒を残している。

2004年(6歳)、4月の競走馬復帰戦を制して復帰後初戦で勝利したが1戦したのみで休養に入った。休養後はおもに重賞戦線で好走し、11月には準重賞競走を制して復帰後2勝目を挙げている。

2005年(7歳)、3年ぶりにドバイに遠征し、ゴドルフィンマイルに出走したが12着、帰国後は2戦して繰り上がりで1勝しているがその後ふたたび競走馬を引退した。

おもな産駒

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血統表

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ケルトス血統ゼダーン系 / Northern Dancer 4×4=12.50%(母内)) (血統表の出典)

Kendor
1986 芦毛
父の父
Kenmare
1975 芦毛
Kalamoun *ゼダーン
Kharunissa
Belle of Ireland Milesian
Belle of the Ball
父の母
Belle Mecene
1982 鹿毛
*ゲイメセン Vaguely Noble
Gay Missile
Djaka Belle Djakao
Orleans Belle

Loxandra
1991 鹿毛
*ラストタイクーン
Last Tycoon
1983 鹿毛
*トライマイベスト
Try My Best
Northern Dancer
Sex Appeal
Mill Princess Mill Reef
Irish Lass
母の母
Northshiel
1984 栗毛
Northfields Northern Dancer
Little Hut
Coryana Sassafras
Rosolini F-No.6-d


脚注

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  1. ^ 競走結果は6着だったが、1着入線したノヴェールが薬物検査違反により失格となり繰り上がりにより5着

外部リンク

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先代
イギリスの旗メディシアン
ロッキンジS勝ち馬
2002年
次代
アイルランドの旗ホークウイング