ケルン電子音楽スタジオ
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ケルン電子音楽スタジオ (ケルンでんしおんがくスタジオ、独: Studio für Elektronische Musik in Köln)は、西ドイツ放送の局内に1951年に設立され、2000年に閉鎖された世界初の電子音楽スタジオである[1][2]。
概要
[編集]ケルン電子音楽スタジオは、1951年に西ドイツ放送の所長に就任したヘルベルト・アイメルトと物理学者のヴェルナー・マイヤー=エプラー、音響技師のロベルト・バイヤーが中心となって設立された[2]。
1953年にはカールハインツ・シュトックハウゼンが招聘された。シュトックハウゼンは「少年の歌」などを通じて、当時ヨーロッパで対立していた電子音楽とミュジーク・コンクレートとの融和を達成した。
影響
[編集]世界初の電子音楽スタジオの誕生は、黛敏郎や諸井誠などを通じて日本へと紹介され、1953年にはNHK電子音楽スタジオが設立された[1]。
脚注
[編集]- ^ a b “要旨 – 東京藝術大学 音楽環境創造科”. 2021年8月11日閲覧。
- ^ a b “artscape - ケルン電子音楽スタジオ”. 2021年8月11日閲覧。